0秒後の未来
作者都合により、一日早くの更新です。
ロッカールームの中で、ミオは淡々とした作業を済ませていた。
シャツを脱ぎ、少し厚みのあるパイロットスーツを着込む。外見的には水中で用いるウェットスーツと変わらないが、スポンジゴム状になった生地は、やや強めの弾力性を示していた。金属に囲まれたコックピットの中で、これだけが自分の身を守ってくれる――水圧や気圧の変化にも負けず、生命維持を長く保つのだ。
「……」
ファスナーを首もとまで上げて、ミオは少しのあいだ沈黙した。
時計は出撃まであと五分を示している。いつもなら機体の最終調整を済ませているところだったが、ミオは急ぐ気になれなかった。
バタンとロッカーの扉を閉めて、ベンチの上に放られていたヘルメットを掴む。
いつもならそこにいる女が、今日は姿がなかった。いや――これからずっと、だろう。
ミオとレゼアはエースによる特別扱いを受けていたから、一般兵士とはロッカーが別だった。小さな部屋で、カーテン一枚の向こうは女子――もとい、レゼアの更衣室なのである。
ミオはカーテンに手をかけて、
「……入るぞ」
二秒、待っても答えがなかったので、ミオは勝手に入ることにした。
狭い――無機質で暗い部屋にある幾つかのロッカーのなかで、使われていたのは一つだけ。名札が貼ってあったから、一目見ただけでわかる。
誰の許可をも得ず、ミオは勝手にロッカーの扉をひらいた。
中には何もなかった。
(レゼア……あいつ、もう――いないんだよな)
扉を閉めようとして、ミオはある物に気がついた。ロッカーの下に、なかば放られたように置かれている――それはヘッドギアだった。
髪をまとめたがらなかったレゼアはヘルメットを嫌い、ずっとヘッドギアを代用していたのである。
『出撃時刻まで残り三分! 各パイロットは搭乗機体にて待機、繰り返す! 各パイロットは――』
ミオは自分のヘルメットを静かに置き、
「レゼア……――借りるぞ」
ミオは黒染めのヘッドギアを取り、漆黒の機体が待つハンガーへ駆け出した。何人かの兵とすれ違い、ミオは格納庫へと急ぐ。
「……遅れた。――状況は?」
ミオは慌ただしくヘッドギアを装着し、受け持ちの整備兵に尋ねた。
「――依然として変化なし! ですが、敵の数は増加中です」
「――了解した。機体を出せ、俺も出る」
はい、と勢いよく返事した整備兵は自分の仕事に取りかかり、ミオはコックピットへ飛び込んだ。
慣れた手つきですべてのシステムを立ち上げ、スイッチ、レバー、スロットル、フットペダルそれぞれの位置が正常であることを確認すると、ミオは機体の駆動音が高鳴っていくのを感じる。ほかのどんなときよりも、この狭いコックピットの中のほうが安堵を覚える――ような感じがして、ミオはひとつだけ吐息した。
漆黒の機体――〈オルウェントクランツ〉はすべてのシークエンスを済ませ、重量軌道に乗せられてカタパルトデッキへ向かう。
回線が開かれた。キョウスケだ。
〈やぁ、調子はどうだい?〉
「あぁ、すべてしっくりくる。問題はなさそうだ、さすがキョウスケだな」
〈それは嬉しいよ。あと、きみに伝え忘れたことがあるんだ。今日からきみにサポートを入れることにした、余計なお節介かもしれないけど、〉
「余計なお節介だ」
〈じゃあ、紹介するよ〉
……人の話を聞いてくれ。
モニターが切り替わり、その左下に新たなウィンドウと、オペレーター(らしき少女)の顔が現れた。可愛いらしい顔――で、栗色の髪を黄色のリボンでまとめているのが特徴的である。
少女は明るいピンク色の唇をひらいて、
〈初めまして、あなたがミオ・ヒスィさんですね? わたしはあなたのオペレーターを担当させていただくイズミ・トモカです! これから長いお付き合いを――〉
「……うるさいから黙ってろ」
少女はミオの言動に腰が引けたのか、ガチガチに凍り付いて何も言えなくなっていた。
キョウスケが割って入って、
〈イ、イズミくん。ミオは初対面の相手を警戒する習性があるんだ〉
ミオが「習性ってなんだ、俺は動物か」と言いかけたが、オペレーターのあまりの悲哀さに、何も言えなくなっていた。
少女は渇いた声で、
〈は、はは……死んじゃおうかな〉
〈ミオも、彼女の指示を聞くようにしてくれ。なるべくで構わない――それと、彼女には特殊な能力がある。仲良くしてやってくれ〉
ミオは首をかしげて、
「特殊な能力? ……わからんが、キョウスケが言うのなら、オペレーションはお前に任せる。……えっと」
〈ト、トモカです。イズミ・トモカ〉
少女は涙目を拭いたあと、きりっとした声でそう言った。それを見受けたキョウスケが安堵の息をもらし、ミオはすぐに眼前を見据えた。
視線が、デッキの向こう――曇天へと注がれる。
と、モニターに新たなウィンドウが現れた。いかつい北欧系の顔立ちに鋭い眼。
オーレグ・レベジンスキーだった。回線が通じると、すぐに見下げた口調で、
〈ミオ・ヒスィ、聞こえるかね? 敵は『セレーネ』の無人機がおよそ30機。〈ヴィーア〉も出そうかと思ったが、我々には余裕がないのでね。一人でやってもらうことにしたよ〉
「余裕がない? どういうつもりだ」
〈我々は、これから北極へ向かう。温存だよ〉
ミオは訝しんで、
「……北極?」
〈詳しい話をするつもりはない、言われたことをやればいい。その機体の力、発揮させてもらうぞ? それと技術班の話では、それが壊れたら予備はないらしいじゃないか。えぇ? 機体が壊れるときはお前が死ぬときだな。以上〉
通信は一方的に切られた。イズミもキョウスケも傍受したのだろう、黙ったまま反応がなかった。
ミオは口をひらいて、
「本当か。この機体が終わるとき、俺も終わるってのは」
キョウスケは無言のまま頷いて、
〈予備パーツもデータのバックアップもない――それが壊れたら、もう作り直せないんだ〉
「……なるほど、そうなれば俺は用済みというわけか。イズミ、機体を出せ。それと、相手は無人機なんだろ? だからシステムEは解除しておく」
オペレーターの少女は駿巡のそぶりを見せたが、なんとなく流れを悟ったのか、
〈りょ、了解です。システム、オールグリーン、レールカタパルト固定完了。進路クリアー、視界・状況ともにニュートラル。〈オルウェントクランツ〉、発進してください〉
ミオは瞑目して、静かに眼をひらく。
「ミオ・ヒスィ、〈オルウェントクランツ〉だ。出るぞ」
スロットル全開――駆動音が轟音の束となった。リニアレールが火花を散らし、漆黒の機体が猛烈な速度で射出される。
イズミが、会敵はすぐ――このままの速度を維持して、およそ二十秒後であることを告げる。ミオも、最大望遠で敵の姿を視認することができた。情報通り、およそ三十機が昆虫の群れみたいに集合し――いや、その外見も、まるで昆虫のそれに近い。
肉眼で確認できる距離になって、ようやく敵が攻撃を開始した。背部から小型ミサイルを噴出させ、口元からレーザーを照射したまま、こちらへ突っ込んでくる。
対する〈オルウェントクランツ〉は圧倒的な機動力でミサイル群とレーザーを回避、猛烈な速度ですれ違いざまに二機を切り刻み、さらにその対角線から攻撃しようとした敵機を撃ち抜く。
絶えず襲いかかるミサイル群を、機体を錐揉みさせて再び回避し、それらをシールドで受け止め、残りを撃ち落とす――だけでなく、ライフルから放たれたビームの矢は、同時に敵機をも貫いていた。
戦闘開始から十秒足らずで、三十機のうち七機が撃墜されていた。
〈す、凄い……〉イズミが驚嘆の声を洩らすが、ミオは相手にしていなかった。
これがASEE屈指――否、最強のパイロットであるミオ・ヒスィの実力である。
すかさず漆黒の機体は身を沈め、特攻してきた一機を蹴り上げて撃ち抜き、もう一機にはビームの刃を突き立てる。容赦ない攻撃によって爆散した二機は、炎に呑まれながら海中へと没した。
「……イズミ、状況は」
〈は、はい! 各方向、距離百から敵の増援です――数は十六!〉
「……」
見れば、左右はもちろん、上空にも敵機が待機していた。囲まれたのである。
どうやら、この昆虫みたいな無人機体は学習することができるらしい。少ない数で挑んでも無駄だから、今度は全員で――と学んだのだろう。
くそ、とミオは毒づいた。包囲網をつくられれば、この場を脱出することさえままならない。仮に一機を撃破しても、残りがその穴を埋めにくるからだ。
黙って見守っていたイズミが口をひらいて、
〈ミオさん、ここはわたしに任せてもらえませんか〉
「黙っ――」
〈いえ、あなたはわたしの言う通りに動いてもらいます〉
さっきまでとは違うイズミの口調に押されて、ミオが黙りこむ。
ただのオペレーターに何が出来る――と思っていると、
〈二秒後、後方向から攻撃です〉
「ハッ、なにを言うかと」思えば――とは続けられなかった。
アラート音が意識を突き刺し、ミオは慌てて回避態勢へ。レーザーが背後から駆け抜け、漆黒の機体すれすれで――反対側の敵機へ命中した。
「――」ミオは言葉を呑んだ。
〈さらに右方向からレーザー、その一秒後に下方向からミサイルが十二基。それぞれ回避ののち、敵機を撃破してください〉
アラート音が押し寄せ、その直後に右からの攻撃が〈オルウェントクランツ〉をかすめる。立て続けに襲いかかるミサイル群を回避すると、ミオは言われた通りの二機を撃破した。
いや――と、ミオは自分の耳、目、あるいは五感を疑った。
〈次、二秒後に三方向から特攻です。上昇回避してください!〉
言われた通りの回避運動をこなすと、〈オルウェントクランツ〉が元いた位置で、三体の敵機が弾けていた。最大速度で衝突したそれらは互いに潰し合い、惨めに爆散して炎に呑まれていった。
眼下の敵機――残った十数機が撤退を始めるが、ミオは呆然とその様子を眺めていた。
信じられない。いや、信じられるハズもなかった。
数秒後の攻撃予測……時間、方向も精確である。彼女がデタラメを言っているとは考えられなかった。
キョウスケの言っていた特殊な能力――という言葉が、脳裏に甦る。
オペレーター、イズミ・トモカが持ち得る特殊能力とは、未来予知だった。それも、一瞬が生死を分かつ戦場で必要な反射速度――『二秒後の未来』。彼女にはそれが視えるのだ。
敵機が撤退したことを告げるイズミが、おどおどした口調で、
〈あ、あの……やっぱり余計な口出しだったでしょうか〉
「……」
〈お、怒ってますよね……。はは、もう死んじゃおうかな〉
「……え? あぁ、ぼーっとしていてな。余計な口出しじゃなかったぞ、イズミ」
ミオが称賛の声をあげると、少女はパッと顔を輝かせて、
〈ほ、ほんとですか!? それは嬉しいですっ! ――と、わたしのことは今度から『トモカ』って呼んでくださいっ〉
オペレーターの席でくるくるとはしゃぐ少女の顔は、いたって普通の少女のそれだった。戦争も平和も関係ない、ただひたすら明るい笑顔だったのである。
ミオはそんな顔を見て嘆息したが、不思議と悪い気分ではなかった――そればかりか苦笑まで洩らしていた。
よし、と告げて、
「これからよろしく頼むぞ、トモカ。〈オルウェントクランツ〉、これより帰投する」
〈はいっ!〉
さて、今回は早めの更新だったり、遅れたりいろいろあってすみませんでした。
まぁ、気分屋なのでその辺(どこら辺?)は気にせずいきましょう。
……いいのかこれで?
予告。
補給のためハイゼンベルグ基地を経由し、レナ、フィエリア、イアルの三人に与えられた休暇。イアルはリハビリに尽きそうだったが、レナはフィエリアとともに彼女の実家に帰省する。
一方、離れた孤島にて、不穏な影を落とすフェムトと紅い瞳の少年。彼らの関係、描かれた軌道、そして「もう一人のミオ・ヒスィ」とは……?
次話、「偽りの彼方へ」
part-a,part-b,part-cの三部ですね。これからレナ、フィエリアを中心にしていくかもです。
あ、読者様の数が10000に届きそうです。こんな読者ウケしない作品が続いたのも、ひとえにあなた方のおかげだと思います。