魔王にして人間
カルステンは俺の肉体を奪った。
俺が肉体の主導権を一瞬奪って以降、カルステンは一転して大人しくなった。領主としてダニエルさんやサイモンに指示を出すその姿は、むしろ俺よりも優秀であったかもしれない。
そして、その日は何事もなく一日が終わり、奴は就寝した。
これは夢の続き。
魔王カルステンが勇者イルデブランドの肉体を奪った、その後の物語。
僕はイルデブランドの肉体を奪った。
これでお姉さんと一緒に暮らすことができる。でも、僕はただのはぐれ魔族じゃない。しっかりとした領地をもった魔王なのだ。ずっとお姉さんのところにいてもいいんだけど、まあ領地や配下があって困ることはないし、しばらくは魔王を続けようと思ってる。
僕は道を歩いていた。
魔王カルステン城、と呼ばれるこの城は僕の居城だ。
門へと続く石畳の床を歩く。
いつもいつも、この門の前を飛び跳ねて移動していた。情けない姿だと、醜い姿だとずっと思っていた。
でも、今の僕は違う。
二本の足で、しっかりと進む。
しばらく進むと、門の前にたどり着いた。門番のゴーレムが二体、僕の行く手を阻む。
「やあ」
僕は陽気に手を振った。
「だ、誰だ貴様っ!」
ゴーレムがその槍をかざし、僕を威嚇した。当然だ。この姿でここに来るのは初めてで、僕はどう見ても人間なのだから。
「僕だよ、カルステンだよ」
「何を言ってるんだこの男は?」
「構わない、どうせ人間だ。殺してしまおう」
人間の姿をしている僕のことを、誰一人魔王だとは思ってくれない。むしろ侵入者だと警戒し、武器を向けてきた。
僕はそれを片手で受け止める。
魔具、〈剛腕の手袋〉。この手袋は身に着けたものの腕力を引き上げる。大岩でさえ持ち上げることができてしまうほどだ。レベルの低い魔族の攻撃なんて余裕であしらえる。
僕は片手でゴーレム二体を吹き飛ばした。
「馬鹿だなぁ、僕に勝てるわけないでしょ」
相手の槍を食らうことなく完勝できた。そしてもし、仮にこちらが攻撃されたとしても問題ない。
〈身代わりの小石〉を10個、さらにそれより上級の〈身代わりの宝玉〉を3つ持っている。前者は攻撃の3分の2を、後者は攻撃を死に至る程度まで完全に吸収してくれる防御魔具だ。
ダメージを反射する〈反射鏡〉はレアアイテムのため数をそろえられないが、この程度ならいつなくなっても問題じゃない。
「さて……」
僕は堂々と扉を開き、城の中に入った。
僕の――この橙の叡智王の傘下に属する魔族たちが談笑する城のエントランス。スライムが、オーガが、ゴブリンがとりとめのない話をしている。
しかし、その空気は僕の出現によって一変した。皆、一様にこちらを見た。
「お、おい……なんだアイツ。人間だぞ? 門番は何してるんだ?」
「あいつ、確かイルデブランドとか言う人間の……」
「こんなところをあの目玉に見られたら、魔具取り上げられるぞ」
動揺と困惑。忠誠心の高い配下ではないものの、皆、ここに人間がいてはまずいのではないかという思惑は一致する。
一匹、一匹と億劫な顔をしながら前に出てくる。あまりやる気ではないが、人間である僕を倒すつもりなのだろう。
僕はそんな彼らの一体一体を叩き伏せていった。
「この魔具、まさか……」
倒れたダークエルフの一匹がそんなことを言った。
へぇ、気が付いたか。察しがいいね。
一部、察しのいい魔族は気が付いたようだが、大半は僕の正体を理解していない。
だけど、僕への攻撃は止んだ。
それは、強力な魔具を使う僕への恐怖か? あるいは主への忠誠心の低さからくる、放置か。それとも、様子を伺い作戦を練ろうとしているのか。
とにかく、攻撃は一時的に止んでしまった。
僕は恐る恐る様子を見守る配下軽く一瞥し、自らの玉座に座った。
「あの、まさか……カルステン様、で?」
一匹の鬼がそう質問した。
僕はにやりと笑う。
「そうだよ、僕だよ。昨日、この人間の体を奪ったんだ。これからはずっとこの姿だけど、よろしくね」
しん、と静まりかえる玉座の間。誰もが、この僕の突拍子のない宣言に唖然としている。
しかし、やがてはその事実をかみ砕き、声をあげる者が現れた。
「さ……さすがカルステン様、肉体すらも自由にできるとは……」
「あらゆる魔王を凌駕する、王の中の王!」
「叡智王に栄光あれっ!」
お決まりのおべっかで僕を称える魔族たち。
結局のところ、みんな『魔族』としての僕を尊敬してたわけじゃないんだ。魔具をくれる都合のいい存在だから、王として崇めてくれていた。
だから、関係ないんだ。見た目が目玉だとか人間だとか、そんな話は。
こうして、僕は人間の体のまま、この魔王城へと行き来することになったのだった。
もっとも、僕なんていてもいなくても領地は回るし誰も困らない。っていうかここの奴らとあまり顔を合わせたくない。ここに寄るのはたまにだけでいいんだ。
さてと、疲れたな。今日もイルデブランドの――否、僕の家に帰ろう。
優しくて綺麗な恋人が待ってる、僕の家へと。
「イルくーーーーーん!」
玄関で土ぼこりを払っていた僕に抱き着いてきたのは、お姉さんだった。
「もう、どこ行ってたのよ? 私心配で心配で! 強盗とか魔物と、襲われて怪我して動けなくなってたらどうしようって……。お金はいっぱいあるから、もう一時間待ってもこなかったらすぐに捜索隊を作ってもらって、近くの山を……」
あわあわ、と青い顔で自らの気持ちを説明するお姉さん。冒険者として最前線に立っている時とは正反対の、かわいらしい姿だ。
そんなに僕のことを心配してくれてたなんて、もうそれだけで嬉しさがいっぱいだ。
「ごめんごめん、少し遠くに行ってて。あ、危なくはなかったんだけどね、だから落ち着いて。お姉……オリビア」
僕はそう言って、お姉さんの両手を握った。すると先ほどまでの震えが静まり、呼吸も整ってきた。
「ありがとう、イル君」
「ごめんね、大丈夫だとは思ったんだけど」
「もう、最近訓練がうまくいってるからって、調子に乗ったらだめだからね。イル君はまだまだ実戦経験が足りないんだから」
訓練。
それはお姉さんがイルデブランドに行っている戦闘訓練のことだ。といっても大したことではない。この男はひ弱すぎるので、重い剣をもって素振りしたり走ったり腕立て伏せしたりといった筋肉を鍛えることだけ。
どうやら、お姉さんはイルデブランドに強くなってもらいたいらしい。
イルデブランドは弱い
だが、それ今までの話。僕はアイツとは違う。おどおどしてやる気のなかったあの男とは違って、僕は真剣に訓練する気がある。
だけど、いきなりまじめになって強くなったら、いくらなんでも不自然過ぎだ。今はまだ、元のイルデブランドの皮を被りながら、ゆっくりと様子をうかがっている毎日。
僕はイルデブランドだ。でも、奴の性格を180度否定しては、お姉さんに不審がられてしまう。
ゆっくりでいい。少しずつ、でも確実に本当の僕を知ってもらえれば、それで……。
などと心の中で悶々と考えていたら、お姉さんがぼーっとしてるのに気が付いた。
時々、お姉さんが寂しそうに窓を眺めている。
あそこは確か、まだ僕がイービルアイの体だったころ、よく出入りしていたところだ。
「……目玉君」
ぽつり、とその呟きが僕の耳に入った。
僕はあの体を捨ててしまった。もう、イービルアイの目玉君が、お姉さんのもとに現れることはない。
僕は……あの姿の自分を……。
……そんなこと、考えちゃいけない。
「もう、こんなに心配させて、ちゃんと責任とってもらうからね」
ぽふん、と僕に抱き着くお姉さん。彼女のやわらかいほっぺたが、僕の頬に当たった。
「責任? わ、分かったよ。今日もいっぱい訓練するから」
「もー、イル君分かってない。今夜は、寝かさないわよ?」
「あ、あ、うん」
僕たちは手を取り合い、部屋に戻った。
その日、僕は気が付いていなかった。
魔王になって日が浅かった。いや、それ以前にイービルアイとして村で暮らしていて、魔王とか世界とかとは無縁だった僕だからこそだ。
危機は、目前まで迫っていた。
僕は知らなかった。
オリビア、その名の意味を。
カルステン過去話後半戦。
あまり長くないようにしたいです。