おはようモノレール 2
ホームを出た俺が車掌に連れられてやってきたのは駅長室だった。重い色の木を使ったシックな部屋。本棚にはぎっしりと本が詰まっている。それにしても、駅長はさすがにまずい。言い訳、なにか言い訳を考えようと思っても、自分の身に起きていることがよくわかっていない以上、上手い嘘はつけない。車掌に勧められた黒いソファに座り、頭を抱えることしかできない。
「お客様」
俺のすぐそばに立っていた車掌はやわらかく話し出した。ああ、きっと諭すように怒られるんだ。
「すみません、先ほどは。誰に聞かれるともわかりませんでしたので、咄嗟にこちらへお連れするための嘘をついてしまいました」
俺は顔を上げて車掌を見た。怒ろうかと思って見た車掌の顔は困ったような笑顔だった。
「お客様の切符は確かに当モノレールのものではありませんでした。これだけでは我々はただ乗りを疑いますね。しかし、お客様は当モノレールに見覚えがないとおっしゃいました。ここがどこだとお尋ねになりました。そうなると話は変わってくるのです」
車掌は話を止めると、本棚から一冊の本を取り出した。その本を机に置いた車掌は、奥の扉に向かってゆっくりと歩き出した。深い焦げ茶色の扉を車掌がノックする。あれはきっと駅長が控えている部屋だ。俺が背筋を伸ばすと、中から白髪を一つに纏めた中性的な人物が、優雅に出てきた。
「駅長、こちらが…」
「やあ!君が噂の迷子君だね?よろしく!」
年齢不詳感のある美しい顔でにっこりと笑った駅長らしき人物は、目にも留まらぬ速さで車掌の前を通り過ぎて俺の手を掴み、握手をしていた。面食らった俺は、ポカンとするほかなかった。そんな俺を見た車掌が駅長の肩をつかんで引き剥がす。
「駅長、お客様が困っておられます」
「ごめんね。いやー、ちょっと私もビックリしているんだ。テンション上がっちゃったみたいだね」
さっきまでの優雅さが嘘のような豪快さだ。ニコニコと笑う顔に気品はちょっと残っているのが不思議なぐらい。この人が本当に駅長なのか。駅長にしては若すぎるようにも見える。この人、二十代くらいじゃないのか。
「お客様、大変申し訳ありません。この方が東京駅の駅長、白森灯です」
車掌が深々と頭を下げるのとは対照的に、白森はスーツの裾を直して軽く会釈する。白森のゆれる白髪が光を受けてきらめく。その光景に少し気圧されていた俺は慌てて立ち上がり頭を下げる。慌てすぎたようで自分の足を踏んでしまった。
「俺、自分は阿澤です。なんか、今日はすみません」
どんな顔で振る舞っていいのかわからなくて、顔を上げられない。とりあえず謝ってはみたものの、俺は今どんな状況に置かれているのかすらもよくわからない。この駅長は一体どんな話をするために来たのか。
「あーあーあー、顔上げてよ阿澤君。謝ることはない。君は平たく言っちゃえば今迷子なんだよ」
「迷子って…」
俺、本当に迷子だったのか。少し肩を落とす。
「迷子。君、JRを使ってたでしょう?」
俺に問いかけながら座るように手で示す白森。俺がソファに座り直すと、白森は机を挟んだ正面のソファへ座った。スーツの裾を直す仕草も美しいのに、俺に向けられた笑顔は純真そのものだ。
「これ。読んでみてよ、短いから」
先ほど車掌が取り出した本を薦められる。俺はその本を手にとって開く。結構有名な絵本だった。
「まるちゃんはお茶を持ってきて」
車掌は頷くと、奥の扉へ入っていった。
俺が本を読み終わったタイミングで車掌が紅茶を持ってきた。
「その本を読んだことはあるかい?」
白森は俺から本を受け取って微笑む。
「前に一回だけ。…これ、もしかして今の俺ですか?」
白森はうんうんと頷く。俺はますます頭を抱えた。
本の名前は『ゆうたのぼうけん』。駅にやってきた知らない電車に乗った男の子が、夢の世界を冒険する子供向けの絵本だった。
「俺、夢を見てるのか…」
こんなリアルな夢を見るのは初めてだ。夢だとわかっても、夢のような気がしない。
「いいや。この絵本には少し違うところがあるのさ」
白森は打って変わった真剣な顔で俺に言う。
「知らない電車に乗ってしまった。そこまではあっているよ。でもその夢の世界は現実に存在するんだ。異世界というものは知っているかな?最近はゲームや物語なんかでも題材になるから知っているかもね。君があのモノレールで向かおうとしちゃったのは、異世界なんだ。どう、驚いた?」
「異世界…異世界ってあの、転生して、活躍して、勇者に!みたいなあの異世界ですか!?」
思いもよらない単語の登場に、俺のテンションは跳ね上がる。異世界への到達なんて、誰もが一度は憧れるだろう。それに俺はさっきまで手をかけていたわけだ。
白森は驚くこともなく笑顔で続けた。
「そうだね。そういう世界もある。異世界についての話に戻そうか。異世界は一つじゃなくてたっくさんある。その世界は一から百までナンバリングされていて、東京は八番目。君は今第八世界の都市、東京に居るってわけ。君が想像するようなファンタジックな世界ももちろんあるよ。そういうところに転生されちゃう人も、まあ稀には居るね。君は危うく他の世界へ行ってしまうところだったけどもう大丈夫。ちゃんと元の東京へお返しするよ」
「つまり、あのモノレールは異世界に繋がっているんですか…!?」
ビックリもビックリ、ハイパー驚きだ。普通に電車に乗っていたのに異世界に行きかけていたなんて、この先の人生で二度と無さそうなサプライズトリップだ。
「そゆことだね!」
白森もテンション高めにグッドサインで応じてくれる。
「他になにか質問とかあるかい?」
いろいろと気になる話があったが、元の東京とはどういう意味だろうか。ここは東京ではないのか。白森は俺の顔を見て、わかったように頷いて続ける。
「この我々の東京駅はね、世界と世界の狭間に作ってあるのさ。狭間といっても東京にすごく近いところにね。それこそ一歩踏み出せば東京駅に着けるぐらいさ。でも狭間から世界に行くのには手順が必要だから、一般人の君にはできない。だから我々が手を貸すよ」
帰れることはわかったが、少し面白くない。せっかく異世界へ行けるチャンスが目の前にあるのに、さっさとご帰宅というのは残念だ。景色を見るくらいもできないのか。
「あの、異世界ってチラ見とかできないんですか。思ったよりたくさん異世界があるみたいだし、せっかくこんなことに巻き込まれちゃったし俺、異世界見たいなー…なんて」
白森は肩をすくめて笑った。けれど、その目は笑っていない。
「君は面白いねえ。こうやって迷子になっちゃった子に会うのは初めてだけど、こんな子に会うとはね」
白森は紅茶に口を付ける。俺が期待の眼差しでみつめるのを見て、また口だけ笑って話し出した。
「その絵本の作者はね、迷子になってからちゃんと元の世界に戻った人が書いたものなんだよ。その作者は運悪く異世界まで飛ばされちゃって大変な目にあってね…もう異世界はこりごりだと叫んでいたそうだよ」
紅茶をソーサーに戻した白森は、腕を組んで俺を見た。熱い目線で応じる。
「だからまさか異世界に行きたいなんて言う子がいるとは思わなかったよ。でも、残念ながらね…」
白森の陶器のような白い手が俺の肩に置かれる。肩を飛び上がらせる俺に構うことなく白森は俺を力強く見つめた。
「迷子を見つけたら、即座に元の世界へ戻してあげることに決まってるんだ。規則でね」