第五話:緩急
むにゅ、と柔らかいものを掴んだ気がして、ミオは微睡みから抜け出した。
ベッドの上にこんなものがあったか?
いや、それ以前になぜ俺はベッドに?
(……そうか、レゼアが運んでくれたのか)
レゼアが?
目の前で、すぅと寝息を立てていた。
「う、あわぁああぁぁああぁあぁッ!?」
ベッドから転げ落ち、もんどりうった挙げ句に頭を壁にぶつけて意味不明な叫びをあげながら、カーペットの上をごろごろ転げまわる。
騒ぎを耳にしたレゼアが、むくりと身を起こした。ブラウス姿でまだ眠りの延長にいるらしく、寝惚け眼がトロンと垂れていた。
「なんだ、朝から元気だな」
「……」
「……」
「……」
「……男性秘部を指して言っているのではないぞ?」
うるせーばか。
……と言いたいのをかろうじて堪える。
おまえとパートナー組まないほうが良かったかもな、とミオは漠然と思った。
レゼアは毛布を剥いで、
「昨夜は疲れたからな。おまえをここまで運び、報告書の作成とシステムEとやらのプログラム移植……四時間ほどかかってしまって、ここで眠ったんだ。悪いことをした」
ミオは無言で唸った。システムEの移植だけは、ミオが主体となって行なっても相当な時間がかかる。ほかの作業と併せて四時間で済んだというのは、彼女の効率がよほど良かったことを示している。
わかった、とミオは言葉を置いて、
「……助かる。それなら構わない」
「そうか。では次回からもこの部屋で眠るとしよう」
潰されたいのか?
……とは世話になった手前、とてもじゃないが言うことができない。
いつまでも床にいても仕方ないので、ミオはベッドの縁に腰かけた。スプリングが軋む。
レゼアが口をひらいた。
「そろそろ教えてくれてもいいんじゃないか。システムEとやらのことを」
「……なんの話だ」
「相変わらず口を割る気はないんだな。人に移植させたくせに」
「……悪かったな」
口を尖らせるレゼアに対して、ミオは前髪をくしゃくしゃ掻きむしった。
彼女は続けて、
「まぁいいさ。おまえが話す気になるのを待つだけだ。シャワー借りるぞ」
「え? ああ……、ってちょっと待ておい、」
言い終える間もなく、レゼアは部屋のシャワールームへ姿を消す。
目のやり場を失って、ミオは曇りガラスから視線をそらした。
衣擦れの音、あのガラス一枚の向こうは
「終わったら食事にしよう。食べ終えたらまた忙しくなるぞ。技術班と打ち合わせ、とくにおまえは機体性能の確認実験もある。のんびりしていられるのも今のうちだけだ」
「……」
ミオは沈黙を挟んだ。
現に、ミオやレゼアのいるこの艦は追われる立場にあるのだ。
追ってきているのは統一連合軍の機動戦艦〈フィリテ・リエラ〉だ。敵軍随一のスピードを誇る〈フィリテ・リエラ〉に対して、海流の運びによって夜中の戦闘は避けられたものの、おそらく今日中には接触するだろう。
――ヤツらはあの赤い機体で、一気にこちらを沈める気だ。
それを思うと、憂鬱な気分にさえなってくる。
途中で中継基地に入港するこの艦でも、入港が先か敵の攻撃が先かはわからない。
――いずれにしろ、あの〈アクトラントクランツ〉を抑えるのは俺だ。
レゼアがシャワーの音まじりに言った。
「まったく大変だ、エースというのも。期待に応えなければならんからな」
「……俺が期待されてるのはそんな理由じゃない。期待もされてないに決まってるさ」
息をひとつ置いて、ミオはベッドから立ち上がった。
部屋の隅にある机の中を探ってみる。
引き出しから出てきたのは、青色の錠剤が詰まった薬瓶だった。
――エースだから、なんて理由じゃない。
俺が、こんな薬物に頼らなければ生きていけない身体だから。
表情が心をなくしていることにも気づかず、ミオは錠剤を二粒だけ飲み下した。
レゼアが長い静寂を纏っていた。考え事でもしているのだろう、シャワーの音だけが部屋まで続いている。
ミオが薬瓶を戻すのと、レゼアが口をひらくのは同時だった。
「いま、重要なことに気がついた。頼みがあるんだが」
「……なんだ?」
嫌な予感がした。
「タオルを取ってくれ。それとわたしの下着もだ」
予告
一晩明けた戦争の始まり。
統一連合軍のレナは、約束どおり補充パイロットと行動を共にすることとなる。
新たな二人とは……? そこで放たれた言葉とは?
次話、第六話「奇麗事」