最後の序曲
part-k
レナは狭いコックピットのなかで、自機のエンジン音――もはや軽快ともいえる鼓動を感じていた。細やかに振動するシートが背中にリズムを刻むのである。
もう慣れたことだし、今は搭乗初期のような不安も恐怖も感じない。満ち溢れてくるのは明らかな自信であり、迷いのない勇気でもある。彼女は2、3のスイッチを連続して切り替え、
「こちらは準備オーケーなんだけど?」
『待ってください……これでよし、と。準備完了、いつでも行けます』
回線から戻ってきたのはフィエリアの声だ。その奥ではコンソールを調整する音も混じるが、問題はなさそうである。レナが「オーライ」と返すと、今度はイアルの顔がモニターの隅へ映る。
〔こっちはちょっち遅れて出撃だかんな。あんまり前に出しゃばると……〕
「わかってるわよ。よーするに俺の出番もとっとけ、ってコトでしょ?」
〔まー、そういうこった〕
イアルが呆れ顔で言って口元を笑ませ、回線を切る。次に映ったのはキョウノミヤの表情だ。
[準備が整ったみたいだから、最終ブリーフィングでもしておこうかしら?]
「はーい」
レナが間の抜けた声で応えて、フィエリアがマイク越しに苦笑。キョウノミヤはわずかに困った顔をしたが、これこそ――この明朗さこそがレナの本当の強みなのだ、と気づいて、お怒りの言葉を取りやめる。
彼女はおもむろに表情を引き締めて、
[我々の目標は、あの敵艦を基地内に収容させることです。目的を果たせば、あとは揚陸・降下部隊がやってくれるわ。《オペレーション・トロイメライ》によって、ね]
「……具体的なプランは?」
[ひとつだけ――今度こそ確実に〈オルウェントクランツ〉を破壊すること。仮に出し惜しみされた場合は艦主砲により、敵艦ごと沈めます]
「まぁ、出し惜しみはしてこないだろうけどね」
レナはキョウノミヤにも聞こえるよう呟いた。もちろん彼女も分かっているだろう。この期に及んで、敵が戦力を温存してくるとは考えられない――なぜならASEEは劣勢であり、いち早く反撃に転じなければならないからである。臆したネズミがネコへ噛みつくために、ASEEは〈オルウェントクランツ〉を牙としてくるハズなのだ。だからレナたちは、その牙をへし折ってやればいいのである。
(まぁ……それが簡単にできたら苦労しないんだけどね)
キョウノミヤの説明を適度に聞き流しながら、レナはぼんやりと思った――と同時に、漆黒の機体が脳裏へ浮かび上がる。たった1機に3機がかりで、ずっと苦労させられ続けている敵――尋常ではない機動性と火力を有し、無限大のエネルギーとさらには空間転移能力を持つ最強の機体だ。
しかしながらそれを扱えるパイロットの力量も、推して知るべきものがあるだろう。
(でも――今日こそ、ケリを……)
すべての決着をつける。
ガントリークレーンが大きく揺れ動き、〈アクト〉の機体がカタパルトデッキへ運ばれてゆく。脚部がリニアに固定されて出撃準備完了――あとは射出されるだけだ。
真っ直ぐな金属レールが、射出口から突き出すように敷かれていった。レナがモニターの向こうへ広がる青空を睨んでいると、
course____________clear.
field of vision___clear.
circumstance______neutral.
進路・視界ともに良好、そして警戒を怠るな。そんなの言われなくてもわかってる。
モニターの中央に文字列が浮かんで明滅し、周囲の状況を知らせてくれる。背面のブースターが強く唸りはじめ、高揚感を醸しだした。
一瞬の暝目ののち――刮目。
「こちらレナ・アーウィン。〈アクトラントクランツ〉、出ます!」
バーニアが一斉に点火、急激な摩擦に耐えられなかったレールが火花を咲かせる――と、〈アクトラントクランツ〉は影のような速度で射出口から飛び出した。
深紅の機体はカタパルトによって押し出された力を利用して慣性飛翔。それがなくなる寸前に身を回転させて純白の羽根を展開、今度は純白の羽ばたきとバーニアを噴かして速度を維持してゆく。
数秒を経ると、すでに高度は百メートルを詰めていた。ここからだと敵艦も視認できる位置だ――と、彼女は視線を母艦〈フィリテ・リエラ〉へ。
フィエリアの駆る〈ツァイテリオン〉が、甲板へ姿をお披露目するところだった。
続く警戒音――先に言葉を発したのはフィエリアである。
『レナ、敵艦から機体信号を確認しました。注意を』
「オーケイ、そうこなくちゃね」
レナは〈アクト〉は、その肩からサーベルを引き抜いた。敵の艦が、まるで砲門をひらくように射出口をあらわした。キッカリ2秒後に打ち出されたのは〈オルウェントクランツ〉である。
漆黒の装甲、全体的なフォルムは〈アクトラントクランツ〉に似通うところがある――全高20メートルにも及ぶ鋼鉄の巨人。そう。あの機体こそが、北極基地で数多の命を奪い去った悪魔なのである。
レナは敵の姿を睨みつけ、奥歯を強く噛みしめた。北極の氷海に散っていった同胞たちのぶんまで、自分は戦わなければならないのだ。
それが死者への手向けである。もう、迷わない。
漆黒の機体は、それをあざ笑うかのように上空へ飛翔、複合構造のシールドをソード形態に変形させて構え、8基のバーニアを展開させる。猛烈な速度を生んだ。
〈オルウェントクランツ〉は高度100メートル、斜度20の位置から翔け降りる。
「さぁ……来なさいッ!」
レナはサーベルを上段に構えて迎撃姿勢。一方、漆黒の機体はソードを逆手に取り、下から薙ぎ払うような一閃。
――衝突。
ビームとしての高エネルギーが正面からぶつかり、交錯ののちに激突。押さえようのないそれらが火花として散り、黒紅それぞれの装甲へと降りかかる。
『……いい腕だな、バカ女。今日こそ決着をつけようぜ』
「それはこっちのセリフだって、のっ!」
レナはサーベルを押し返して、その空いた距離を縮めるように宙返り――強烈な蹴りを放ったが、それを見切った〈オルウェントクランツ〉は後ろへ飛んで回避運動。
(っ、勝てる!)
レナはサーベルを肩へ戻すと、そのままライフルを引き抜いて2連射。対する漆黒の機体は剣を盾へ変形して掲げ、それを防いでみせる。相変わらず容赦のない反射神経だ。
〈アクト〉は射線と直角する方向へダッシュ――純白の羽根が緩やかな軌跡を描いて残像を生んだ。いくつもの幻に化けた深紅の機体は立て続けにビームの矢を放つ。
『……、なっ!』――疾い!?
と言いかけて、少年の声は停止した。機体のブースター出力を越えた本数の光矢を盾でしのぎ、防御しきれないぶんは回避として処理――それでも〈アクト〉による精確な射撃は、装甲をかすめて消えてゆく。
「さて、次。いくわ、よっ!!」
レナは余裕を感じ、わずかだが口元を弛めた。フットペダルを強く蹴って力を込め、今度はレバーを奥へ踏み込ませる。
――スロットル全開、全方位攻撃システムを起動。
「いっ、――」
純白の羽根は風をはらんだみたく広がると、今度は一枚一枚の小羽が硬質化・分離を遂げ、敵を目指して飛んでゆく。上下左右――否、ありとあらゆる方向から迫るそれは強い追尾能力を持ち、回避するのは不可能にちかい。
「っけぇぇぇぇッ!!」
数十、いや数百もの細い軌跡――流れるように鮮やかな線が、光の弧をもって飛ぶ。
漆黒の機体は盾を前面へ押し出すように動き、流星の嵐を着弾させてから機体を反転。身を切り揉みさせて回避――8方向へのステップを刻む。その途中で、レナは息を呑んでいた。
(……うそ、)
全方位から――おそらく回避不可能なレナの攻撃が読まれているのか、漆黒の機体は無傷だ。まとわりつく流線を跳ね退けながら、今も運動を続けている。
こうはしていられない、とレナはライフルを構えて1射――しかしこれも先読みされたのか、〈オルウェントクランツ〉は盾を掲げて受け止める。
そう――まるで未来が見えているみたいに。
part-l
「トモカ、来るぞっ!!」
〈は、はいっ!〉
〈アクトラントクランツ〉の翼が大きく風をはらみ、一枚一枚の羽根としてひらひらと散りながら硬質化。数百にも及ぶそれらは深紅の機体の周りに滞空したあと、
――乱舞。
鋭利な羽根は凄まじい速度で動きまわり、立体方向へ不規則な軌跡を描いた。
羽根の極兵装の真に恐ろしいところは、その武器の細かさにある。一枚一枚の羽根には大した攻撃力もないが、それらは機体の関節部や機関部へ侵入し、致命的な損傷を与えるのだ。
ミオはフットペダルを乱暴に蹴り、機体を上昇――回避運動をとる。
『上ですっ!!』
「ッ!」
ミオは機体を翻してスラスター点火。平行方向へ逃れるとほぼ同時に、上空から飛来した数十の羽根――まるで鳥の群れみたく押し寄せたそれが装甲をかすめていった。
やはり、トモカには視えているのだ。
2秒後の未来が。何が起こり、どういう結末に終わるのか――
『次、右方向です! 上昇回避ののち迎撃してくださいっ!!』
ミオは答える余裕もなく、上体を捻らせて言われた通りの方向へ回避。右へ流れてゆく羽根の群れを見逃さず、彼はライフルの尖端を直下へ捌く。
――射撃。爆発が群れを包み込んだ。
(やったか? ……、ッ!?)
生き残ったらしい羽根が虚空を裂き――〈オルウェントクランツ〉の死角へ臨むと、左の脚部関節への侵入を遂げた。
ガクン、という衝撃を感じて、ミオはスロットルをむちゃくちゃに引っ掻く。モニターへ描かれる数字が意味を失い、左脚が故障したことを告げては消える。
ミオは毒づいて、
「やられたか。だが、しょせん左脚程度……!」
盾を変形させてソード形態。壊れた脚を引きずったままの姿勢で腰を落とし、背面のバーニアを全開――〈アクトラントクランツ〉へと肉薄する。猛烈な速度を生んだ。
深紅の機体はサーベルを抜き放ったが、ミオの構えた武器と交わることはなかった――理由は、一条の斬撃が両者のあいだを駆け抜けたからである。
「……なんだ? トモカ、」
『敵艦上に敵1、〈ツァイテリオン〉と思われます。注意してください!』
「わかった。邪魔しやがって」
ミオが機体を翻すと、今度はビームの矢が警戒を引いた――〈アクトラントクランツ〉が放ったものである。
続けて、回線からの声。
〈聞こえる? アンタの相手はあたしが引き受けてんの、わかるかな〉
「……」
その主はもちろん、レナ・アーウィンのものだ。聞き間違うべくもない――ミオはその声を、わずか1メートル以内でも耳にしたことがあるのだから。
ミオは奥歯を噛んで、スロットルを強く絞った。
「……あぁ、聞こえる」
急激に高鳴ってゆく駆動の音。状況の正しさを示していた数値が狂いはじめ、次第に負へ転じてゆく――と同時に赤く明滅する文字列。
(……うっ、)
自分の身体のなかを、何者かが侵略・蝕んでくるのがよくわかる。ミオは堪えられなくなって、思わず苦悶をもらした。
トモカが驚いて、マイク越しに左脚が回復したことを告げる。ミオはモニターへ映る敵機を睨んで、唇の端を不敵な笑みに歪ませた。
「……その声、二度と喋れないようにしてやるよ」
〈そう? じゃあその耳、二度と聞けないようにしてあげる〉
ミオはシールドを構えて、すぐに剣へ変形させる。
〈さぁ、やってむる?〉
声の主は軽くウィンクして、次の瞬間には敵が――〈オルウェントクランツ〉は空間転移を遂げていた。
一瞬で背後へ回り込んだその速度に、レナは追いついている。ライフルの尖端を向けた。ミオは唸るように低い声で、
「お前を殺してやる。だからおまえも俺を殺しに来い……!」
さっそく予告です。
予告。
衝突する深紅と漆黒――それは勝利と敗北、あるいは存在と消失を意味していた……。世界最強のパイロット二人による戦闘も、フィエリアにとっては信じがたい結末を生む。
次話、「居場所」
とうとう決着です。勝つのは――――。
※サブタイトルは変更の可能性があります。ご了承ください。