∞・∽・∝
part-t
ミオは一瞬だけ言葉に詰まると、しかし落ち着きを取り繕って「どういうことだ?」と聞き返した。少女は、重い――だが、しっかりとした口調で、
「考えられる事象は2つあります」
人差し指と中指でVの字をつくると、トモカは毅然とした態度で問いただした。
「まずひとつ、ミオさんが援護を断った点です。おかしいとは思いませんか」
「それは……俺ひとりで勝てると思ったんだ。足手まといは要らないんだよ」
「そうですか? 敵の戦力は〈ヴィーア〉を若干数でしたが含んでいました。その相手と交戦させれば良かったのでは?」
「……」
そう――敵である統一連合は、〈ヴィーア〉を4機だけ出撃させていた。オーレグの計らい、もとい嫌がらせゆえか、彼はあえて臨機応変な態度を示さなかったが。どうやらそれによる被害も、一人の少年へ押しつけるつもりらしい。
ミオは思いとどまりながら、指を交互に組んだまま口を閉ざした。
「ふたつめです。どうしていつも、やっつけられるハズの敵をそうしないんですか。それがいいことだとは思えませんが」
「……」
「いろいろ考えてみれば、ミオさんの行動は矛盾ばっかりです」
「……」
「何か――とても大事なことを、みんなに隠していませんか?」
「……」
ミオは無言を保ったまま、視線をテーブルの下へ落とした。トモカが指摘したことは、残念だがすべて正しいとしか言いようがない――ミオには否定できる余地も、または言い訳する余地もない。
「……バレたか。やっぱり頭いいな、お前」
彼は前髪をくしゃくしゃに掻きむしりながら開き直ったように続けて、
「そうだよ。俺は隠し事をしてた」
「なんで――」
「最初から、死ぬつもりで戦ってたんだ。戦ってたら、いつか――いつか誰かが俺を殺してくれるって思った。なのに、いつも残ってくれるのは『迷い』だけ」
「迷い……?」
「そう。俺は何のために生まれたのか――その答えを知らないまま死ぬのか、それとも答えを見つけてから死ぬのか。いつも後者を選びたいって、そう思ったんだ」
クローンとして生み落とされ、命を与えられ、利用し尽くされ、限りない死と隣り合わせの――ミオが経験してきたのは、そんな世界だった。
いつだって黒くて、暗くて、どれだけ足掻いても青空の晴れない世界。
「『死』だけが俺を解放してくれる。生きることほど、俺にとって辛いことはないね」
「そんなこと――」
「あるんだよ。俺だっておまえみたいに、底抜けに明るく生きたかったさ。だけど、そうはいかなかったんだ。俺とおまえじゃ、立ってる世界が180度違う」
「……」
「もう、これ以上は言わないぞ。自分で言うのが苦しいんだ」
両者のあいだに、静寂のような沈黙が浮いた。
こうやって、みんなとの距離が空いていくんだな――と、ミオは漠然と思った。レゼアも離れていって、キョウスケも、そしてトモカも離れてゆく。自分のせいで。
……誰とも近寄れない存在だったんだ、俺は。
肩を落としたところで、雑音まじりのスピーカーから響き渡るアナウンス。ミオとトモカの両名は、ただちに艦橋へ出頭せよ、という主旨である。
「……先、行くからな。俺が払っとくよ」
トモカは何も答えなかったし、ミオのあとをついてくることもなかった。
part-u
いつのまにか暗くなった廊下――誰もいないその場所を、ミオは一人で歩いていた。
(……俺にできる選択は、これしかないんだな)
生きてることが辛くて、死ぬのも辛くて、その板挟みのなかで、自分はずっと戦ってきた。無駄だとわかっていても、身体が傷つくことを知っていても。
(……そろそろ、疲れたんだ。もういいだろ?)
案寧の地を、そして[自分がいてもいい世界]を見つけるために。
隅に設置されているベンチへ、ミオは無言のまま座り込む。重くなった背中と腰を、冷んやりした壁へ押しつけた。
考えることはいろいろある。自分が生きてきたこと、過去、現在、未来、そして自分が消えたあとの世界とか……もっと。今まで出会った人たち、初めての握手を交わしたとき、嬉しかったこと、悲しいこと、怒ったことはないけど、泣いたことはある。
ミオは手のひらを眺めた。
そこには――否、自分自身が生きてきた過程には、さまざまな感情が含まれていたハズだ。もしかしたら自分だけではなく、多くの人を巻き込んだ感情もあっただろう。
自分がいて、誰かがいて――難しいことはわからないけど、少なくとも『独り』ではなかったのだ。ミオのそばには、いつも『誰か』がいた。
(でも、俺が死んだら……みんなはどうするんだろう)
わからないよなと吐き捨てて、ミオは首を横へ振った。他人がどう思うかなんて、そのときになってみないとわからない。彼は思考の回転速度をゆるめた。
木製のベンチから十歩いった先――艦橋の入り口から姿を現したのはオーレグ・レベジンスキーだ。ごつい体格や背格好だけで類推できる。非常灯の赤い光が、45歳過ぎのいかつい表情を照らしあげた。
「つい十分前、本部から処分が下された」
オーレグは出力したての文書を、少年へ乱暴に突き出した。ミオは前髪を掻いて、
「この明るさじゃ、読めるワケないだろ」
「では口頭で言おうか。ん? イズミはどうした」
「知らねーよ。さっさと言え」
オーレグは腹を立てた様子もなく、落ち着き払った様子で咳払いをひとつ。
「ミオ・ヒスィは今日づけで正式に解雇、明朝00:00までに『廃棄処分』と通達されている。具体的には――」
司令官は説明を続けた。
店頭に並べるように挙げられたのは、定刻以降の被解雇者による軍およびその他施設の利用禁止、IDパスの失効、敷地内への立ち入り禁止、支給されている薬品の廃止……など、全部で6項目だ。つまるところ、ASEEという組織から完全に追い出されるわけである。
そして『廃棄処分』という単語は、ミオの抹消を明示している。いままでだって、そうやって何人も殺されてきた――研究員たちが求める数値に答えられなかったり、薬物との適合性がみられなかっただけで。まるで実験にまわされるモルモットみたいに、多くの子供が平然と殺されてきた……今さら珍しいことじゃない。
死ぬ、という緊張感が、ディレイをかけて背すじから這い上がってきた。それらは何処からともなく湧き出した蟲のように、シャツの裏側を遠慮なくつたってくる。過剰に反応した肌が、つめたい汗をふいてきた。
俺はASEEから殺される。……べつに構わないだろ?
ミオは首を跳ねあげて、ふと気に掛かったことを訊ねてみた。
「俺のあとに入ってくるのは……誰なんだ?」
「教える必要が?」
「……ないよな。済まなかった、ちょっと気に掛かったから」
ミオは短く吐息して、言葉の続きを慎んだ。
用済みの自分は、否応もなく抹消される。そのあとのことなんて知ったこともないし、知ったところでどうしようもない。
オーレグは輝きの失いかけた腕時計をみて、
「どうするね? 残り4時間、貴様はまだASEEの兵士だが」
「……どうしようもないさ。なんなら俺を、ここで殺してもいいんだろ?」
「そのようだな」
「だったら、俺の命を好きにすればいい」
ミオは少し投げやりに言い放ったが、オーレグはそれをさらりと受け流した。
「相談がある。賭けのような話だよ、まるでロシアン・ルーレットのような話だが」
司令官はしわの寄った表情を、醜い笑みに歪ませた。
お久しぶりです。そして突然の報告です。
なんと読者の方の数が、いつのまにか十万を越えていました。
……ゼロ何個? 100,000。六個だ。次の七個まで遠いなぁ。
僕にとっては目の眩む数です。「一年間連載しててその数字? 才能ないんじゃないの?」って声もあると思います。「小説家になろう」にはもっと面白い作品がたくさんありますから。
でも、それで充分です。今はここにあるこの作品と、いちいち読んでくださっている読者の方を大事にしたいんです。
……うをっ!? 2年ぶりくらいに真面目なこと言いました。
※今回のサブタイトルは『∞・∽・∝』です。全部∞だったら、ゼロが6個ありますよね。実はちゃんと意味があるんです(笑
_予告ナシ_