叡智の魔眼
しばらく魔王カルステン視点の過去話が続きます。
こうやってここに書いておかないと、初めて見た人が勘違いしてしまいますよね。
今気が付きました。
僕はオリビアと名乗るお姉さんの家にやってきた。
時間にして三時間弱。手当を受けながらお話をした。それはとても安らかで、温かくて。村を失った僕にとっては、本当に心地よい時間だった。
「目玉君、傷薬は塗り終わったわ。後は時間がたてば治るはずよ」
「うん、傷薬ありがとね、お姉さん」
「痛いのによく頑張ったわね、いい子いい子」
お姉さんは僕の頭を撫でてくれた。
「えへへ」
幸せだー。
不意に、玄関の方から音が聞こえた。
「……っ!」
お姉さんの顔が強張る。
「……お姉さん?」
「……ごめんなさい目玉君。この家を出てもらえないかしら?」
「えっ!」
僕は驚きの声をあげてしまった。
それだけ、お姉さんと過ごすのが楽しかったのだ。この時間が終わってしまうなんて、そんなことは耐えられなかった。
「……あの人が帰ってきちゃうわ」
と、言葉を漏らすお姉さん。
……そう、だよね。
お姉さんはとても優しい。人間でありながら、魔物の僕をこの家に入れてくれた。
でも、ほかの人までそうとは限らない。ここに帰ってきたお姉さんの家族は、僕を見たらきっと怒り出すだろう。危害を加えようとするかもしれない。
僕は魔物。いつまでもこの場所でぼんやりと過ごしているわけにはいかない。
「また、会いに来るね」
「ええ」
手を振るお姉さんを背後に、僕は窓から外に出た。
次に会うときは、プレゼントを持っていこう。
こうして、僕たちは別れた。
お姉さんと別れた僕。
村を失い、両親が死んだ。僕はお姉さんの家で、これからどうしようかとずっと考えていた。
そして、結論を出した。
弱小魔族である僕たちは、どうしても魔王の庇護が必要だ。
強者の傘に隠れることは重要だ。それだけで敵がいなくなる。それに、魔王の傘下に入ると、魔法を使うことができるようになる。
イービルアイはもともと魔力が少ないらしく、ろくな魔法が使えない。しかしそれでも身を守るために多少は役に立つ。
だから僕は、彼らと交渉する。
魔王イルマ。
最強の魔王とうたわれる彼の配下に、取次をお願いすることにした。
ここは魔王イルマ領とヨハネス領の境界、人々がグルガンドと呼んでいる地域だ。
特に東側の森では、魔王イルマの配下たちがウロウロしている。
今、話している彼も魔王配下の一人。
オークだ。
ただのオークではない。普通なら豚のような体つきをしているこの種族ではあるが、イルマ軍に属するこいつはひどく筋肉質。引き締まったその体には脂肪が全くなく、顔さえかくしてしまえば人間だと言ってもばれないだろう。
「イルマ様の配下になりたい?」
「はい、その通りです。このたび、僕の村が魔王ヨハネスに滅ぼされ、行き場を失ってしまいました。ひいては、高名なイルマ様の配下にしていただきたく……」
これまで、ずっと僕の身の上話をしてきた。村で優しく育てられ、しかし唐突に魔王によって滅ぼされてしまったことを。要するに同情を誘っているのだ。
「どうかよろしくお願いしますっ!」
僕は頭を下げた。
同情話に効果があるのかどうかは微妙なところ。でも、悪いようには働かないと思う。
それに、魔王ヨハネスが滅ぼそうとしたイービルアイの生き残りが僕だ。魔王イルマが僕を配下にすることは、彼の名声を高めてヨハネスの顔に泥を塗る行為。
悪い話じゃない。
オークは僕の体を見下ろした後、にっこりと笑った。
「おらよっ!」
次の瞬間、オークが僕を蹴っていた。
衝撃で、頭がくらくらした。
思いっきり蹴り上げられた僕は、近くの木へと激突してしまったらしい。
「どうして……こんな」
「おめーよぉ、雑魚魔族の分際で何言っちゃってるわけ?」
「……え?」
「俺たちイルマ軍は、魔王イルマ様に実力を認められたエリート。それ相応の力をもってなきゃー、あの方の配下とは認められねぇな」
そ……そんな。
聞いてないよ。
こんな……知性のない荒くれ者たちだなんて聞いてない。意味もなく殴ってくるなんて、獣そのものじゃないか!
僕は、選択を間違ってしまったのか?
「雑魚は雑魚らしく、地面でのたれ死んでなっ!」
「あうっ」
目玉が潰れそうだった。
どうして、僕は……蹴られてるんだ?
どうしようもない。このオークは力が強くて、足が速くて、とてもではあるが逃げられる状況じゃない。
何度も何度も、蹴られる。
僕は……。
なんでこんなに、弱くて醜い体に生まれてしまったんだろう。人間に生まれてたら、仲間と一緒にこいつを倒したりしてたのかな? 人間だったら、武器を使ってなんとか対抗できてたのかな?
誰か……僕を助けてよ。
パパ……ママ……。
……お姉さん。
死を覚悟した……その時。
僕は見つけてしまった。
痛さに耐えるように、早くこの暴力が止むようにと、ずっと体を丸めていた。僕の視界に映っているのは、川辺の小石だけだった。
〈身代わりの小石〉。
効果:自らに加えられた衝撃の3分の2を吸収し、なかったことにする魔具。
「……?」
なんだ、これ?
何でもないただの小石。そのうちの一個に、まるで説明文のようなものが書かれた立札のようなものが見える。
その立て札は実際には存在しない。僕の目だけに映りこんでいるらしい。
蹴られ過ぎて、目がおかしくなっちゃったのかな?
僕は藁にも縋る思いで、その石を掴みとった。
「…………」
……す、すごい。
なんだこれは。
激しく蹴り上げてくるオークたちの攻撃が、かなり軽減されている。痛いことには痛いのだが、耐えられないレベルではない。
完全に、石が衝撃を吸収している。
これが、この魔具の能力?
「ちっ、意外とタフだぜこいつ」
オークが舌打ちした。
いくら痛めつけても音をあげない僕を、不気味に思っているのかもしれない。
「……興ざめだぜ。その我慢強さに免じてこれで勘弁してやる。二度とここに近寄るんじゃねーぞ」
気分を害したらしいオークは、ふてくさりながらこの場を離れて行った。
いなくなってしまったのだ。
「……助かったぁ」
僕はへなへなと体を弛緩させた。正直なところ、殺されてしまうんじゃないかと緊張しっぱなしだった。それがこんな形で決着してしまうなんて、運がいいとしか言いようがない。
それにしても、あの立札。なんなんだろうな?
僕の目、病気にでもなっちゃったのかな?
この時、僕は初めて気が付いてしまった。
パパやママが死に、お姉さんと出会い、ここまでやってきた。いつ、どこで僕にこの力が備わったのか、正直なところよくわからない。
けど、僕は確信している。この地獄のような苦しみが、僕の中に眠っていた未知なる力を呼び起こしたのだと。
そう、僕はこの日、手に入れたのだ。
僕を魔王足らしめた、最大最強の魔具鑑定スキル。
〈叡智の魔眼〉を。