澪標の覚醒
part-α
「ま、待ってください、レナっ!!」
廊下の堅さを強く蹴って、フィエリアは怒鳴るように声を張った――しかし、たった十メートル先を行く少女の耳には届かない。赤髪の少女は再び角を曲がり、もの凄いスピードで駆けてゆく。
一方、追う側のフィエリアは廊下のすべり具合に足の動きをとられ、角を曲がりきれずに勢いよく転倒――反対側の壁へとぶつかって苦悶を洩らしたあと、すぐに立ち上がってレナを追う。
(追いつけない……!!)
もっと急いで動けこの足――と念じるわけにもいかず、
「レナ、話を聞いてください! 敵は……敵の目的は――」
彼女は再び声を張り上げたが、やはりレナへ届くことはない。
声の主は決着をつけよう、などと言っていたが、そんな旨い話なんてあるワケがない。機体性能に大きな差がある――〈オルウェントクランツ〉が大破したいま、最強と称される片割れ〈アクトラントクランツ〉に、一介の量産機が立ち向かえるはずがないのである。
(あわよくば……そう)
――自爆特攻。
不吉な熟語が思い浮かんで、フィエリアはごく、と生唾を呑み込んだ。敵の狙いは間違いなくそこにある。
前を行くレナは格納庫へ走り込むなり、手すりのない階段を3つ飛ばしで駆け上がると、一気に上の階へ跳ねる。彼女は猫のようにしなやかな動作で、待機していた〈アクトラントクランツ〉の腰部へと飛び込んだ。
フィエリアはその2秒後に格納庫へ到達、息を切らせたまま、
「整備兵、〈アクト〉を止めてくださいっ! カタパルトデッキを封鎖――」作業着姿でぽかんとしている男へ向かって、「早くっ!!」
フィエリアが怒鳴り散らすと、整備兵たちは泡を食ったように慌ただしく動きはじめる――その様子を尻目に、彼女は階段を駆け上がった。
「くそ、間に合わないっ!?」
システムを起動させた深紅の機体――〈アクトラントクランツ〉は脚部拘束を強引に引き剥がして一歩前進、管制指示を聞く耳も持たず、出撃準備へ取り掛かっていた。
一拍遅れて警戒アラートが鳴り響き、赤光が強烈な明滅をくりかえす――ほぼ同時にカタパルトデッキが封鎖された。これで、レナは出撃できないだろう。
フィエリアの安堵も間もなく、〈アクト〉は別の動きを見せた。
「っ、カタパルトに行かない!? まさか!」
深紅の機体は重金属の扉へと向かう――そこは緊急時に使われる通用口であり、普段ならば使われることはない。閉ざされたその扉は、管理コンピュータによって厳重にロックされている。
〈アクト〉は扉の隙間へ、ゆっくりと手をかけた。
「レナっ! 駄目だ、行っては――」
『……ごめん。フィエリア、止めてくれるのは嬉しいよ。だけど、あたしさ……あいつとケリをつけることしか、頭にないんだ。だから、ごめんね』
「レナ……? まさか気づいて――」
『うん。ちゃんと分かってるから』
扉が豪快に開け放たれ、隔壁を挟んだ穴からは暗闇が広がった。フィエリアが自失に駆られるなか、深紅の機体は背中から白い羽根を出現させる。
――〈アクトラントクランツ〉戦闘モード。
『じゃ、行ってくるね。なにかあったらよろしく』
異形の天使は、真夜中の空へ旅立った。
part-β
「……来たか」
モニターに現れた熱源を見咎めて、ミオは重い口調で呟いた。自分が駆っているのはASEEの量産機〈ヴィーア〉で、無理やり飛行装備を整えたものである。武装は弾数最大のマシンガン、小型ミサイル・ポッド、エネルギーサーベルが1本と盾のみ。出力は96.3パーセント――過去2年間で最高の数字だったが、それを気にしているだけの余裕はなさそうだ。
〈フィリテ・リエラ〉――統一連合のもつ機動艦から扉を突き破って現れた深紅の機体は、純白の翼をはためかせて強く飛翔、高度1800メートルの位置まで舞い上がると、その場で滞空した。ミオとの距離はおよそ60メートル。近い。
「レナ……聞こえるか?」
『だから、アンタはいったい誰なのよ?』
「……本当に思い出せないんだな」
ミオは、ぐ、拳をつくって奥歯を噛んだ。レナは何も答えず、黙ったまま様子を窺っている。
彼女には分からないだろう――『兵士としての自分』は、押し殺したみたいに低い声で喋っている。
(だけど……)
ミオはスロットルを握る手を強めた。
レナとロシュランテで出会ったこと、チケットをかざして映画に誘ってくれたこと……あのとき、自分のなかで何かが変われる気がした。
(――もしも時間を巻き戻せるなら)
あのときのレナの手を引いて、ミオはこの世界の果てまで逃げるだろう。戦いを強いられず、自由に生きていける世界へ。
でも、そんなのは理想論だ。しょせん叶わぬ夢で、叶わぬ希望なのである。
ミオは、キッと画面を睨んで、
「……だから戦おうぜ、レナ・アーウィン。俺たちが戦ってた理由、俺たちが生きてた理由を見つけるために」
『望むところよ、あたしはアンタを消す。今度こそ見つけるの、答えを――あたしだけの、答えってヤツを』
――最終決戦、開始。
その動きは、動きというにはあまりにも唐突すぎる。
〈アクト〉はライフルの尖端を、60メートル先の目標へ向けた。
照準、発射。
ギリギリまで強化された弾速だったが、ミオの反応はそれを軽く上回った――全神経の信号速度を機体へ伝え、上昇と下降、あるいは左右反転を与えて射線を逃れる。
盾を左手に、右手には仕込んだマシンガンを構え、ミオはでたらめな射撃を放った。
(……くそ、やっぱり遅いか)
内心で毒づいた。深紅の機体は揶喩するように、水平移動だけで難なく回避。やはり、ただの量産機では分が悪いみたいだ。
ミオはポッドの半数を一気に開放――合計16基のミサイルが複雑な軌道を描いて、〈アクト〉の機体めがけて追尾してゆく。感づいたレナは加速・減速を繰り返し、まるで宇宙空間のよえな自由さをもって一部を回避、残りをライフルで撃ち落とした。
(……これも駄目か)
結果を分析する余裕もなく、深紅の機体は牽制の2射――ミオは〈ヴィーア〉を宙返りさせ、当然の如くこれを回避。3次元を捉えるために、彼の眼はせわしなく動いた。
「量産機だからって、甘く見るなよ……!」
〈アクト〉はその言葉に惹かれたみたいに、敵の位置から離れる方向へ行ったあと急旋回、緑色のエネルギーサーベルを引き抜いた。それに応じるミオも青いサーベルを引き抜き、機体の前面へ盾を押し出す。
――刹那。
『……逃げんの?』
「っ! ――そうだな」
ミオは盾の構えをほどき、すぐに真上の方向へ投げ棄てた。一騎討ちである。
深紅の機体は猛然としたスピードで、サーベルを上段からの構え――対するミオは力強い両手構え。ここは受けるしかない!
深紅は大きく肉薄――激突。
緑と青のサーベルが交錯し、レーザー刃が火花を咲かせる。出力と推進力の面で劣る〈ヴィーア〉は、数秒と保たずに押しやられてしまった。
ミオは声を振りしぼって、
「……ぐっ、まだ…っ、!」
『どう? これが――あたしの、力』
だぁっ、という気迫とともに〈ヴィーア〉のエネルギーサーベルが柄から折れ、打ち勝ったレーザー刃が量産機の装甲を灼いた。
肉となる部分を切られたミオはすぐさまマシンガンを掴み、零距離からの連射。弾薬の限り続け、と念じた射撃は深紅が離脱することで打ち切られる。
「当たれよ……っ!」
秒間30発の弾丸が嵐となって〈アクトラントクランツ〉の回避軌跡を追う――なかには深紅の装甲をかすめるものもあったが、しかし大きなダメージにはならない。
湧き上がってくる腹立たしさを堪えながら、ミオはくそ、と毒づいた。
(――何か……っ!)
何か打つ手はないのか?
ここには空間転移能力や高い機動性、果ては優れた機体性能――それらの欠片も残されてはいないのだ。ましてや、二秒後の未来を予見してくれるトモカもいない。
――ひとりの俺って、こんなに弱かったのか?
マシンガンの弾薬が底をついて、ミオは素早くそれをパージ、必死な思いで銃身を掴むと、それを敵機めがけて投擲――予想外の方向から攻撃された〈アクト〉は一瞬の戸惑いをみせたあと、左腕を払ってそれを跳ね退ける。
――ひとりの俺って、こんなに弱かったのか?
再度、問う。問いかける。
裏側から口を突いたのは否定の言葉だった。本音ではない、ただの強がり。
「そんなわけないだろ……! 俺は生まれたときから独りなんだ、だから独りでも生きていける! どれだけ寂しくても――どんなに悲しくても……っ、戦えるッ!」
ミオは残りのミサイル・ポッドを全開させた――計16発のそれらが段繰りに飛び出していき、深紅の回避軌跡を追う。一方の〈アクト〉は残像をのこしながら、凄絶ともいえる速度で機体を切り揉みさせた。ミサイル群は諦めずに敵機の尻へ喰らいつくが、〈アクト〉はしつこいとばかりにライフルを連射、誘爆をさそってミサイルの勢いを殺す。
生き残った武装は――ゼロ。
ミオは左右のポッドを分離、空中から投棄させた。ふたつの基は自由落下を開始し、真っ黒色の海へと没していく。
――万策尽きた。
敗北感に似た諦めの念が首をもたげて、ミオは沈黙したままモニターを睨んだ。
「これ、で……終わりかよ。俺って、そんなもんだったのか?」
――違うだろ?
「自分の居場所が欲しくて……それだけの想いで、ここまで戦ってきたんだろ?」
この世界には――少なくともミオが経験してきた世界には、自分の居場所らしい居場所が無かった。いつだって利用され、利用し、役に立たなければ――廃棄の二文字。
自分を受け容れてくれる世界が――自分がいてもいい世界が欲しかった。
だからミオは、戦うことで必要とされることを選んだ。
その想いで――たったそれだけの、本当に小さな想いだけど。
誰にもわかってもらえない……――それでも。
ミオの中で、大切な何かがフッ切れた。
「それでも俺は、そうやって戦ってきたんだ――――――――ッ!!」
喉の奥に熱い血が滲むほど、ミオはコックピットのなかで叫んだ。強く。
頭が真っ白になって一瞬だけ視界がひらけたあと、彼は奇妙な違和感をおぼえていた――機器たちの示す数値が理解でき、モニター内を縦横無尽する〈アクト〉の動きが、手に取るようにわかるのである。
いや……、それだけではない。
(――なんだ?)
すべてが視覚化され、ありとあらゆるものが視えてしまう。
敵艦の甲板上で戦況を見守る〈ツァイテリオン〉がいることも、機関砲がこちらを狙っていることも――本来ならば見えるはずもない全てが、ミオには視えていた。
予告。
ついに与えられる、二人の決着。
漆黒の機体を失い、なおも飛び出したミオ――それを迎え撃った深紅の機体。
「あ、あんた……わざと、……?」
最後の問いかけに、応える少年の声は。