殿下、わたくしのパンツ返してください
銀色のまっすぐな長髪に、花を凍らすような水色の瞳。
彫刻品と思われるような変わらない表情を持つ、氷の女王。
それが彼女、ルティに対する一般的なイメージだ。
だが、今現在ルティの表情は顔を真っ赤に染め上げ、目元を吊り上げ、淑女らしからぬ足取りで廊下を進む。
(殿下、許しませんわよ!)
ルティは頭に婚約者である王太子、イルンの姿を思い浮かべ、ぷるぷると怒りに震えた。
イルンはルティの二つ上の十七歳で、天使のような金の髪に、大地を思わせる緑の瞳を持つ人気者だ。
だからこそ、交友を広めるための学園に入学し、周りにいろんな人、女性が来ようとも、平等であるべきだと我慢してきた。
けれど、近頃ではとある男爵令嬢に熱を上げているやらの噂が多く、昨日ついに草むらにしゃがみ込み、顔を近づけ…という姿を目撃してしまった。
堪忍袋の緒が切れるとは、このことだろう。
学園が休みになり、イルンが出かけることも少ないタイミングを狙って訪問したのだ。
(浮気者など、ごめんです!)
この婚約は、イルンがルティをお茶会で見かけ、付きまとい続けて婚約に持ち込んだものだ。
最初は引いていたものの、大切に扱われ、自分もイルンを好きになっていたと気がつき、告白をしたのが三年前である。
それからは、さらに仲睦まじく過ごしていたはずだった。
学園に入学した十二歳の時には、イルンはルティから離れたくないと駄々をこね、護衛を困らせ国王と王妃に怒られていた。
男爵令嬢もルティと同級生で、その事件は絶対に知っている。
(あの方を好きになったのならば、さっさと婚約解消してもらわないと!)
つかつかとヒールを鳴らしながら、ルティは目から雫を数滴落とした。
ルティはイルンが大好きで、大好きで仕方がない。
そんな彼が本当に愛する人を見つけたのならば、ルティは応援するしかないのだ。
婚約解消をするにもかなりもめるだろうが、自分の功績を生かして神殿に入りたいと言えば、何とかなるだろう。
イルンの自室にたどり着いたルティは、護衛に扉を開けてもらい部屋に足を踏み入れた。
「ルティ!あぁ、今日も会えるとは…!午後から行こうと思っていたのだ!!」
しっぽを振り回す犬のようにはしゃぐイルンを、ルティはグッと押し返す。
不安げに顔を覗き込んできたイルンはぎょっとした表情をして慌て始めた。
ぽろぽろと大粒の涙をあふれさせ、立ちすくむルティに、控えていた侍女は護衛に目配せする。
お前の主が泣かせたのだ、どうしてくれる、と恨みこもった視線を受け、護衛は冷や汗をかいた。
「殿下、わたくしの、わたくしの…」
「うん、ちょっと待って。涙を拭こう」
婚約解消を、と続けようとしてルティはぴしりと固まる。
ポケットからハンカチを取り出したイルンの足元には、ルティが探していたものがあった。
護衛と侍女は引くついた表情をこらえ、二人を見守るしかない。
「おっと、汚してしまう」
そう言ってイルンはハンカチとともに出てきたそれを、大切そうに愛おし気に折り畳み、再度ポケットにしまい込んだ。
「殿下、わたくしのパンツ返してください」
「君のだという証拠は?」
そう、イルンのポケットから落ちたのは、二週間前に洗濯に出したものの紛失されたお気に入りの下着、パンティーだったのだ。
外見にあわないからと、かわいらしい服装をさせてもらえないルティは、見せることがないのだからと下着を母親に頼み込み、かわいらしいものを数点買ってもらった。
その中でも一番お気に入りのリボンとレース、フリルをふんだんにあしらったパンティー。
特製品でもあるから、見間違えようがないのだ。
「一点ものですの」
「うん、ルティが好きそうなデザインだ」
「なんで持ってますの?そんなにわたくしが嫌い?」
煌々とした表情で答えるイルンに、ルティは涙を引っ込めて掴みかかった。
嫌な予感しかしないと思った護衛と侍女は、そっと息を殺して壁と同一化する。
本音は部屋から逃げ出したいが、未婚の婚約中ではあるが男女を二人きりにはできない。
グッとこらえて心を無にする。
「ルティを嫌いになるわけないじゃないか!」
「下着を盗むとか嫌がらせでしょう!?」
「盗んでいない!借りているだけだ!!」
「貸した覚えはないですし、どうやって持ち去りましたの!?」
べしべしと自分の胸元を叩くルティを見下ろして、イルンはにっこりと笑って首元にぶら下げていた笛を鳴らす。
バサバサと羽音を立てて窓際に三羽の白い鳥が降り立ったのを見て、ルティはぎょっとした。
昔から庭に遊びに来る三羽だったのだ。
つまり、この三羽のどれかが下着を持ち去ったのだ。
「二週間前に持って帰ってきてね、においからルティのだって気がついたけど、学園で返すわけにもいかないし、ルティがそばにいてくれる気がして…」
「まぁ…、そうでしたのね」
なら仕方ないのかしら?と続いた言葉に、壁と同化した侍女は異論を唱えたい。
なぜ、においで分かるのか、一国の王太子が女性ものの下着を大切に忍ばせているのはどうなのかと、いろいろと苦言したかった。
「大丈夫、いかがわしいことには使っていないから安心してくれ」
きりっとした表情で侍女に頷いてきたイルンに、護衛は未来が心配になる。
いずれこの方が王になるのかと、恐怖に襲われた。
「いかがわしいってなんですの?」
「結婚した時に教えてあげる」
「まぁ、楽しみにしてますわ!……って待ってくださいな。イルンは好きなご令嬢が他にいるでしょう!婚約解消してください」
本来の目的を思い出したルティは目元を吊り上げて声を荒げる。
徐々にひんやりとしてきた空気に、護衛は足が震えて逃げ出したくなった。
大切そうに下着を持っている時点で察してはいたが、この王太子はヤバイ。
「ルティ以外のって本当に言ってるの?」
「み、見たんですのよ!昨日、ソレーユ男爵令嬢と、顔を近づけ…キッ、キスするのを!わたくしには手にしかしてくださいませんのに!」
涙をあふれさせて告げるルティを護衛は二度見した。
あれだけ仲睦まじい姿を見せていたのに?と侍女に目配せをする。
侍女も同じことを考えていたのか、ルティが怒るのも仕方がないと同情した。
一方でイルンはとろけそうな面立ちで、ルティの手を取って自分の頬へと誘導する。
「あぁルティ可愛い。嫉妬してこんなに泣きはらして…。大丈夫、ソレーユ令嬢は同志なだけだ。あれは彼女が持っていた書類を見ていたんだよ」
「同志…?」
ルティの手に軽くキスを落としたイルンは頷いてポケットからパンティーを取り出した。
ハッとしたルティが取り戻そうと足掻くが、簡単にかわされてしまう。
「わたくしのパンツ!返してくださいな!」
「嫌だ。ルティに一番近いのを持っていたい。そうだな…ならルティも私のパンツをもっていけばいいだろう」
謎理論に、ついに護衛と侍女は逃げ出した。
早く王に報告をしてどうにかしてもらわねば、この国は滅びてしまうだろう。
取り残された二人はじっと互いの目を見つめあう。
イルンは真面目に考えていると諦めたルティはため息を一つこぼして両手を挙げた。
「降参ですわ。本当にイルンは考えていることが分かりません」
「一年後の結婚式後のために、もうしばらく貸してくれるか?」
「仕方ないですわ。その代わりイルンの一番の下着をお貸しくださいね」
「もちろん。あ、相談なんだけど、新しい水道を作るならここと、こっちと、あとどこが必要だと思う?」
「雨で汚染されやすい、この区間は早めに処置した方がいいでしょうね。多くの方が亡くなった過去もありますし…」
イルンの腕の中で、壁に飾られた地図をジッ…と眺めて指さすルティになるほど、と頷いて提出するために文章を組み立てていく。
この国は雨量と感染病が多く、特効薬の開発も遅れていたが、ルティがイルンのためにと奔走して、被害を半分に抑えられるほどの時代になってきた。
土砂に対する対策はまだまだだが、あと二年ほどで被害を半分にできるよう計画書を出している。
優秀な婚約者は本当はかわいらしいものが大好きだが、イメージのためだと我慢しているのが辛いとイルンは常々思っていた。
だから下着ぐらいは、と愛鳥を使い調査し、可愛いものが好きでデザインが得意だという男爵令嬢に仕事を依頼したのだ。
学園でしか会わない間柄なのもあり、いろいろと噂を立てられたのはイルンの落ち度だと自覚しているが、ルティに似合う可愛い下着のためなら致し方ない。
「一年後は、我慢しなくてよくなるからね」
「何をですの?」
可愛く首をかしげるルティにイルンは指先に口づけた。
ただでさえ可愛らしい婚約者と口づければ自制心が壊れてしまうのは間違いない。
新婚期間になれば、多少壊れてしまっても見逃してもらえるはずだ。
それまでは我慢をしておかなくては、と天使のような外見を持つ王太子はにこりと笑って大好きな婚約者を腕に閉じ込めた。
後日談だが、このあとやってきた王と王妃に王太子は説教されまくり、一か月の婚約者接触禁止令が出され、みっちりと職務にとりくむ姿が確認される。
この禁止令はのちに劇として演じられることとなるほどに、有名になるのだが、どうして禁止令が出されたかは不明で、いろいろな憶測が飛び交う事件となるのだった。