apostle
お久しぶりです。
〈ゼロフレーム〉から救助された二人は、着艦するなりすぐに医務室へと搬送された――とりわけの異常があったわけではなかったが、トモカは機体が落下するときに頭を強く打っただけ、一方のミオは蓄積していた疲労が祟ったようで、二人は応急手当てを受けて眠っている。
片づけを終えてシャワーを浴び、レナは二人の様子でも見に行こうかと思っていた。〈ゼロフレーム〉の最後に何があったのかは知らないが、ミオの容態が気掛かりだったし、奪還された少女だって気になる。
猛烈に頭がいい、というのがもっぱらの噂だ。まるでレナとは対照的――がどうのとケンカ騒ぎになったのは余談だが。
「ほーんと、どんな子なんだろ」
濡れた髪をかわかしてパイロット用の浴室を出ると、廊下では先に上がったレゼアが待っていた。いつものように仏頂面のまま腕を組んで、廊下の窓際へ背を預ける姿勢――を見ていつも思うのだが、なんでコイツはこんなにスタイルがいいんだろう。と思いつつ自分もかとナルシスト気味な充足感を得たところで、
「お待たせ。ナルシストがほかってきたよー」
「? どうしたんだ急に?」
「や、なんでもない」
「気になるじゃないか。教えてくれよ」
「ちょ、なんでそんなどーでもいいトコ掘ってくるのよ!」
「掘る? 掘るって……アレか。やらしい意味か」
「話を逸らすなっ。絶対に違うわよぉっ!」
「この変態が」
「アンタにだけは言われたくない……」
変態に変態と言われるほど苦痛はないだろ――とかなんとか思いながら、二人は医務室までの廊下を進んでゆく。〈フィリテ・リエラ〉艦内は多忙というか、かなり追い詰められた状態に近いものがあった。考えてみれば当然、ASEEと統一連合という本部を失って以来、物資の供給はレゼアの人脈と中規模企業からの善意に限られている。つい先ほども補充機体とパイロットが輸送されてきたところだが――戦力にはほど遠い。
レナは神妙な面持ちで訊いた。
「セレーネからの次の攻撃は?」
「正直いって不明だ。敵の戦力は底なしに近いし、今すぐでもこちらを攻撃できるハズ……なんだが、それをしてこない。厄介なヤツらだよ」
レゼアは窓の向こう側――ここからだと慌ただしい様子の格納庫が見える――へ視線を投げて、鬱屈そうな溜め息をもらした。
格納庫では、先ほどの戦闘で傷ついた機体たちが修理を受けながら、次の出番のために控えている。その中にはレナの搭乗機〈アクトラントクランツ〉が見受けられたが、いま最も注目視されているのは〈ゼロフレーム〉だろう。
何が起こるかわからない、パンドラの箱のような兵器。それも現実の理論を覆してしまうほどの。レナはその真の恐ろしさを、ついさっき目の当たりにしたばかりである。
「着いたぞ」
レナは我に返った。認証用のパスコードを入力すると、自動扉はタイミングを合わせたように開いた――だが。
「……」
――出会いはサイアクだった。
なんて言ったらどこぞの恋愛小説の一節だろうが、たしかに出会いは最悪の光景だったとレナは思った。
ドアを開けたら、
部屋の央に置かれたベッドで、
口の回りをべちょべちょの赤に汚した女の子が、
食べ物に意地汚いとしか言いようのない女の子が、
お馬鹿さんみたいに惚けた表情の女の子が、
ハムをくわえたまま、じぃっとこちらを見ていた。
レナの鼻先で時間切れのドアが閉まるまで、二人はたっぷり三秒みつめ合っていた。ちなみに少女の口の周りについていたのはミートソースだ。
ドアが閉まる。
「……今のなによ? ホラー映画?」
「わたしが訊きたいぐらいなんだが」
部屋の中で何かがひっくり返った/ステンレス製のフォークが落ちた音がして、レナは突撃部隊みたいに部屋へ踏み込んだ。レゼアも一緒である。
「ど、どーしたのよっ!」
少女は見事な早業でベッドの下へうつ伏せに隠れた――つもりらしいが、残念ながら一瞬でお見通しである。頭隠して尻隠さずみたいな!
レナは姿勢を屈めて、少女へ問い掛けた。
「アンタ、なにやってんの?」
「しーっ、見ればわかるでしょう。隠れているんです」
少女は真剣な口調で説いた。
「ベッドの下なんて誰も思いつかないところに隠れていれば、あの二人はきっとアルマジロを目の前にしたライオンみたいに逃げて――」
「いーからさっさと出てきなさいよバカ。ってかライオンは逃げないし」
「え、ちょっ何するんですかそんな乱暴だけにランボーいやぁぁぁあっ!?」
「怒りのアフガンみたいなこと言ってんじゃねーわよっ! 出ろっつーの!」
レナはジャイアントスイングを決めるプロレス選手みたいな構えで、はみだした少女の足を引っ張ってやった――ベッドの下から引きずり出してやろうというのが魂胆だったが、一方の少女はジェットコースターに乗った時のような絶叫を上げながら、四つ脚のうちふたつを掴んで離さない。
一分間の格闘ののち、レナはあえなく敗北、ゼィゼィと息を切らしていた。一方の少女はというと、ベッドの下からにんまりとした笑顔でこちらを見てくる――コイツ完全に遊んでやがる。
腹立たしい気持ちを堪えていると、レゼアは小皿にハムを乗っけているところだった。
「……アンタも何やってんの」
「まぁ見てろって」
「?」
レゼアは皿を床へ置いた。皿を少女の手の届く位置からそろそろと離していく。
それからは何もかもが一瞬だった。閃光のような早業が炸裂し、少女の影がベッドの下から飛び出したかと思いきや、その身体はベッドのスプリングの上へ叩きつけられていたのである。
「ぐぅ……っ、なかなかやりますね」
「ふむ、お前もな。用意したハムは三枚――しかし皿に残っているのは一枚しかない。あの一瞬で二枚を飲み込んだ早業は驚嘆に値する」
もしかして置いてけぼりを喰らっているのは自分だけなのか――?
目を点にしたレナは漠然と思った。
この人たちは、何かの達人なのかも知れないと。
「――で、お前がイズミ・トモカで間違いないんだな?」
「はい」
「そうか。私はレゼア・レクラムだ。〈オルウェントクランツ〉のデータを受け取ったときは世話になった、いまでも感謝しているよ」
レゼアは話を続けた。
いまは統一連合から抜け出した高速機動艦〈フィリテ・リエラ〉の中にいること、どの軍にも属していないことや、これまでの経緯を含めた内容だ。トモカは呑み込みが早く、現状を把握してもらうまでに時間を要さなかった。
「単刀直入に訊きたい。あの少年、レーは何を隠している? いや、それだけじゃない……わたしが知らないASEEの地下構造、アレはいったい何だ?」
トモカはうつ向いた。しばらくして、
「……レゼアさん。現在の世界は、何発の核があれば滅ぼせるでしょうか」
「? おい、まさか――」
「その通りです。ASEEの地下空間には、廃棄条約から漏れた十数発の核が眠っています。震動による誘爆の心配はありませんが、レーという少年は、その気になればいつでも世界を終わらせられる。それだけじゃなく、彼は今までの戦争にも暗躍していました」
「……やはり、か」
「はい。ASEEに新型機の奪取を命じ、統一連合には反撃の命令を重ねていくことで――それも確実に、しかし誰にも気づかれない方法で」
「その方法とは?」
「……わかりません。ですが、おそらく彼一人の力ではないでしょう。やられたらやり返す――目には目を、歯には歯をという、人が生来にして持つ復讐本能を使ったんです」
その結果がこのザマか――と、レゼアは反吐が出そうな気分に陥った。
当てはまる言葉なのかわからないが、バタフライ効果という言葉がある――より理論的な表現では「カオス」に分類されるが、深い知識はない。
CHAOS。
完全な無秩序とは異なり、微弱な規則性を持った集合のことである。その値は常に振動し続け、収束することを知らない。
レーという少年は、戦争という手段を用いて世界をカオス的な状況へ陥れた――束縛から解き放たれた世界は文字通りの混沌と化している。それが現在だとすれば、彼の目的は……
閃くのと同時に、トモカが強く頷いてみせる。
「彼の目的は、世界を混沌から救うこと――そして二度と世界がそのような状態にならないよう、『約束された完全なる世界』を構築すること。全ての不確定要素を排斥し、全てが監視され、彼によって全てが統べられる世界。その途中で、彼は一人の少年を殺すでしょう」
レゼアは医務室の奥――四方のカーテンで仕切られているベッドを見やった。その隙間からは傷だらけ/包帯に巻かれ放題となった少年の端正な寝顔が窺える。
零と澪には、レゼアやレナを含む普通の人間では理解できないような関係がある――まるで互いを陥れるための運命の鎖だ。
複製。
だからどうした。ミオはミオで、それでいいじゃないか。
毎度のように言い聞かせる台詞を、レゼアは再び胸の内で復唱した。だけど、もしかしたら意識しているのは自分のほうなのかも知れない――。
「この世界で彼と同等の力を持つ存在は、おそらくミオさんだけなんです」
「いや…でもアイツは重症なメカ音痴だし寝相も悪いし風呂嫌いだし、コーヒーだって飲めないぞ。まるでがきんちょみたいに欠点だらけなんだが」
それは関係ないだろ…とレナは頭を抱える途中、重大なことに気がついてハッとした。なぜ寝相のことまで知ってる?
「って、おいっ!!」
「なんだ急にデカい声を出して。耳が痛いじゃないか」
「あ、いやなんでもない…」
「まったく、どーせまたヘンテコな妄想に浸っていたんだろう」
「ちっ……違うわよっ!! あたしは――」
「トモカ、よく覚えておけ。これが元・統一連合エースパイロット/レナ・アーウィンの姿だ。彼女は日に二十五もの妄想と痴想を繰り返し、THE・HENTAIの異名を取っている」
「誰も取ってないわよそんな異名っ。ザ・シリーズみたいに言うなっ!」
「つまり痴女なんですね」
「こらこらアンタも悪ノリすんなっての!」
ふたりは口元に手をやって、噂話を咲かせる奥さんみたいな仕草でヒソヒソ話。「まぁ、痴女なんて嫌気が差しますわね」「ホントですわねぇ奥様?」とか聞こえていやがる。なんだコイツら、本気でぶん殴ってやろうか――とか暴力的なことを思いながら、レナは青すじ打ったこめかみに指を宛てた。あーあ。先が思いやられる。
でも。
レナはベッドの上へ横たわる少年を見た。安らかな寝顔/地下空間へ行ってから――いや、正確にいえば研究棟に行ってから、彼は目を覚ましていないという。
(いつまで寝てんの。早く戻って来なさいよ、あのバカ……)
現状を打開するには/世界に風穴をあけるには、ミオと〈ゼロフレーム〉の力が必要だ。信じられないことにカッコつけた表現でいえば――世界は崩壊の危機に晒されているのである。
「痴女がなにやら考えごとをしているようですわ」
「まぁ? どーせまた痴的なことではありませんこと?」
「まだやってんのかアンタらはあぁぁぁぁっ!!」
こめかみグリグリの刑が炸裂した。
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「また……此処か」
目を開けると、ミオは光の届かぬ海の底にいた――無意識と意識が織りなす、誰もが持っているハズの心の領域。
「誰かを殺すために生まれたのなら、俺は……そんな人間が、この世界に存在していいワケないだろ?」
泣きそうだ。
ずっと知りたかった――自分が生きていて良かったのか、この世界を歩いてゆくことが正しいのかを。そのために力を手に入れた。だけど、それでも答えは得られなかった……どころか求めたものは遠ざかっていくばかりだった。
だけど、自分は誰かのコピーに過ぎなかったのだと。そして自分が生まれた理由は、誰かを殺すためなのだと。兵器なのだと。
「俺は…この世界が……」
みんなと出会った。
楽しそうで、笑っていて、自分にはない――
自分にもそんな生き方が出来たら、どれだけ救われたことだろう?
だから、自分は、この世界が、
「……憎かった」
ミオの中で、何かが崩壊していった。
ゆっくりと。しかしそれは確実に。
ネタ切れ間近で一ヶ月に一度が限界なう。