頬と傷
part-a
強引な力で一人掛けの椅子に押し込められ、トモカはふてくされた表情で敵意を剥き出しにした。二人の兵士はか細い体躯の少女を押さえつけ、これでもかとばかりに縄をくくりつけ、暴れないようにとぐるぐる巻きにする――と、満足そうに互いを見合わせてニヤリと笑い、急いで部屋を出ていった。
オーレグ・レベジンスキーは普段みたく尊大な態度で、やや遅れ気味に到着した。入り口を固めた兵士たちが敬礼したのを見たが、彼は手を軽く振るだけで応える。
「さて、こんな処遇で済まないが。理由が呑み込めぬ、と言いたいようだな。え?」
オーレグは反対側の椅子へ腰かけると、いつものねばっこくまとわりつくような声音で言った。対するトモカは静かに押し黙ったまま、目の前の男を睨みつける。
ミオがこの男を嫌っていた理由がわかった――どうしようもなく嫌味がましいのである。
「……これはどういうことですか」
ぐるぐる巻きの状態を再確認して、トモカはやっとのことで問いを発したが、オーレグは嘲るように肩を竦めてみせる。兵士たちがクスクスと笑い、オーレグは一瞥しただけでそれを黙らせた――のを見てザマミロと思ったが、トモカはそれを口にしなかった。
オーレグは指を組んで、
「まずは状況を整理しようか」やけに優しい口調で言って、
「ASEEは敗北したのだよ」
「……」
「賢い子だ。それだけでは驚かぬ様子だな、え?」
おだてるように言われたが、トモカの態度はびくともしなかった。敗北などわかりきっていたようなものだ――ASEEがミオ・ヒスィという最強の武器を失った瞬間から。
男は低い声で続けて、
「ASEEは戦争に破れた。世界中に散らばる数多くの基地のうち実に八割以上が壊滅させられ、上層部までもが白旗を挙げた。統一連合による『オペレーション・トロイメライ』によって、な。我々はその顛末を熟知している」
トモカは最後の言葉が示す意味がわからなかったが、
「……つまり、敗北することを知っていたんですね? 推量ではなく」
「そうだ。ASEEが敗北することも、北極基地が沈むことも――また、それによる死者数も予測済みだ。しかもそれらの数値はすべて的中しているのだよ」
「……統一連合に内通していた?」
「近いな。だがその解答では、満点の7割も貰えんぞ?」
数人の兵士たちが下卑た笑い声を洩らしたが、上官に睨まれて視線を落とした。彼らの態度が媚びへつらっていることは見え見えなのである。
オーレグは彼らへ背を向けると、
「我々が内通していたのは《セレーネ》だ。秘匿されし第三勢力であり、この世界を変革させるに足る存在」
セレーネという名には、トモカにも聞き覚えがあった。たしか、無人機の一団に襲われたことがあった……ということくらいだが、それに関連した組織なのだろう。
「それでは、最初からずっと……?」
「そうだ。我々は機会を窺って、ASEEから離脱する構えでいた――最初からな」
「そんな! じゃあ、軍の人たちをずっと騙してたんですか!? ミオさんも!」
「同じことを言わせるな」
オーレグは眉ひとつ動かさずに答えた。
ミオだけではない。なにも罪のない人が戦争に衝き動かされて、死んで――それでもこの人たちは、そういう人たちを騙して、あざ笑っていたんだ。まるで寄生虫のごとく身を潜めて。
トモカは胃のあたりに猛烈な怒りと憎しみをおぼえて、なんだか吐き気がしてきた。
男は自答したように頷いて、
「そう、我々はすべて知っていた。あの忌々しいミオ・ヒスィが――」
「おっと、その続きは僕が話そうか」
入り口から姿を現したのは、すらりとした細身の少年だった。彼はポケットに手をつっこんだまま、口の端を笑みに歪ませている。トモカは彼を見た途端、思わず息を呑んだ――一方のオーレグは席から立ち上がって拳を胸に宛て、素早く敬礼の姿勢を取る。オーレグは口調を変えて、
「はっ……し、しかし!」
「いーや、いいんだよ。ご苦労だったね、オーレグ……休んでくれ」
ごつい体格の男は戸惑いと懸念の入り混じった表情をしたが、少年の圧倒的な存在感に折れ、いそいそと部屋をあとにした。少年は「君たちもだよ」と兵士たちにも声をかけ、狭い部屋から追い払った。
トモカはぐぅの音もでないほど――否、金縛りにでもあったように動けなかった。少年を見れば、愛しいほどの名前を思い浮かべてしまうからだ。
数日前ならすぐ近くにいてくれたはずの少年――。
「ミオ、さん……?」
瞳の紅さを除けば彼と瓜二つの少年が、そこには立っていた。彼はふと笑んで、
「やぁ、君とは初めて喋ることになるのかな」
まるで詠うような口調で応えた。彼は表情を動かすことなく、かつてのミオならやりようもないような――薄っぺらい笑みをベールにして、その本心を隠していた。
少年は椅子の脚を蹴って方向をずらすと、そのままの姿勢で腰かけた。心の鏡を覗くみたいに真っ直ぐな視線を投げかけ、トモカはそれを見つめ返す。吸い込まれそうだと思ったところで、意思とは反対に言葉が唇の裏を衝いた。
「あなたは……ミオさんではありませんね」
「曇りない、良い眼をしているね」
「あなたは誰ですか?」
「レー、と言わせてもらおうかな。決められた呼び名はないんだけど」
「ミオさんと同じクローンですか」
「いーや、彼は僕の複製なんだよ。つまり僕がホンモノさ」
彼は悪びれた様子のない澄んだ声で、
「『超能の異端児』……かつてそう呼ばれる計画があった。これから生まれるはずの子供へ遺伝子付加を施し、それぞれの特別能力を育成する。話が変わるけど――」
少年は静かに続けて、
「人間には能力がある。得意なこと、不得手なこと――それこそ限りない無限大の可能性が。身体を動かす能力、物を器用に扱える能力とか、他の誰かより優れていること。
例えば君には『機器を巧く扱うセンス』『二秒後の未来を視る能力』があるだろ?」
「……」
問い詰められ、トモカは渋々といった様子で頷いた。彼がなぜ知っているのかという疑問を拭い捨てて、彼女には否定できない質問である。彼は、
「人間に与えられた『能力』をDNAとして抽出できないか、また、それを子供の才覚に植えつけられないか――それが愚かな計画の発端だった」
彼は自嘲気味に笑んで、フンと鼻を膨らませた。
「実験は殆ど失敗に終わったけどね。あのミオ・ヒスィが生まれてから死ぬまでは、なにもかもが計画的だったさ――まるで神話みたいに」
「……」
「――僕たちは預言者だったんだよ」
レーと呼ばれた少年は続けた。第六施設島で新型機が奪われること、戦争が起こること……総てが彼の思うままだった。まるで手に吸いつくみたいに、世界は動いた。
預言者とは、いわば『世界を変えられる存在』のことだ――と、彼は熱く言った。
自分は世界の中心であるに違いない。
――だが、予測は彼を裏切った。世界の中心はレーではなく、そのクローンであるミオだったのである。ミオが何かをする度に、世界は大きく動かされたのだ。戦争、ロシュランテ、北極基地……その中心にいたのはやはりミオだった。
「信じたくなかった」紅い瞳の少年は続けた。「だから僕は、彼を消したんだ。これで預言者は残り一人。世界を変えられるのは僕だけなんだ」
トモカは思わず耳を塞ぎたくなった。彼の言い分を聞いていると、ミオが犠牲のために死んだみたいで――不憫に思えてならなかったのである。
二人は長く沈黙した。今までで最も長い沈黙だった。
「さて、本題に移ろうか」彼は言った。
「レゼア・レクラムに何を送った?」
「っ!」
トモカは驚いて目を見開いた――少年の手元を見れば、彼は親指と中指でディスクを弄んで、残りの指でそれをコツコツ叩いてみせた。
「これには強力なプロテクトが掛けられている。そう、君にしか開けられないような」
「……わたしはミオさんと約束しました。少なくともあなたには絶対に言いません」
「そうかい?」
少年は胸ポケットのあたりをまさぐると、おもむろに黒い金属の塊を取り出した。
銃だ。彼はトリガーへ指をかけた――バンと乾いた音がして、次の瞬間には部屋の角へ鮮血が舞った。銃弾はトモカの肩をかすめ、壁へと強く突き刺さった。傷がひろがり、裂けた服を縫ってだくだくと溢れる血がトモカの膝へ押し寄せ、床を赤く舐める。
「っ――く、」
トモカは叫びかけた悲鳴を殺し、キッと少年を睨んだ。ミオの持つ強さが、まるで自分に憑依したような――そんな心強さを憶えていた。紅い瞳の少年は薄っぺらい笑みを返して、
「……時間はある、じっくりやればいい。だけどひとつだけ言っておく、君の大好きなミオは死んだんだよ」
「知ってます、それがどうしたっていうんですか! ミオさんはあなたのように弱くありません。だから私も、あなたのような存在に負けるつもりは一切ありません」
ピシャリと言い放って、二発目の弾丸がトモカの頬をかすめた。今度は鋭い外傷とならずに、しかし灼くような熱さを残していった。薬莢が落ちて、虚しい音を立てた。
レーは表情を無理に取り繕って、
「……僕は君が嫌いだよ」
「私もです」
「ぐっ……!?」
悔しそうに表情を歪めて、彼は小さな部屋をあとにした。それと入れ違いざまに、以前からの同僚たちが駆け込んでくる。オペレータ席で見慣れたメンバーを見て、トモカは面喰らった。中には救急ボックスを抱えている者もいる。
「みんな……?」
「あぁトモカ、こんなになって!」
女子の一人が、トモカの肩へ応急処置を施した。灼くような激痛に耐えながら、
「みんな、どうして――」
「知らなかったんだ。オーレグが寝返ってから、俺たちは捕虜になっちまった」
一人が言った。何人かは交替で傷痕を処置し、トモカへ状況を説明した。艦は完全にセレーネの支配下にあり、どこへ向かっているのかさえ怪しい状態だとか。
「頑張れトモカ! あたしたち、応援してるからね!」
仲の良かったオペレータの一人が握り拳をつくり、何人かは頷いたりしながら足踏みして部屋を出ていった。
「……わたし、負けませんから」
泣いている場合ではないのだ。頭を使って、生きることを考え、これから自分が為すべきことを為す。
「ミオさんのためにも、絶対に」
鮮やかな色の瞳には――新たな決意が宿っていた。
よし、今回はしっかりうpできましたー。
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