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E  作者: いーちゃん
71/105

Entgegen:Zusammen


part-v


 キョウスケ・フジバヤシは、受話器の発する呼び出し音で跳ね起きた。派手なロックバンド調の演奏は、かつて学生時代の趣味として完成させたものである。

 デジタルの数字が示す時刻は午前八時。眠いときには寝る、というのが彼と同僚のモットーであるが、今日はただ単に朝が早かったのである。

 彼は裸足のまま研究室の床を歩きまわり、放られていたメガネを取ると今度は受話器へ手を伸ばした。こんな様子を見られたら、部下にも叱られるだろう。

「はいはい、第4研究所ですよ。まだバリバリ起きてます」

『キョウスケか?』

 受話器から飛び込んできたのは、聞き覚えがある女の声だ――女性としては低めだが、しかし凛と主張する声である。彼は眠気が一気に吹っ飛んでゆくのを感じて椅子から10センチほど飛び上がると、

「レ、レゼアじゃないか! どうやって」この回線にと続けようとして、キョウスケは声の調子を抑えた。しっかりと眠りこんでいるルームメイトが「うっせーなぁ」と寝言を吐いた……ような気がしたからである。

 キョウスケは口元を手で隠しながら、

「どうやってアクセスしたんだ? 君はもうパスできないはずだ」

 彼の言うとおり、レゼア・レクラムは施設内へのアクセス権を失っている――ASEEという組織を離脱したその日から。

 レゼアは押し殺した声音で、

『わたしを監視していたバカな二人組が、ちょうど床に寝転がってる。ちょっとばかし尋問を仕掛けて……まぁ、なんだ。いろいろ聞き出したんだ』

「うーん、君のいう『ちょっと』は恐ろしいからなぁ……」

『まぁいい、どうしても聞きたいことがあって連絡したのでな』

「なんだい?」

『ミオの件について、だ』

「――」

 その単語を耳にして、キョウスケは身の毛がよだつ感覚を味わった。一瞬だけ言葉が思い浮かばなくなり、まるで初めて舞台に立ったときみたいに――思考回路がパニック状態に陥る。

 彼はデスクへ散らかった資料の山へ、意味もなく視線を落とした。受話器を握らない、つまり空いたほうの手先はいら立ちをあらわすかのように、電話線を絡めはじめる。

 レゼアの声は焦りを隠さず、

『〈オルウェントクランツ〉が大破した情報は報道機関から手にいれたし、ニュースや新聞沙汰にもなってる。そんなのは知ってるし、わたしの関心のうちにも入らん』

「……つまり、ミオにどのような判断が下されるのかが知りたい、と?」

『そうだ』

 レゼアはためらいもせずに頷くと、ごくり、と喉を鳴らした。

 ……。

 キョウスケは言葉に詰まった――というより、何と答えればいいのか想像が及ばなかった。電話の前に立って、1秒、2秒……刻々と去ってゆく時間の果てに、

「彼は――ミオは、死ぬよ」

『おまえ……? いま何て――』

「ミオは、死ぬ。さっき上層部を伝って、本部から正式な通達が降りたんだ。ミオ・ヒスィは明朝00:00を期に廃棄処分、以後はASEEから除籍するって。研究所側も、それを認可してしまった」

『研究所側も、ってまさかおまえが許可したのか!?』

「……」

『バカじゃないのかっ!? なぜ止めないんだ、このバカ! なんでそんなこと――』

「……仕方なかったんだ」

『仕方ないだと? いい加減にしろ、ミオが死ぬ――殺されるんだぞ!? それを分かって言ってるのか、おまえはっ!?』

 レゼアの怒声はまだ続いて、

『あの子は利用されて利用されて――今度は使えなくなったから棄てるっていうのかっ、まるで道具みたいに! どうしてそんなことが平然とできる!?』

「僕だって――僕だって、こんなの認めたくなんかなかったさ!」

 キョウスケも負けずに、受話口へと怒鳴り返す。ルームメイトが起き上がった音がしたが、彼はまったく意に介さなかった。

 自分だってそんな簡単に認めたつもりはないし、ミオが死ぬことなんて……本当はこっちが疑いたいくらいだ!

 許可を捺印するときは手が震えたし、頭が真っ白にもなった。ミオの表情も浮かんだし――それだけではない。こんな簡単に命を弄ぶ上層部も、絶対に許せないと思った。

 ……でも。

 ミオ・ヒスィはクローンなのだ。彼はASEEの研究室――もとい試験管にいれられた受精卵から生まれ、無数のふるいにかけられて生き残ってきた。その過程には、キョウスケも少なからず関わっていた。まだ5歳のミオを利用し、データを獲得し、薬物を与えて強化した。それなのに、不思議と罪悪感は覚えなかったのだ。

 それが偽りの命だと知っているから。

「被験体3033F……それが彼の本名なんだよ。名字も何もない、ただの番号――試験管にいれられた、サンプルラベル第3033組の6番目。そういうことなんだ」

 キョウスケは肩を落として、短く区切りながらそれだけ言った。

 無数の、それこそ星の数ほど繰り返された実験のなかから成功したうちのひとつ。当時は純粋に嬉しかった。卵やタンパク質、DNAという部品から命を生み出すことは、神にしか出来ないことを為し得たのだと――そう思っていた。科学者として研究成果を誇っていたし、努力は報われるとも思った。

 しかし、結果はこのざまである。

 不完全なデータ、薬との不適応……都合の悪くなった失敗作は容赦なく廃棄され、生き残ったのは――わずか一握り。その生き残りもまた、軍事利用されるに至った。

 だからキョウスケは過去の研究を捨て、一刻もはやく別の研究へ取り掛かった。そうすれば、あの忌々しい『偽りの命たち』とも別れられると思ったのだ。

 だが、それもまた失敗だった。

 キョウスケは泥沼のなかから言葉をたぐり寄せ、

「だからミオは――あの子は死ぬしかないんだ。その選択肢しかないんだよ」

『このっ……、クソ馬鹿がッ!!』

 受話器の向こうで、何かが勢いよくひっくり返る音がした。

『だからお前は、ミオを諦めるというのか。自分が造ったモノから眼をそらして、何かと戦っているフリで誤魔化して!

 だけどな、アイツは違う。アイツは――わたしの知ってるミオ・ヒスィは、おまえみたいな弱虫とは違うぞ。目の前に広がるのがどんなに嫌いな世界でも、どれだけ悲しい世界でも……アイツは絶対に眼をそらさない。逃げたりしない!』

「――」

『だからわたしは、ヤツを助けるんだ。教えてくれ、何をすればいいのか。何ができるのか』

 キョウスケは無言を維持したまま、しばらくのあいだ押し黙った。

 ――敵わないな、レゼアには。

 口の端をゆるめて、あきらめに似た溜め息をひとつ。

 素早く人の本質を見抜き、それに合わせた言葉、感情、態度を選ぶ天錻の才。それなのに飾ることなく、いちいち真面目なフリでおどけてみせたり……自分にはできない。

 彼は強く頷いた――誰にも見えないその動作をして、

「わかった、できることをやるよ。だけど実際に動くのはレゼア、きみだ。僕は身動きできないからね。それで、必要な情報は? グズグズしてる時間はないよ」

『まずはミオがどこにいるのか、だ。それと、ミオへ送られた通達のデータが欲しい』

「乗り込むつもりかい?」

『何か問題が?』

「いや、君らしいと思ってね。わかった、データは一括で送るよ」

 最後に連絡先を聞いてから、キョウスケは受話器を置いた。まずは本部へアクセスして、いろいろと引っ張り出さなければならないものがある。

 彼は眠たい眼をこすって、大急ぎで作業へと取り掛かった。



part-w


 長い息をゆったりと吐いて、レゼアは静かに受話器を置いた。ミオを助けるには残された時間が少なすぎる――間に合う確率は、おそらく十パーセントにも満たないだろう。

 彼女はひっくり返っていた空のコーヒーカップを元の状態へ戻した。

「……あの少年のことかね?」

 部屋の隅へ立っている背の高い女――クラナ・E・アージクエルに問いかけられて、レゼアは神妙な面持ちのまま頷いた。

 紫がかった色のショートヘア、切れ長の瞳は淡い金色で、鋭い視線は目の前に転がっているASEE兵士へと注がれる。普段はスーツを着ることの多いクラナだが、今日は軽装のうえに革製のジャケットを羽織っていた。

 銃とコーヒーをこよなく愛し、見た目や喋り口の割に動物好きということくらいしか、レゼアは彼女のことを知らない。報酬の代わりとして身を守ってくれる、極めて優秀なボディガードだ。自分が下半身不随に陥ってから――もとい車椅子生活になってからの話である。

 クラナは壁に寄りかかったまま腕を組んで、

「なかば信じがたいね、それは……あの少年がクローンだったとは。それが事実として、どうやら世界は私が思っている以上に異常らしい」

 レゼアはそれに答えることなく、肩を落とすだけに行為をとどめた。彼女がそう言うなら、ミオは確実に『異常』な部分だろう。世界に与えられた正軌道から、大きく逸脱している存在なのだ。

 彼女の反応を窺ったクラナは軽く手を振ってみせ、あんまり気にせんでくれ、と言い置いたが。

「……でも」

 口のなかで呟いたつもりだったが、言葉は外へ洩れてしまったみたいだ。いちど聞かれたそれをレゼアは声にして、

「でも、わたしはミオを助けるぞ。アイツが世界にとって異常であろうとも、……仮に世界を敵に回そうとも」

 クラナはおいおい、よくも平然と言えるなぁと思わないでもなかったが、そう言い切るクライアントの横顔を見て思わず口をつぐんだ。自分が口を挟む権利はないし、余計な口出しをして噛まれるのは好みじゃない。

 依頼主は続けて、

「ミオは世界を敵に回そうとしていたんだ、最初から。世界の憎しみを自分へ向けさせ、その憎悪を自分ごと消滅させる……システムEはそのためにあったんだ」

 レゼアはあごを手の甲において、潤んだ翆色の眼を細めた。

「それがアイツの、本当の優しさなのかもしれんな。今さら気づいたんだ」

 誰かを傷つけ、殺してしまうくらいなら……自分をそうする。どこまでも容赦ない自己犠牲。今さらそれに気づいた自分はバカだ、どうしようもないバカだと思う。

 いつも遠くばっかり眺めていて、見てるだけで切なくなるくらい暗い性格で、そのくせに芯が強く、負けず嫌いでガキっぽい。

 ――だから惹かれたのかもしれんな。

 脳裏に浮かんだことを的中させて、レゼアはふと笑んだ。

 それと時を重ねるようにして、モニターの隅が赤く明滅――添付つきのメッセージが届いたことを知らせる。レゼアは真剣な表情にもどったあと、パスを使ってデータを解凍、細分化したそれらを携帯端末へ送った。

 もちろん送り主はキョウスケだ。文面にはこちらを励ますメッセージと添付内容の詳細、ASEEの署名が。画面に向かって「ありがとう」を呟くと、彼女は端末を引っこ抜いて車椅子を漕ぎ、部屋の出口へ向かった。

 クラナに扉をあけてもらうと、そこに立っていたのは――ミオによく似た女の子だった。身長は150センチくらいで小柄な体躯、その蒼く澄んだ眼は感情を映さない。

 否、ミオに『よく似た』という表現は不適かもしれない――じっさい、幼少期であれば彼と見分けがつかなかったであろうその少女は、名前をフェムトという。

 レゼアは小首をかしげてみせ、

「行ってくれるな? もちろん、遅れてわたしも行く」

「……」

「間に合うか否かは気にしないさ。だが、やれることをやらないと気が済まん」

「……」

 少女は終始無言を貫き通したが、ついと手を伸ばして端末を受け取ると、小走りで去っていった。

 クラナは肩をすくめて、

「喋ればいい子なのにねぇ。で、部屋でオネンネの兵士はどうするかい?」

「空腹だ。あとでじっくり焼いて、食べてしまおう」

「……」

「……」

「…………」

「冗談なんだぞ?」

 クラナは胸を撫でおろしたが、冷や汗はまだ引いていなかった。



part-x


 だだっ広い格納庫へ踊り出て、フェムトは危うく迷いかけた。自分にとって不慣れな場所を急ぐと、左右の道がわからなくなる――というのは悪いクセだ。

 だが、フェムトは表情ひとつ変化させずに「……適応」と口のなかで呟くだけ。

 少し走って3階のキャットウォークへ行き、格納庫の隅にある機体の胸部――つまりコックピットへ飛び込む。だいぶ狭く設計されたその場所へ収まると、少女は携帯端末を機器へ差し込んだ。つい先ほどレゼア・レクラムから渡されたものである。

 システムやモニターが全自動的に起動――真っ暗だったそれらは、まるで生き返ったように光を明滅させ、ロック解除に必要となる暗証番号を要求してきた。

 フェムトがそれを打ち込んでやると、一瞬だけ踊った画面が状況を示してくれる。彼女は数値などには目もくれず、機体の足を格納庫出口へ向かわせた。

 通常でいうところの自動ドア――その超巨大・鋼鉄版が、ゆっくりと開いてゆく。

 一歩だけ外へ、その機体を進ませる。

 ブースター点火。通常よりも大きなそれら12基が、吹き返したように息づいた。

「こちらフェムト。〈イーサー・ヴァルチャ〉、行きます……!」

 ずんぐりした緑色の巨躯をゆったりと浮上させ、およそ30メートルの大きさを誇る機体は――星の夜空へ飛び立った。



 漆黒の機体〈オルウェントクランツ〉を失ったミオ。

 だが、レナとは決着をつけなければならない――自分が此処にいる理由、戦ってきた理由を見つけるために。


予告。

「……出撃許可は下りていません」

 強引に飛び立とうとするミオ。それを阻止しようとするトモカ。

「ごめん。俺、トモカに出逢えて本当に良かったと思うんだ」

 柔らかい表情になる少年の眼前で、少女は――。

次話、第72部「アローン・イン・ザ・ダークネス」

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