trigonometric
「はい、これで十七ッ!」
深紅の機体は横薙ぎのサーベルを捌いて、無人機の頭部を切断した――途端に動かなくなった敵機は心停止にでも陥ったように崩れ折れる。鋼鉄という自重に縛られた機動兵器は、わずかでも動きを弛めればこのザマなのだ。
東京の市街地まで溢れだしてきた無人機も、レナ、イアル、フィエリア、そしてレゼア率いる残存部隊の働きによってあらかた片付いてきたようだ。十分前よりは数がだいぶ少なくなっている――とは母艦に留まるフェムトからの報告である。
「で、ミオは大丈夫なの?」
『……わからないわ。電波妨害が激しすぎて追跡不能』
「あのバカ、無事なんでしょうね」
『それもわからない。だけど、信じる』
冷淡とも思える短い言葉で、しかし確固たる口調でフェムトは言った。
そう、今はウジウジ考え込んでも仕方ない――信じられないことに、世界の命運が懸かっていると言っても過言ではない戦いなのである。
(このあたしが、ね……)
なかば信じがたい事実に、レナは思わず嘆息した。
『ジャミングが晴れました、地下空間で戦闘が集結した模様。っ!?』
「どしたの?」
『膨大な熱量を感知/発生源は――〈ゼロフレーム〉です。でも、これは……』
異常。
そう言おうとしたフェムトの耳に、別の警戒音が飛び込んだ。数は二機。それらは地下への侵入路から躍るように現れて、アスファルトの上を疾風のように駆けてくる。
『デルタ11から敵機出現。識別コード/死喰と、もう一つは不明――各機は警戒してください。かなり速いです』
「わかったわ。イアル、フィエリア!」
レナが応じて同僚を呼び戻すが、彼らの返答はすぐには戻ってこなかった。
やがて緊張した二人の声が、
『お、おい。どういうことだよ、これは……!』
『何故…どうしてあんなものがあるのですっ!?』
メインカメラが映像を捉える。
なによ、とレナは目を細めた。
空戦の背面パックを装いながら地面を滑走してくる機体は鋭角的なフォルム/白に限りなく近い灰色をした装甲――それはまるで、イアルとフィエリアが北極で受領した、
『どうして俺たちと同型の機体が、ここにいるんだよ!?』
失われた三機目。
そう名づけられた〈ツァイテリオン〉は上空へと飛び上がり、ライフルを三射/身構える間もなく狙われたイアルが慌てて盾を掲げ、なんとか攻撃をしのいだ。
『なんでコイツが、こんなところに――』
『そんなの後回しにしろ! いまは迎え撃つぞッ!!』
獲物へ襲いかかるトンビのように低空飛行した白樫色の機体――それは地面から凄まじい勢いで跳躍した〈ヴィーア〉を見咎めるとあざ笑うように上空へと逃げていった。空戦タイプが相手では、射撃兵装を持たないレゼアの特別機では相手にならないだろう。
急旋回して間に割り込んだレナが敵機へ収束砲を放ち、火線を避けて逃げ回るそれに追い討ちを仕掛ける。呆気にとられていたイアルも態勢を立て直して臨戦/下からの援護砲撃と〈アクト〉の機動力が敵を挟撃の背に立たせた。
『我々のやるべきことは決まっているな。レナとイアルは安心して任せよう、アイツらずっとイチャついてるからな。腹が立つ』
『……そ、そういう問題なのですか?』
冗談だよと告げて、レゼアの翠色な瞳が敵を見据えた。
真っ直ぐに延びた道路の遥か先――地獄の番人のように立ち構える暗闇色の機体〈リヒャルテ〉。世界ランク2とも称される傭兵の搭乗機である。油断は許されない。
情報だのなんだの、こしゃくな手は関係ない――全力で立ち向かい、この拳を打ちつけるのみ……!
風にはためく黒衣を剥いで、〈リヒャルテ〉は大鎌を抜いた/臨戦態勢。
大丈夫だ。怖くない――レゼアは胸の内に語りかけた。
「さぁ、死神退治といこうか……!!」
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それはどこか、延々と長いトンネルの中を歩いていくような心持ちだった――〈ゼロフレーム〉を置き去りにして外へ飛び出し、ミオは耐衝撃シェルターの奥へと進んでゆく。蛍光灯は通路の脇に二十メートルごとに左右、それもところどころ割れ落ちているものだから、廊下はさらに闇色を濃くしている。
「……」
この奥に――もしかしたらこの最奥部に。
直感でしかない不安が、鼓動にスピードと圧迫を与えてくる。心臓が破裂しそうだ。
judge_not_____that ye'be not judged.
誰にも裁かれないために――聖書にちなんだ落書きの前を通過し、誰もいない階段を踏破し、階の表示はついに[B-15]から[B-FF]へ至る。
(……)
教会だ。
幻想的な雰囲気のなか、ミオは無言のまま立ち尽くした。遠い過去、自分はここで過ごしたような記憶が蜃気楼のように漂ってくる。そこでは数十人の子供たちが一緒に過ごしていて、でも生き残ったのは自分しかいなくて――
忌々しい記憶を振り払うよう、ミオは首を横に振った。
血糊のような褐色の文字が、床へ敷かれた絨毯へ滲んでいる。
__sin[θ]。
原罪を示す文字から目を逸らし、ミオは教会の入り口を開いた。
「……トモカ?」
彼女は教会にある木製ベンチ――などと言っては失礼極まりないが、正しい表現に換えれば入り口のやや手前まで連なった席の、前から二番目にちょこんと収まっていた。
振り返る。以前はキッチリまとめられていたハズの栗色の髪はボサボサで、泣きそうな笑みが広がった頬にはそばかすも出来ているようだ。
ミオは喜色の笑みを浮かべた――と、それよりも早くトモカが胸へ飛び込んでくる。
「……久しぶりだなごぶぁっ!?」
鳩尾へ衝突/ミオは勢いよく後方へ吹っ飛ばされて二転三転、床へ頭を打ちつけたところで悶絶したが、それでも飽き足りないトモカは追随/水泳の飛び込み姿勢で(床へ伸びたミオへ)ダイブしてくる。
咳き込んでから、
「……お前な、人の胸へ飛び込むときは加減しろよ。せっかくの感動が台無しだぞ」
「このミオさんはモノホンですか」
「モノホンとか言うなバカ、俺は本物だ。待たせたな、迎えに来た」
立ち上がるべく、ぐっと力を込めた――が、飛びついたままの姿勢の少女はミオの肩へ爪を立ててくる。その感触がどうしても愛しくて、もう少し伸びたままでもいいかな、と思い留まった。
今までずっと寂しさに耐えて、監禁に等しい扱いを受けて――ここで自分がそれを許してあげなかったら、彼女が可哀想だ。
「……寂しかったか」
いつものぶっきらぼうな口調を守って、しかし優しい声でミオは問いかけた。
返事はやや遅れて、「はい」と戻ってくる。
「もう大丈夫だ、あとは任せろ。すべてを受け止めるために俺がいる――それだけじゃなく、今はみんな戦ってる。だから、俺たちも行こう」
「はい」
「声が小さいぞ」
「はいっ」
「もっと!」
「はいっ!」
今度こそ立ち上がって、トモカはニッコリと笑ってみせた。
――ようやく来たね。
洞窟にでも反響させたような声が、ミオの神経に触れて逆撫でした。なにもかもを見透かして気取った声――ミオはその場で振り返る。
ポケットへ両手を突っ込んだまま、紅い瞳の少年は祭壇の前に立っていた。ミオと似た髪質、身長やスタイルに至るまで――それはまるで影のようだったが、眼の色だけが決定的に異なる。まるで罪を思わせるような紅い瞳が、ミオの網膜を捉えていた。
「……レー、か」
返事をするより早く、少年は指をパチンと鳴らした。途端、いままで合図を待っていたかのように飛び出してきたのは特殊戦闘服と黒いゴーグルを装備した連中だ。全員、ともに屋内用のサブマシンガンを携行している――そこまでを素早く認識して、ミオは座席の裏側へトモカを押し倒した。
見合わせたようなタイミングで、弾丸の軌跡が頭上をかすめる。
「ちょっ、ミオさんこんな場所で……あ、んっ…そんなの」
「ち、違げーよバカッ! お前なら連中に殺されないハズだ。小さく隠れてろ!」
特殊部隊の六人は教会の四隅と左右に分かれ、隠れた二匹のネズミを包囲すべく動き始めた。このままでは危ない――とジャケットの胸ポケットをまさぐったミオの手は、自動拳銃をグリップしていた。
「目、閉じてろ……怖かったら。できれば耳も塞いでおけ」
返答を受け取るか否かの間際で、ミオの身体は連席を蹴って飛び出していた――不意を突かれた敵隊員の背後を完全に出し抜き、振り向きざまにトリガーを絞る。
撃たれた敵は苦しみの咆吼/その脇をすり抜けて次の敵へ襲いかかる――だが、その挙動を射線が阻んだ。ミオはうめきながら連席の間へ逃げ、反撃のチャンスを窺う。
「……」
明るい色の木材を掴んで放り投げ、ミオは敵の意識が逸れた瞬間を見逃さなかった。注意の隙を縫って左から飛び出し、機銃による射線をくぐって懐へ/強烈な蹴りが相手の顎を砕いた。
それを見た仲間の一人が、
「こ、コイツ!」
「……殺されたいのかよ」
「ひっ!?」
ミオは隠し持っていた自動拳銃を引き抜き両手へグリップ/左右の腕を交差させて百八十度に開くと、部屋の対極にいた二人を撃ち殺した。残虐な光景に怯えた隊員の一人が武器を捨てて逃げ出し、残りの一人は意味不明な叫びを吐きながらマシンガンを乱射し始める。
「……狂ったか」
「うわ、あぁぁあぁあああぁぁッ!!」
「俺もそちら側の人間ということだ。悪く思うなよ……!」
ミオはスルリと滑るような速さで敵の背後へ回り、後ろから組んだ腕で喉首をホールド/細身からは想像もできないような力で締め上げる。
数秒後。ごきり、と角材が折れたような音がして、敵は二度と動かなくなった。
「……トモカ、大丈夫か?」
真っ先に駆け寄った先で、少女はまだ目と耳を塞いでいた――銃声が聞こえなくなったのを悟ったのか、まず最初に耳から手を離す。
「……いや、いい。目はまだ瞑っておけ」
少女の手を引いて、ミオは前へ進み出した。まずはともあれ、レーを追わなくてはならない、と祭壇の奥の通路へ急いだ。紅い瞳の少年はここから消えたハズである。
「目、開けていいぞ」
ふ、と閉じていたまぶたを開くと、トモカは周囲を見渡した――最後にミオを見る。少年は口元を柔らかくして笑んでみせたが、その姿は殺した敵の血を浴びていた。
「俺が、怖いか?」
「えっと、……はい」
「だけどもう少しの辛抱だ、とりあえずレーを追うぞ」
ミオは暗闇へ眼を凝らした。
どうやら敵の追撃はないみたいだ、と息を置ける安堵も束の間――通路の構造がわからない。
「あ…わたし、この場所知ってます!」
「案内できるか?」
「はい! 深いところまではわかりませんが、なんとかなりそうです。でも……」
言って、不安げな瞳がミオを捉える。
この先に進んだらどうなるか――自分だって、わかりきっているのに分からない。禁断の場所へ足を踏み入れることが何をもたらすか、それはまさに混沌だ。
「俺は大丈夫だ――覚悟はある。いつか受け容れなきゃならないんだ。自分が生まれた理由、そして自分が此処にいる理由を。だから、怖くない」
「……。わかりました。でも、ミオさんは一人じゃないですから」
「うん。行こう」
柔らかいぬくもりに満ちたトモカの手が、ぎゅっと右手を握りしめてくれる。
笑みを返すと、二人は暗闇へ一歩を踏み出していった。
ようやく合流することが出来たミオとトモカ。
二人はASEE最深部、前人未踏、そして禁忌の場所へと進む。
そこに見えたのは――。