鼻炎薬と脳内チップ
脳内チップを入れた。嫌になったら直ぐに手術で取り出せるという話を信用したからでもあったのだが、正直に言うと半ば興味本位で、得られる効果に期待した訳ではなかった。考えただけでネットにアクセスが出来たり、IoTを通じて家電製品を動かせたり、直接体内の情報をモニターして体調管理に役立てたりといった諸々の体験がしてみたかっただけなのだ。
ところが、10ヵ月程が経って、その脳内チップが原因かどうかは分からないのだが、私は不眠症に罹ってしまった。夜眠れない。脳内チップの医療システムを用いても、原因の特定ができなかった。まだまだ試行錯誤の段階という事もあるのかもしれないが、何でも万能にとはいかないものである。
そんな折、睡眠不足の影響で体が弱っていた所為か風邪を引いてしまった。泣きっ面に蜂である。しかも、仕事が忙しく休む訳にはいかなかった。私は風邪が鼻に来るタイプなのだが、その時も酷いくしゃみに悩まされ、仕事にならない程だった。それで鼻炎薬を飲んだ。
ただし、今度はそれで睡魔に苦しむ事になった。
鼻炎薬には抗ヒスタミン成分が含まれているのだが、これには実は睡眠を促すという副作用があるのだ。ただでさえ睡眠不足だった私が、それで地獄の苦しみを味わったのは容易に想像できるだろう。
しかも、それはその日だけで終わりではなかった。何故か鼻炎が続くようになってしまったのだった。初めは単に風邪が長引いているだけだと思っていたのだが、それにしては奇妙な点があった。症状が出るのは主に夕方以降で、鼻炎以外はまったく風邪らしい症状は出なかったのだ。
二週間ほどが過ぎても全く快方に向かう気配がない。その間、私は鼻炎薬を飲み続けたのだが、どうやら脳に耐性がついてしまったようで、それほど眠気を感じなくなった。ならば問題ないと思うかもしれないが、そんな事はない。まるでそれに合わせるように、鼻炎の方も酷くなっていったのだ。仕方なく、私は鼻炎薬を飲む量を増やしたのだが、そうなるとまた眠気に襲われる。決まって夕方に症状は悪化するので、それほど仕事に支障はなかったが、こんな状態をいつまでも続けられるはずがない。
不安になった私は病院で診てもらう事にした。風邪ではなく、何かしらの鼻の病気に罹ってしまったのではないかと考えたのだ。
ところが、そこで私は医師から意外な真相を聞かされたのだった。
「あなたの風邪は既に治っています。そして、それ以外のどんな病気にも罹ってはいません」
私はそれに首を傾げた。
「では、くしゃみはどうして出るのですか?」
「それが……」と、言うと医師は言い難そうに表情を歪めた。
「実は、あなたのくしゃみはあなたの中の脳内チップが意図的に発生させていたものであるようなのです」
「脳内チップが?」
私はそれを聞いて驚いた。
「いや、よく分かりません。どうして、脳内チップがそんな事をしなくちゃならないんです?」
すると、医師は淡々と説明をした。
「あなたは不眠症に罹っていますよね?」
「はい」
ここしばらくは鼻炎薬の副作用で心地良く眠れていたので少し忘れていたが、恐らくはまだ治ってはいないだろう。
「あなたの中の脳内チップは、鼻炎が起こるとあなたが鼻炎薬を飲む事を学習してしまったのですよ。そして、そうすれば、鼻炎薬に含まれる抗ヒスタミンによって、あなたが眠れるという事も。
つまり、脳内チップは、あなたの不眠を治す為に、わざと鼻炎を起こしていたという訳です。
あなたには、睡眠薬を渡しておきましょう。そうすれば、きっと鼻炎の方は治まるようになると思います……」
私はそれを聞いて、脳内チップに不安を覚えると同時に少々感心していた。
いやいや、何がどう作用してどんな結果に至るのか、まったく予想ができないものである……