第三話:対峙
爆発が視界を埋め尽くすのとほぼ同時に、レナの身体は勝手に動き出していた。床のリノリウムを勢いよく蹴りつけ、炎に灼けた階段をすばやく駆け上がって、もうひとつの赤い機体――〈アクトラントクランツ〉のコックピットへ滑り込む。
起動の遅さに苛立ちを感じながら、これは立派なテロ行為だ、と思考が告げていた。
すぐ隣では、外部ケーブルを引きちぎった〈オルウェントクランツ〉が歩を進めていた。
回線に向かって、レナは怒りの声をぶつけた。
「そこの搭乗者、ただちにソレから降りなさい! これ以上の侵攻は――」
声を、力の限りにぶつけた。
それを無視するように、〈オルウェントクランツ〉が第三ハンガーの扉を素手でこじ開ける。
「!」
レナは思わず息を呑んだ。
視界に飛び込んできたのは、一面に広がった炎の海だった。港に係留されていたすべての艦が跡形もなく潰され、業火――それも化け物みたいな――が、海面を這うようにして、全てを飲み尽くそうとしていたのだ。
漆黒の機体は、呆然としたまま動かない〈アクトラントクランツ〉を振り向いて、
『なんだ、またお前かよ』
外部スピーカーから、揶揄するような声が洩れた。まだ若い男の声だ。レナは覚えのある声を耳にして、
「! この声……」
『じゃあな』
「ま、待ちなさいっ!」
隙を突いた〈オルウェントクランツ〉が大きく飛び立つ。レナは慌ててトリガーに指をかけたが、ビームの矢は何もない空間を撃ち抜いただけだった。
「ちぃっ!」
『今すぐ〈オルウェントクランツ〉を捕獲、不可能なら撃破を許可します!』
舌打つレナへ通信が割り込む。モニターの隅にあらわれたのは、頭から流血した――
「キョウノミヤさん!? その怪我――」
『軽傷よ。我々は〈フィリテ・リエラ〉の起動にかかるわ。今から〈エーラント〉にあの機体を追わせます! あなたは合流してから、』
「無理です! 今すぐに引き返させてください!」レナの怒声はキョウノミヤを殴りつけ、「アイツにはどんな量産型がいくら立ち向かっても、歯が立ちません。行かせるだけムダなんです!」
キョウノミヤの背後で、一際おおきな爆発が起こった。どうやら彼女らの居場所も保ちそうになく、物陰で待機しているらしい兵士が急かす声が、マイク越しに届いた。
『……わかりました、この件はあなたに一任します』
それきり、通信が途絶えた。
もはや一刻の猶予も許されない、というのはわかる。完全に逃げ切られる前に、なんとしてでもアレを捕らえなければならない。
これは争いを止める力なのだ。
だから奪われるわけにはいかない。
レナはスロットルを勢いよく倒してフットペダルを蹴り、スラスターとバーニアを全開で噴かす。機体に速度が与えられるのと同時に第三ハンガーが崩落し、飛び出した〈アクトラントクランツ〉は一瞬で高度百数メートルにまで飛び上がる。
さらに数秒が経てば、もう第六施設島の全貌が見渡せる位置だ。
眼下に広がるそれは、あまりにも酷すぎる光景だった。
街も軍の識別もなく、島全体が炎に喰われている――熱に耐えられなくなったモノレールは横倒しになったまま融けた金属の色を曝していた。住宅地もレナがさっきまで買い物をしていた商店街の姿も、すべてが焼け死んでいくような――
(……完全に寝首をかかれたってわけか)
もともと第六施設島は、大きな軍備を備えているわけではなかった。貧しかった島国に資金や技術を提供する代わりに島の一部を譲り受け、その中立性を盾に発展しただけだ。そのため、有事の戦力は保持していないのも同然――時間稼ぎもままならなかっただろう。〈ASEE〉は同時多発攻撃をあちこちで仕掛け、その騒ぎのドサクサに紛れて新型機を奪取する――というのが目的だったに違いない。
レナは首を横に振った。
集中しなきゃ、と思う矢先のことだ。
火の海――その中心に、一機だけが取り残されていた。
いや、違う。
炎に照らされて燦然と輝く黒色の機体。
〈オルウェントクランツ〉だった。
それを視認するやいなや、レナは機体を旋回――降下させて、崩れたビルの狭間に〈アクト〉を降り立たせた。
黒色の機体の足元には、無惨にも刻まれた三機の〈エーラント〉が転がっていた。
二機は四肢をもがれて戦闘不能、もう一機はちょうど頭部を握り潰されたところだ。
『……意外と速かったな』
残りの一機を片づけた〈オルウェントクランツ〉は、もはや鉄屑と化した〈エーラント〉を放った。
レナは何も言うことができなかった。
狭苦しいコックピットの中で、ただ、うつ向くことしかできなかった。
ぽつり、と言葉を手繰り寄せる。
「……なんで……こんなこと、するのよ……。アンタだって人間でしょう? 情けとか、可哀想とかさ……思わないの?」
『笑わせるなよ。俺は兵器だ』
「どうしてよ……罪のない人まで巻き込んで……」
『……戦うヤツは、罪なのかよ。罪のある軍人なら殺しても構わないって、それがおまえらの間違いなんだよ』
声はせせら笑ったようだった。
怒鳴り返してやってもよかった。
そんなことを言っているんじゃない、と。
戦いを無くすためには仕方ないのだ、と。
しかし、レナはなぜかそんな気分になれなかった。
妙な脱力感と、ぽっかりと胸の中心から何かが抜け落ちたような気だるさがする。
街が死んだ。ここにいた人たちも、その想いも、願いも。
レナの心の奥底で、なにかが吹っ切れた。
「アンタは……ッ!」
スロットルに手をかけ、
「アンタってヤツは……ッ!!」
涙の雫を振り落とし、全開まで引き絞る。
異変は、次の瞬間だった。
鳥類のような六本の骨格が大きくひらき、関節にうがたれた小さな孔から、押さえきれないエネルギーを発散するみたいに白色の光が迸る。それと同時に、赤かった装甲が白く変化した。
レナはモニターに並べられた、
vermillion.
の緑文字に意識を削がれぬまま、荒れ狂う感情に任せて〈オルウェントクランツ〉へ踊りかかる。
「はぁぁぁぁッッ!!」
機体がガクンと揺れ、あと半歩のところで機能停止した。
「なに!?」
増援部隊だった。今度はASEEの量産機、〈ヴィーア〉が、空を覆い隠すくらいに密集していた。
その中に、一機だけ黒い〈ヴィーア〉も混じっている。隊長機かエース機だろう、その一撃が、〈アクトラントクランツ〉の右足を背後から射抜いたのだ。
『安心しろ、ここで殺すつもりはない』
〈オルウェントクランツ〉が、今にも泣き出しそうな曇天へ飛び立った。
『次はおまえを殺すけどな』
遠ざかってゆく機影をよそに、レナは小さな嗚咽を、業火の中に取り残された機体の中で、一人きりのコックピットの中で噛みしめるよりほかなかった。
自分にはなにもできない。守れない。
無力さを知ると、ようやく泣き声が戻ってきた。
海から、〈フィリテ・リエラ〉が浮上する。
ここから見える光は、帰還信号だけだった。
第一話:part end
ミオはブリーフィングルームの一角にあるソファに腰かけていた。
戦闘終了を喜んでいるのだろう、何人かの兵が和気あいあいとしながら廊下の奥へ姿を消してゆく。
「ミオ」
呼ばれた方向を振り返ると、入り口付近に軍服姿の女が立っていた。髪は薄緑色で腰まで届くほど長く、ボディラインや胸の膨らみなどは軍服ごしでもわかる。表情は締まっているが、こちらを見つめる翠色の瞳は、深く優しげなものだった。
レゼア・レクラム。
それが彼女の名前だ。
「まずはご苦労さま、だな。お前だったから出来たんだ」
「……そう、なのか」
「もちろんだ。今はあの機体――〈オルウェントクランツ〉といったな。技術班がアレの性能確認を急いでいる」
「……」
「しかし、とんでもないな。アレは」
どういうことだ? と、ミオは眉をひそめた。
レゼアの説明では、〈オルウェントクランツ〉は、重力をエネルギーに変換するらしい。
重力エネルギー位相変換機構。
名前の通り、重力をエネルギーに変換して起動する。つまり、大気圏内では燃料の心配はいらない、ということだろう。
永久機関、という言葉が脳裏をよぎる。たしか、そんなものが存在しないことはすでに証明されていたハズだ。
いや違う――永久機関が存在しないことを前提に、半永久機関をつくったのか?
「よくもまぁ、そんな不安定な技術を応用するものだ」
レゼアがのんびり言った。
あるいは――これが実験機なのかもしれない。
それでは完成機は――
(あの赤い髪の女……)
名前さえ知らない少女が、もうひとつの〈クランツ〉に乗っていた。
(争いを……殺し合いをなくす力……か)
意識が濁ってくるまえに、ミオは言葉を残して、
「システムEが……必要、だな……移植しておいてくれると、嬉しい……」
微睡みの中に引きずられていく。
「お疲れさま」
ミオの傾いた身体を抱き止め、レゼアが耳元で囁いた。
読んでいただいてありがとうございました。
そんなこんなで続きますのでよろしくお願いします。
予告
レナは意気消沈していた。
街が死んだ。想いが死んだ。
誰もが炎の中で、痛みを感じながら泣いている。
それは、いつだったかの自分自身か。
怒りを感じるレナに、不可解な事件を知らせるキョウノミヤ。
暗闇の中、ひとつの意志だけが燃え上がる。
漆黒の機体だけは、自分が討つ、と。
第四話「非常灯」