橙糸転移
このお話は別視点、敵キャラ魔王カルステンのお話です。
グルガンド近郊にあるお姉さんの家へとやってきた僕。
今日はお姉さんに会いに来たわけじゃない。彼女は冒険者ギルドのクエストで今頃は魔物討伐に向かっているはずで、ここには絶対戻ってこない。
このタイミングでここに来たのには、理由がある。
木造の廊下をピョンピョンとはね飛んで移動する。物音がしたので庭の方に向かうと、そこに奴がいた。
無言のまま素振りをしているのはイルデブランド。だがその訓練は、まるで子供のごっこ遊びのように拙い。
まあ正直、努力しようという姿勢は認めてやってもいいよ? でも、物事には向き不向きがあるんだ。お前のその体つきじゃ、絶対にオリビアお姉さんみたいに活躍はできないだろうね。
さてと、ここまでやってきたんだ。僕は僕の目的を果たすとしよう。
僕はイルデブランドの前に自らの体を晒した。
「こんにちは」
ぴょん、とはね飛び岩の上に乗った。
「あ……あ……あ……」
イルデブランドは僕の姿をその目に捕らえると、恐怖のためにがたがたと体を震わせた。
ただ、今回はそれだけで、この前みたいに失神したりとかそういうことは起こらなかった。
よかったよかった。この前みたいに気を失われたら面倒だからね。
「お、お前は、確かオリビアと話をしているのを見たことがある。な、何の用だっ!」
拙くもその剣の先を僕に向けるイルデブランド。警戒心をあらわにしている。
どうやら、僕のことをお姉さんから聞いているとかそういうことはないらしい。敵かもしれない、という可能性を排除しきれないのだろう。
これは、都合がいいな。
「くくくく……」
僕は笑う。
当初の予定通り、話を進めるとしよう。
「オリビア、バカな女だ。魔族である僕と普通に談笑して。騙されていると自覚はなかったのかな?」
「な、なんだってっ!」
イルデブランドはあからさまに狼狽した。おそらく、僕とお姉さんが話をする姿を見て、なんとなくではあるが友好的であると思ってはいたのだろう。だからこそ、それを否定する僕の言動に驚いているのだ。
「僕は魔王カルステン様の命でこの地にやってきた。弱小魔族を装い、我らが大敵となる〈双龍牙〉オリビアをこの手で葬るためっ!」
ま、その魔王カルステンって僕なんだけどね。そんなことはお姉さんもイルデブランドも知らないわけで。
こう見えても僕は魔王だ。素人相手にプレッシャーを与えることはわけない。実戦経験の少ないイルデブランドぐらいなら、十分に騙すことができるだろう。
「あの女を殺したら次はお前の番だ。震えて待ってるといいよ」
僕はそう言って後ろを向いた。ゆっくりとゆっくりと、まるでカタツムリのように鈍足で前に進んでいく。
さあ、こいよ? これだけ挑発したんだ。ここで勇気を出せないなら、お前は本当にクズだぞ?
「……ま、待て」
イルデブランドはか細いながらもしっかりとした声をあげ、僕を呼び止めた。
僕は振り返った。
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」
イルデブランドは剣を構えた。ひ弱な彼の体には不釣り合いな大剣ではあるが、自らとその恋人の危機に筋肉という筋肉を奮い立たせているのだろう。
「僕があああああああっ! 守るっ!」
イルデブランドのなりふり構わない一撃は、僕の体を真っ二つにした。
死ぬ、ね。
ここまでは……予定通り。
このタイミングっ!
「――〈橙糸転移〉」
僕は魔法を発動させた。
ずっと、考えていた。
どうすれば、惨めな自分を捨てられるのか。その答えを、今、示して見せるっ!
「僕が倒したっ! やったよオリビア。僕、やったんだ!」
僕の体から発生した橙色の糸が、まるで昆虫を覆う繭のようにイルデブランドの体に集まっている。
奴はこのことに気が付いていない。これは魂を引き裂かれている僕だからこそ見ることができる精神的光景であり、その対象であるイルデブランドには視認できないのだ。
やがて、イルデブランドの喜ぶ声を聞きながら、僕の意識は途切れてしまった。
どれだけ時間がたったのだろうか。
僕は目を覚ました。
目の前には魔族の死体がある。弱く醜い一つ目の種族、イービルアイだ。
先ほどまで僕だった抜け殻。
そう、僕はイルデブランドになった。
いわゆる、肉体転移という奴だ。醜い自分の体を捨て、人間になる。それが僕の導き出した答えだった。
「これが、人間の体か」
声までも、あいつと同じになっていることに違和感を覚える。
背が高い。
今まで、地面の草が視界を遮ってうっとうしかった。ドアに手をかけるとき、思いっきり飛び上がるのが億劫だった。いつも、いかなる時も、多くの生き物に見下ろされている感じが、不快だった。
でも、この背の高さなら……ずっとましになるだろう。
「は……はははは」
僕はもう解放された。
肉体転移によって人間の体を手に入れた僕は、今までの自分とは違う。今はひ弱なこの体だって、鍛えればそれなりに使えるようになる。いや、仮に鍛えなくても僕には魔具がある。人間としても、魔王としても他のやつに後れを取ることはない。
「なんだこれ、すごい、すごいぞ!」
僕はジャンプした。するとものすごい勢いで世界が動いているように、視界がぐるぐると回っていく。目玉がピョンピョンはねてるのとはけた違いの跳躍力だ。
脚って、すごいな! こんなに自由に素早く動けるんだ。すごい、すごいぞ、二回脚を動かしただけであんな距離を移動できるなんて、なんて便利なんだ。世界の端にだっていけちゃうかもしれないぞ!
最高だ!
「はははははっ、あっはははははははははははははは、あはははははははははは、あはははははははははははははははははははははははっ!」
無人の家に、僕の笑い声が響き渡る。僕は子供のようにはしゃいで、騒いで、喜んで。
幸せを嚙み締めた。
鏡を見ると、そこにはイルデブランドがいた。大剣が不釣り合いの痩せた体。
手を動かすと、鏡の中の奴も動く。違和感がすごいな。まるで僕がイルデブランドを操っているみたいだ。
でも、それは錯覚。
「やったぞ! とうとうやった! 僕は人間になれたんだ! お姉さんの恋人になれたんだ! お姉さんとキスだって、抱擁だって、交尾だってできちゃうんだ!」
高揚のため、危ないセリフまで口走ってしまっている。
僕は声高らかに言った。
「僕がイルデブランドだっ!」
今日、この時。僕はなったんだ。
勇者イルデブランドに。
タイトル:ブサメン魔族の僕が肉体転移で彼女をゲット!
第11話「アイツの彼女をゲットだぜ!」
……というわけで、ここでいったん区切って次の話は主人公のヨウが永い眠りからやっと覚めます。
ほんと、長かったです、はい。
まあ区切りで休憩というだけで、このカルステンの話終わりじゃないんですけどね。