ALONES
お、遅くなりました!
いつもなら七時に起きるのに、なぜだか今日は九時半起き……ヒマな大学生ですねー。
ミオは重い身体を引きずって自室へ戻ると、ベッドの上へ倒れ込んだ。スプリングが大きく軋み、疲弊したた身体を受け止めてくれる。
〈オルウェントクランツ〉の調整、技術班との打ち合わせ――と、ミオの体力は保ちそうになかった。いつの間にか日が暮れ、すでに宵の時間帯である。
「……」
レゼアと同じく、ASEEの前身から――およそ五年間も軍に所属するが、こんなにも疲れたのは久しぶりだろう。
話してしまった。
イズミ・トモカへ。
何も知らないはずの少女へ、話してしまった。
トモカは最初は迷わず疑ったが、ミオが
「本部のデータ記録プラスAランク、コード3033Fを調べてみろ。キョウスケならアクセス権を持ってる」
というと、彼女は顔色を悪くして走り去った。
ミオはごろと転がって仰向けになる。
いつもと変わらない天井、簡素で無機質な部屋と付き合いはじめて数年。汚れが気になったことは一度もない。
ミオは起き上がってモニターへ向かう。個人への着信連絡が382件――すべてレゼアからのラブコールだと思うと……頭が痛くなってきた。
ひとつずつ見る必要はなさそうなので、かいつまんでから目で追ってゆく。大概のメッセージがどうでもいい独り言のようなので、ものの数秒で大かた破棄されたが。
そして91件目。そろそろ眼が痛くなってきた頃だ。
>会いたい。至急にだ。
ミオは眉間に皺を寄せた。
その前の文面が「すごいな。本部基地の食堂メニューにはカレーじゃなくてカリーって書いてあるんだぞ」というものだったから、温度の差を感じた――というべきかわからないが、ミオはとにかく不審に思った。
91件目だけ保存し、残りはすべて――やはり内容はどうでもいいものだった――は破棄し、返信を折りかえす。
>91件目。どういう意味だ?
返信は二十秒を待たずに届いた。
>それは本部基地の食堂メニューが面白かったから送ったんだ。カリーと書いてあるのは初めて見たのでな。
……それじゃねーよ。
ミオが本気で頭を抱えていると、やや時間をおいて二通目が送られてきた。
>まぁ冗談は置くとして、会って話したいことがある。
>至急に、か?
>ダメなのか?
>……北極へ向かうことになった。人員不足のせいで、俺たちが集められた。オーレグの推進だろうけどな。
>そう、か。北極グマによろしく頼む。
>……。
>冗談だ。そうか、それなら急ぎでなくても構わない。北極戦線が終わってから、ゆっくり話そう。
>これじゃ駄目なのか?
>いや、今は話せない。実をいうと、私はいま監視されている。おそらくコレも、な。
「――」
ミオは息を呑んだ。さらにキーを叩いて、
>いやな風向きだ。わかった、北極戦線が終われば連絡をいれる。
>そうしてもらえると助かる。
(レゼアが、監視……?)
何をやらかしたのかはしらないが、不穏な空気は変わらないままである。
ミオは何か話すことはないかと探して、
>手術は受けたのか?
返信までの時間は遠かった。
それまでは数秒で戻ってきた返信が、今度は三十秒、そして一分と沈黙する。
>……受けなかった。
>なぜだ? 治るかもしれない、と言ってただろ?
>怖かったんだ。
レゼアからの返信はそれきりだった。
彼女からすれば、治る「かもしれない」というのが一番怖かったのだろう。下半身不随――という絶望的な状態が治ることを信じて、その希望が崩れるのが怖かったに違いない。
ミオはムシャクシャして、上着を壁に向かって投げつけた。
沸き上がってくるのは、もちろんレゼアに対しての怒りではない。むしろASEEという組織への鬱憤、のような気がした。
くそ、と毒づいて、ミオは再びベッドへ倒れ込んだ。
――何をやってるんだ、ASEEは……。
北極への進路変更、レゼアの監視など理不尽なことばっかりだ。
――何をやってるんだ、俺は……。
事務机の上に、錠剤の詰まったガラス瓶が置かれていた。キョウスケが去り際に置いていったものだろう。
ミオは泣き出しそうな孤独を抱えながら、静かに眠りのなかへ落ちていった――。
小一時間ほどの眠りを経ると、ミオは艦内に響くアラート音で目を覚ました。
『統一連合機接近! 総員は戦闘配置につけ、繰り返す――』
廊下をバタバタと走る足音が通り過ぎて、それが静まるまで――ミオはベッドの上に腰かけて待った。
この艦は〈フィリテ・リエラ〉に大きく遅れて補給経路、さらに北極へ向かう航路にある。それを阻む遊撃部隊、ということなのだろうか。
(……ということは)
〈フィリテ・リエラ〉が北極へ向かうのが確実になった、ということである。まぁ、喜ぶのはオーレグくらいしかいないだろうが。
ミオは机の上から薬の瓶を引っ掴むと、赤色の錠剤を数粒、噛んで飲み込んだ。
立ち上がって、
「またいるのか? あの、バカ女……」
ミオがパイロットスーツに着替えて格納庫へ向かうと、すでに量産機〈ヴィーア〉が飛び出しゆくところだった。
ミオは受け持ちの技術員から状況を聞き出して、いつものように〈オルウェントクランツ〉のコックピットへ飛び込む――と、モニターへ映ったのはトモカの顔である。
ミオは憮然として機体のシステムを確認しながら、
「……何の要だ」
『言われた通りのコードにアクセスしました』
「……わかっただろ。俺はASEE特殊幹部なんとやら、ミオ・ヒスィのクローン体だ。本物のミオ・ヒスィは俺じゃない。俺は所詮、複製物なんだよ」
『……はい』
「わかったなら通信を切れ」
ミオが声をかけるものの、トモカはそれを終えようとはしなかった。
彼女は口をひらいて、
『……さっき話したことは――ナシにしてもらえませんでしょうか。私は何も知らない、ミオさんは何も話してないということで』
「……。お前はそれでいいのか」
『はい』
「……そうか。なら、いい。トモカ、状況を説明してくれ」
ミオの返答は早いものだった。反応できずにいたトモカは「え?」と戸惑いの表情を隠さない。
ミオは小さく笑んでみせて、
「ナシにするんだろ? じゃ、忘れろよ」
『――あっ、そ、そうですよねっ! じゃあ今の状況を――あわっ、ぁぁ――っ』
マイクの向こうで、彼女は書類の束を落としてしまったらしい。インカムを外していながらも、それらをかき集めながら「すみません、すみません」と謝る声が拾えた。
……なにやってんだ。
とミオは頭を抱えたが、不思議と悪い気分ではなかった。
トモカは席に戻ってインカムを装着し、
『敵は統一連合の〈エーラント〉が十七機、駆逐艦が二隻、護衛艦が三隻――戦力としては、我々と互角と出ています』
「コイツと統一連合は、初の実戦だな」
ミオがコイツと指したのは勿論〈オルウェントクランツ〉である。トモカはその問いを肯定した。
ここで統一連合と接触すれば、陽電子砲によって大破したはずの漆黒の機体が復活した――と知られるだろう。
(もちろん、レナにも……)
それだけではない。北極における統一連合の防御が強固になる、とも考えられる。
だが、オーレグは〈オルウェントクランツ〉の発進を停めようとはしていないのだ。
――まさか、そんなこともわかってないバカなのか……?
オーレグは、と付け加える。
『あのー、ミオさん?』
「……」
『お、怒ってますか……?』
と窺うトモカの瞳は、すでに涙目である。
「? あぁ、考えごとをしていてな」
『怒ってますか』
「べつに怒ってないぞ。それより――」
シークエンスをと、ミオは続けた。
〈オルウェントクランツ〉が重量軌道へ載せられ、カタパルトデッキへと運ばれる。
真っ直ぐなレールの果てにあるのは、星の瞬く漆黒の夜空。
ミオはそこでシステムEの構築が済んだ、という確認を得た。
トモカの能力――『二秒後の未来』が視えるというそれは、今回は出番がないだろう。
なぜなら、相手は「弱い」からだ。
彼女はうすく朱のさした唇をひらいて、
『システム、オールグリーン、レールカタパルト固定完了。進路クリア、状況ニュートラル、視界不良。〈オルウェントクランツ〉、発進してください。気をつけてくださいね』
ミオは静かに暝目し、ふ、と呼気を切る。
レールの先を睨んで、
「ミオ・ヒスィ、〈オルウェントクランツ〉――出るぞ」
限界の射出速度を得た漆黒の機体が、闇の空へ舞った。
さて、実は文化祭実行委員です。大学のねー。
おととい徹夜でしたが、今日も頑張って、頑張らないで? 生きてます。
さて、恒例の次話予告です。
予告。
レナたちの乗る〈フィリテ・リエラ〉は、ついに北極基地入りを果たす。
それと同時に飛び込む悪い情報……。
開発寸前の新型機、〈ツァイテリオン〉の姿は?
そしてキョウノミヤが一瞬だけ浮かべた醜い笑みの理由は?
次話、第三十六話「前夜」
物語はさらに加速する。