皮肉
part-d
イズミ・トモカは廊下をふたつ折れた先――いつもそうしているように、書類を小脇に挟んだまま立っていた。いつもと変わらない栗色の髪を黄色いリボンで留めていて、可愛らしい顔立ちの少女である。大きめの瞳がミオをとらえると、彼女はパタパタと走ってきて――廊下を横切ろうとしたワゴンと衝突・転倒、さらに顔面からスライディング。
ワゴンを押していた作業員は急ぎの用があるらしく、小さく謝ってから逃げるように廊下の奥へ消えた。
「……大丈夫か」ミオは、なかなか起き上がらない少女へ声をかけた。
「大丈夫です、こんなの痛くもへっちゃらですよ。わたしはめげない・くじけない・泣いちゃだめな人間ですから」言って、トモカは膝を払って立ち上がる。
「……なんだそれ」
「『めげない! くじけない! 泣いちゃだっめー!』」
「……」
「『いっけーいっけーがんこちゃーん!』って昔の教育テレビです。知らないですか」
「……知らないな。あと世代交代じゃないからな」
「うぐっ! わたしのボケを先読み!? 伊達に――」
「いいから書類を拾えこのバカ」
トモカは「おぉっと危ねーぜ」とか言いながら、散らばった書類をかき集め始めた。順番などはどうでもいいらしく、適当にファイルの中へ押し込める――と、それはクリアファイルがはち切れそうな枚数になった。
「……何の資料だ? それ」
「北極での与被害目録です。ぜんぶ集めたらこんな枚数になっちゃいました。ほんとは持ち出し禁止なんですけど、コンピュータをファックして勝手にやりました」
「……ハックだろ」
「あ、じゃあそっちです。まぁ、システムの欠陥なんて幾らでも見つかりますから」
……すごいんだか、すごくないのやら。
そうかと頷いて、ミオは廊下の手前に向かって歩きだした。トモカは二歩遅れの位置をトコトコついて来る。彼は少女を片目に、廊下をずんずん進んでゆく。
トモカは口をひらいて、
「ミオさんと話すの、なんか久しぶりですね」
「……そうだな」
「でも、急にどうしたんですか?」
「行きたい場所がある。トモカ、ロシュランテへはどうやって行けばいい?」
「ロシュランテ? ……は、現在では対ASEEの封鎖活動が広げられてます。ミオさんが行くのは危険ではないでしょうか」
「……構わない、考えがないわけじゃないさ」
トモカは的確な移動手段を選びだして、それをミオに告げた。まずはヘリでロシュランテの近くにある街に向かい、そこから鉄道を使って海側へ出る――そこからはフェリーで15分くらい。それで目的地へ、予定よりも半時間くらいはやく到着できる。
ミオが「それでいい」と頼むと、トモカは手早く許可証発行に乗りかかった。
(なんだかんだいって、迷惑かけっぱなしだな……俺)
申し訳ない気持ちになってきた。
ミオが二週間、自室に閉じこもっていた間も、トモカは平気な顔をして彼のやるべき仕事もこなしていたのだ。
ミオは口をひらいて、
「トモカ、前にも言ったと思うが――、んごぁっ!?」
咄嗟に言葉を詰まらせた。理由は、トモカが手刀でミオのみぞおちを突いたからだ。
彼女は廊下の中央に仁王立ちして、
「立て、ばかもんが!」
「……威厳がねーよ。あと俺は座ってないからな、ちゃんと立ってるからな」
「まぁいいじゃないですか、そこは。ミオさんはわたしの仲間です。だから『申し訳ない』とか『すまない』とか、そういうのはナシでお願いします」
トモカは続けて、
「ミオさんはけっこう好きな部類ですから。食堂のギガチャーシュー丼(大盛り)くらい好きです」
「そんなのあったのか……しかも俺は同類かよ」
「まぁ、似たような感じです。って、裏メニューの話じゃなくて!」
「……」
「あれ? えと……何の話でしたっけ」
「……ギガチャーシュー丼と牛カレー鍋もつ煮、大盛りだと美味いのはどちらか」
「それは明らかにカレナベでしょうっ!」
「……」
トモカは誇らしげな顔で人差し指を「びしっ」と見せつけた。そしてどうやら俺は、ギガチャーシュー丼と牛カレー鍋もつ煮の中間に位置するらしい。
彼女は叫んだあと、「騙されたっ!?」と我に返って咳払い。
「ま、まぁ、とにかく! 許可はわたしが取ってきますから、ミオさんはここで待っててくださいね」
言って、彼女は廊下の奥へ消えていった。ミオが取り残される。
彼は苦笑して、
「食堂メニューより好き、か」
右手を見る。つい最近まで維持されてきた若い肌には、すでにしわが走りはじめていた。これがクローン体の宿命――遺伝子に付着したテロメアが生まれつき短く、寿命が平均と比べて三分の一程度しかない。しかし、ミオはそのうちの17年をも生きたのだ。
どうやら自分の終わりまで、時間的猶予は残されていないらしい。
「俺が、好かれるような人間かよ?」
ミオの口許には、皮肉そうな失笑が浮かんでいた。