(最終章10話)享受と徳と道~第109章~
『享受すべきは生きる理屈か。享受は、ひにくではない 1話 王と王位と王朝の理屈』
王と国では、軍と将軍には、なれない。正当性をもつ正統王位と、軍や将軍を正統騎士なので完全保有する王朝は対決する。
王朝と朝廷は未来の享受(きょうじゅ ゲーム説明用語 許し、認められる心の存在意義など)であり、やることは同じである。
在位年数は、ちからになるが、王朝在位年数のやり方であり、伝承方法の王朝だ。すなわち、王朝がちからをだすのは王の治世。
つまりは、王と国と将軍は、戦時特例の正式名前どおり、軍だから軍。同じ存在が名前を変更しているのであってゲームと違う。
王は国への治世を、もたらすのではない。王だからこそ、軍の存在意義を完全認識させる。将軍だからこそ軍の権力はない。
意味ある治世こそ、王朝在位年数であり、生きている統治(とうじ ゲーム説明用語 統率のとれた国などのむれ)の世。
VRR-MMOゲーム純文学問と同じなのはむれのちからであり、むれのちからだからこその使い道。むれの王朝力だ。
そして、理屈に、おちいるのは、王位ではない。王位と在位の間違いの年数誤差であり、王朝への補正による修正力。
伝えることは何より、王の現代語こそ、国だった、まとめる、やり方。王者と賢者。
王朝に生き続けるのは賢者の現代語であり、王者とは王座のことではない。王座こそ、みがくべき心。
そうだからこそ、王と王位と王朝の理屈なんてものは本当にない。成立した学問と、達成した大学問に差別化による力量もない。
『ダンジョンアンドドラゴンVRR-MMOスーパーネットワークゲームというのは王朝と王朝の学び場所であり、ゲームも朝廷。』
~続く~




