(最終章10話)享受と徳と道~第109章~
『享受すべきは生きる理屈か。享受は、ひにくではない 10話 スーパースポンサー』
宗教や国教になってくると、どんなに宗教がキライでも、ムダなことがある。自由意志だ。
無責任に国が宗教製造するか、国そのもの共依存した創造体こそ国教かもしれない話。
スーパースポンサー(大支援団体などのこと)は、ダンジョンアンドドラゴンVRR-MMOスーパーネットワークゲームに実在する。
人工学術知能会議すなわち、全人工知能国会などといったものごと国教になればスーパースポンサーとして国教になってしまう。
つまりは、大医学門大技術仮想現実(MR)ハイパーリニューアルゲームというダンジョンアンドドラゴンは、国から国まで資源。
ダンジョンアンドドラゴンゲームが布教(ふきょう ゲーム説明用語 国教へのオススメなどのこと)している答えはない。
だがダンジョンアンドドラゴンゲームこそ信仰心を集めるのであれば、お祈りのみのお祈りと違う可能性理論をだすことになる。
気をつけてほしいのはスーパースポンサー(大支援団体などのこと。財政支援全団体。)から、国教になるのであれば悪知恵だ。
どんなに命を助けていたとしても宗教や国教は、キライだし、受けいれられないゲーム。それらこそダンジョンアンドドラゴン。
そしてダンジョンアンドドラゴンVRRMMOスーパーネットワークハイコミュニケーションコミュニティゲーム全体は宗教を全否定。
『どんなに、国を助けて、国への救いだろうが、その信仰心こそ国教。すなわち、無責任の信仰心である。』
『ダンジョンアンドドラゴンゲーム本体そのもの責任はないし、義務教育でいう信仰心でもない答え。』
『結果論としてダンジョンアンドドラゴンゲームは無責任な布教は許さないし、国教でもつながりをもちたくない大学問。』
~続く~




