がっこうに行きたいチンパンジーが庭先にあらわれた
――――この小説はフィクションです。実在の人物や類人猿や団体などとは関係ありません。
フィクションとして楽しめそうにないとお感じになった方は、どうぞなかったことにして、その時点でただちにブラウザーバックしてください。
これは、たのしめそうにないあなたのために書かれた小説ではないのですから。
チンパンジーはがっこうにいきたい。
オウ。野生の、服を着たチンパンジーと目が合ってしまった。今、まさに。
ああ、まさかチンパンジーともなれば、野に放たれれば恥を覚え服をまとうというのか。
端的に言えば、洗濯物泥棒を目撃してしまった。犯人は体毛のうすら淋しいチンパンジーである。
念のために言っておくと、ここは日本である。内陸部の某市郊外である。
しかも着た服の代わりにか、律儀にも木の実のお礼が置かれている。
分かります。それ近所のさくらんぼの枝を手折らはりましたよねぇ? ええ、ご近所さんご自慢の木ですとも。しかも成長が遅い分甘い品種なのだとか。これ後でご近所に菓子折り平謝りも、ぶぶ漬け案件ですよね?
しばし目があった。
チンパンジーは件の枝を手に取って、地面に書いた。嗚呼さくらんぼが揺れている。世の中ってなんて無常なのだらう。
「たのもー」
日本語だった。ひらがなだった。
頭を抱えた。
これはなんて非現実なんだろう。どこかの研究所から逃げてきたのだろうか。
「ぼくは れいちょールい ひとぞくひとか だから じんけんが ひつよー」
しかもそのチンパンジーは、服を着て、文字を書いて、ジンケンとやらを主張している。人権、すなわち、ヒューマンライツ。ホッブスの『社会契約論』がいうところの自然権。旧約聖書の楽園で保障されていた基本的な権利である。
ますます頭が痛くなってきた。
「こーそく いほー ぼくは はんざいしゃ ない」
「きほんてきじんけん けんぽう」
「こーつールール まもル いいこ する」
「しょーがっこー いく したい」
残念ながら、小学校に通う権利までもをチンパンジーが有している国はたぶん世界のどこにもないと思われる。もしかすると就学前児童同等の人権を保障する某オセアニアの国であれば、幼稚園なら通えるよう交渉する余地があるかもしれない。
しかも彼は交通規則という義務を守ることを引き換えに、権利を主張しようとしている。彼は義務と権利がセットであることを理解しているのである。
間違いない。彼は少なくとも野生ではなく逃げ出したチンパンジーである。
あゝこの光景がシュールに見える我が価値観が古いのであらうか。
思わず旧仮名遣いになってしまったのも致し方あるまい。
確かに現生人類とチンパンジーのゲノム差は単一塩基では1.2%前後に過ぎないと言われる。繰り返しや順序の入れ替えなどを含めるともう少し離れているものの、それでもチンパンジーとボノボはもっともヒトに近しい種として、ヒト上科ヒト科どころか、ヒト亜科ヒト族(ここまで現生人類と同じ)チンパンジー亜族チンパンジー属として扱われるようになった。
現に、700万年BPの猿人、サヘラントロプス属やオロリン属など二足歩行をする幾つかの猿人などよりも、480万年BPに分化されたとされるチンパンジーやボノボのほうが近縁である。ヒトはヒトたるアイデンティティーを再考する時期にあると主張する学者も二十一世紀には何人も存在するのだ。
彼らの種族は遺伝的見地からみれば、我々と同じ人間なのである。
もっといえば、オンライン冒険ゲームの種族選択上では、本来エルフやドワーフなどと同列に並んでいてもおかしくないのだ。むしろエルフだのドワーフなどと呼ばれるのも残されたネアンデルタール人や原人を指すのではなかろうかとまで思ってしまう。
それ以来、このチンパンジーが主張するように、チンパンジーに基本的人権が付与されるべきかについても議論がはじまっている。ニュージーランドでは他者の幸いのために拷問を受けない権利が認められて久しい。それは実験動物にならないための権利である。アルゼンチンではパーソンとして拘束されず自由に生きる権利が認められた。オーストラリアでもアメリカでも類人猿に一個人としての人権を適用すべきか、係争があった。
しかし、ここ日本は恐らくチンパンジーの人権保障に関しては最も後進的な国のひとつである。
日本において彼らはもっともヒトに似た成果の出せる実験動物に過ぎない。当然のように本人の同意なく、檻などで監禁されているとも言える。
これぞなんたるディストピア構造社会。
はてさて、いったいこのヒトであることを主張するヒトとの境界線にある一個の存在をどのようにすれば良いのであらう。
彼はすでに目覚めたパーソンである。ヒト科ヒト族チンパンジー属のブッダである。
その上で、彼はすでに法律の順守という義務と引き換えに己の権利を手に入れんと、行動までもを起こしている。
文字の形どころか、書き順までを覚え、日本語を言語として用いて、さらなる教育を求め、己の人権を主張する生き物が、果たしてひとでなければなんだというのだろう。
「ぎむきょーいく けんぽーほしょー」
「すとれす はげ じんけん」
「んじぃ がっこー いく」
「んじぃは ぼく」
しかしながら、彼がヒトであると仮定すれば、実のところ彼は基本的人権を主張するにあたり、致命的なミスを犯している。
何を隠そう、さきほど交通規則を遵守することを誓った彼ではあるが、彼はそもそも刑法第2編第22章174条を重視するあまり、第36章235条を蔑ろにし、未遂にあたる243条の条件を満たしてしまっている。
すなわち、彼がヒトであるとするなら、私が被害届を出せばお縄を頂戴する犯罪者そのなのである。
そしてなにより法を重んじれば、いくら本人がヒューマンライツを主張していたとしても、彼はこの国の法律上、動物愛護法に基づく特定動物に過ぎない。
彼は某国の類人猿とは異なり、ただの逃げてきた実験動物なのだ。
法を知るヒト科の脳を持とうと、その悲しみを己の言葉で書き記そうと、実験のせいか人間関係に疲れたせいかは分からないが、そのストレスからハゲを拵えようと、義務と権利を弁えてヒトであらんと思考してもなお、彼は決してこの国では同じことを思考する幼児同等の権利を持つ者とは決して扱われないのだ。
なんだかそのことが、やけに理不尽に思えた。
「オッケー洗濯どろぼうさん。とりあえず、はだかは公然わいせつ罪だから服を着ようと試みたことは褒めてつかわそう。しかし、他者たる民家の庭先に干された服を無断で着ることは、そして他者たる民家の庭木を手折ることは、等しく窃盗罪という犯罪なのだ。でもまあ、君がひとであろうとするなら、私はそれを支持する。だから、ンジィとやら。まずはパンツを穿きなさい。話はそこからだ」
「ありがとー」
待ちなさいと、濡れタオルを用意すれば器用に手と足の裏を拭いて、一礼を忘れずに家に上がる。
オウ、その社会的行動はどこで覚えたんだ。
ガラスの向こう側でそんなやりとりを見つづけてきたのだろうか。それとも罪深い誰かが教えてしまったのだろうか。
おまけにさりげなくこの手のなかには木の葉木の実つきの枝が揺れている。濡れタオルと引き換えにうっかり受け取ってしまったのだ。ちなみに憎き毛虫はいなかった。ああ、ついにさくらんぼどろぼうの片棒を担いでしまったではないか。すぐにでも御池で黒糖鉾菓子でも買うて謝りに行かねばなるまい。
本当に、心から頭が痛い。
だってこれは、人体実験にストレスを感じ、覚りを開いたチンパンジーのンジィが、ヒトであろうと権利をむしり取っていくのしあがりの物語に違いないのだから。
いや、むしろそうでなくてはならない。
少なくとも家にあげてしまった私だけは、その未来を信じる尾無の一員でありたいと願う。
――――この小説はフィクションです。実在の人物や類人猿や団体などとは関係ありません。
また作中で述べられた学説は一説にすぎません。
主に2001年時点での新説を基に描かれており、現在の通説ではないものも多く含まれておりますのでご留意ください。