彷徨う双眸
part-j
ミオは手早く身辺整理を施すと、ベッドの上へ放られていたパイロットスーツを掴み、急ぎ足で自室をあとにした。廊下に出ると、角に立っていたトモカが気づいて、パタパタとミオを追ってくる。
栗色をしたセミロングの髪を黄色いリボンでまとめ上げている――のは、普段と変わらないスタイルだ。華奢な体躯で身長はミオより頭一個ぶん小さく、書類入りのファイルを小脇に挟んでいる。
その大きめな瞳がミオを捉え、彼女はすぐに顔をうつ向けた。
「……どうした?」
「いや、特にないですけど来ました」
「……そうか。〈オルウェントクランツ〉の調整は?」
「とっくに済んでます。今日も神がかってますから――――特にわたしが」
「……お前が、かよ」
ミオはがっくりと肩を落とした。トモカと知り合って以来、ずっとこんな調子である――よく考えてみれば、レゼアがいたときと変わらない気もするが。
階段を踏み出す手前で何かに気付いたトモカが、
「あっれ。またこの貼り紙……」
と困った声で言って、壁にひっつけられていたチラシを粘着テープごと剥がす。
ミオは怪訝そうな表情で、
「何の貼り紙だ、それ?」
「なんか多いんですよ、最近。迷惑ったらありゃしないです」
「見せてみろ」
ミオが手を出すと、トモカはチラシを隠すように背中へ回した――それはもう、バスケットボールの選手みたいな反応速度である。
彼女はげほげほとむせながら、
「こ、これは見ちゃダメなものです!」
「……怪しいな。貸せよ」
「ぜったいに駄目です。見たらビデオテープみたいに呪われますから」
「あ、後ろにUFOが」
「そんなの引っ掛からないです。高校生の段階で免疫が出来てますから」
「あ、後ろにマシュマロ・マンが」
「どこですかっ!?」
トモカは勢いよく振り返り、次の瞬間には「騙されたっ!?」と向き直ったが、時すでに遅し。貼り紙はミオの手中にあった。
彼はトモカを頭ごなしに押さえつけ、チラシへ目を通す――彼女はじたばたと腕をもがかせたが、リーチが短いためかミオには届かないのだ。
それによると最近の一週間――主に深夜帯に、食堂へ不審な人物が出没するらしい。なんでも、朝になると冷蔵庫の中身が空っぽになっていたり、食べかすが落ちていたり。
記事の最下部には被害目録と金額、あるいは対策――もしかしたら罠を設置するかもしれない、という趣旨の記述まで載せられていた。
ミオはひとつ溜め息して、
「この犯人はお前で確定だな」
「えぇっ!? わたしを疑うんですかっ!?」
「残念ながらそれ以外、思い当たらないからな。これよりおまえを連行する。罪名は『食堂冷蔵庫荒らしの罪』だ」
「どんな罪名ですかっ!」
「懲役は3年間だぞ」
「ながっ! 執行猶予ナシですかっ!!」
ミオは再び息をついて、
「わかったわかった。――――イズミ・トモカは無罪で死刑」
「わかりました。ちょっと死んできます」
「死ぬなっ! すまない俺が悪かった。悪かったからっ!」
ミオは彼女の腕を引っ張って、全力で詫びた。なんで俺が謝ってんだ。
トモカは本当だよぅやってないんですよぅ、とか言いながら身体を摺り寄せてきた。気持ち悪いから寄るな、とミオは突き放して、もう一度だけ紙面を読み返す。
それから確かめるような声音で、
「本当にやってないんだな?」
「もちろんです」
「美味しかったか?」
「はいっ!」
「……」
トモカは満面の笑顔で頷いた。
どうやら犯人は確定したらしい――ミオはがっくりとうなだれた。彼はチラシをくしゃくしゃに丸めて近くのゴミ箱へシュートし、格納庫へ向かう足を速める。
大きなエントランスを抜けると、そこは視界のひらけた空間――格納庫である。すでに改修作業を終えたらしい〈オルウェントクランツ〉が中央に仁王立ちし、脚元からライトアップを浴びていた。
次の出撃に際し、準備は揃っているみたいだ。整備員は引き下がっていて、辺りには誰もいない。
「……まだ、いけるのか?」
ミオは眼を上げて、意味もなく呟いた。トモカが「え?」と言いたげな視線をぶつけてきたが、彼は意に介す様子もなく、
「……なんでもない。着替えてくる」
ミオは低い声でそう言うと、ロッカールームへ姿を消した。
慣れた手つきでパイロットスーツを着込むと、ミオは仕上げとばかりにファスナーを引き上げた。
「……」
しばしの沈黙。音さえしない、寂しい静寂の色が充ちた。
黒と紺を混ぜたような髪質――前髪は長めで、その隙間からは睨むような視線。身長は高くないわりに細身のためか、高く見えてしまう。
「……」
鏡に映る自分は、そんな姿をしていた。
まるで、初めて鏡越しの自分を見たときみたいな――不思議をおぼえるのだ。
ミオはベンチの上へシャツを投げて、足下に視線を落とした。かつて一緒にいてくれた女――レゼア・レクラムの更衣室は、カーテン一枚の向こう側である。
覗いてやっても構わないが、残っているのは空になったロッカーと、二度と使われることのないハンガーだけだ。わかりきっていることなのに。
(もう……会えないんだよな、俺たちは。こんなことなら、最初から出会わなければよかったのか?)
だからあの場所で――彼女には別れを告げた。もちろん、話したかったことは山ほどある。言葉にならないような感情も、思い出も、それから未来のことも。
(……だけど、どうしても叶えられない夢なんだ)
ミオは、く、と握り拳をつくった。唇を噛んで、ちいさく表情を歪ませる。
自分はクローンだったのだ。生きることを許されない、偽りの――そして禁断の命なのである。
(……だから、俺は生きてちゃ――)
「ミオさん?」
彼の思考は、扉の向こう――廊下側から発せられた声によって途切れた。聞き間違えるべくもない、イズミ・トモカのものである。
ミオはちょっとだけ驚いたあと、
「……トモカか」
前髪を掻きむしった。鏡に映る自分の表情が隠れて、ミオは視線を再び足元へ落とす。
少女はためらいがちな声で、
「わたしは、ミオさんが何を考えてるのかわかりません。どんなことを思って、誰を思っているのか――ちっとも理解できないんです」
「……」
「仕方ないですよね。わたしたちは他人なんですから」
「おまえ……」
ミオは握り拳を緩めなかった――それをあやうく壁へ打ちつけそうになって、動きを停めさせる。周りの物に八つ当たりしても、虚しくなるのは自分なのだから。
……レゼアも、同じことを言ってたな。
他人だから理解し合えない。その結果が憎しみで、戦争はその過程――途中に過ぎないのだ。だけどそれは、『完全に』理解できないワケじゃない――と。
「ミオさんが此処に居る理由は、なんですか?」
「俺が、ここにいる……理由?」
「はい。みんな、それぞれ理由があるから生きてるんだと思います」
「……わからないな。トモカの場合は?」
ミオは壁際へしゃがみこんだ。
ひんやりとした温度が背中越し――もといパイロットスーツ越しに伝わってきて、昂った気分を冷ましてくれる。埃っぽいにおいが鼻に染みついたが、悪い気はしない。
トモカは続けて、
「わたしは、毎日お腹いっぱいになるまで食べたいから生きてます」
「……おまえらしいな」
「でも、ちゃんとした理由ですから。ミオさんは?」
「俺は……」
ミオは言葉を失った。
まるで迷子になってしまった子供みたいに、何を言えば――いや、心の何処を探せばいいのかさえわからない。今まで生きてきて、何が正解で何が失敗だったのか……または、ここにいる自分そのものが過ちなのではないか?
ミオは一瞬だけ喉を詰まらせたあと、うなだれた口調で、
「……気がついたら生きてたんだ。俺が生きてる理由は、それだけなのかもしれない」
トモカが言葉を継ごうとして、艦内のアナウンスが鳴った。招集用のチャイムが鳴ったあと、女性の声が命令の内容を告げる。
それと同時に、廊下を小走りにしてゆく足音――が、遠ざかっていった。
「……」
辺りに再び静寂が充たされる。
ミオはゆっくりと立ち上がって、ベンチの上へ放られていたグローブを掴んだ。その手首の部分を引っ張って伸ばし、両の手へはめる。
(間違ってない……よな?)
その弱々しい双眸は、いまだに彷徨っていた――。
お久しぶりです。
なんとか更新できましたね。んー。
①三日に一度更新・内容をそれぞれ減量
②いつもどおり週一で更新
で悩んでます……orz
とにかくがんばりますね。
うをっ、予告も久しぶりです。
予告。
ついに『オペレーション・トロイメライ』が鳴り響く。それは全地球範囲におけるASEE掃討作戦だった。だが、その前に立ちはだかる強敵――〈オルウェントクランツ〉。レナはなんとしてでも、相手の息の根を止めなければならなかった。
(今日こそ……ケリを――)
次話、「最後の序曲」
なるべくはやく更新しますねー。