お姉さん
「えっほ、えっほ、えっほ」
今日の僕は水汲みだ。近くに沸いた泉へと、水を汲みに行っていた。本当なら水源の近い場所に住むことがベストなんだけど、力ない魔族である僕たちにはこうするしか道が残されていない。
目と腕だけの魔物であるイービルアイ。当然だけど、物を持ち運びするのには向いてない。
辛いなぁ、苦しいなぁ。
不満がないわけじゃない。このあたりを支配する青の知略王ヨハネスは、僕たちを軽蔑しているらしい。だからあんな辺鄙な場所に住むことしか認めず、税金だと称して様々な食べ物を持っていく。
でも、僕たちがほかの魔族に勝てるわけがない。だからこうして、黙々とご飯や水を運んで日々の生活を成しているのだ。
辛いのは事実。
でもいつかはきっと、チャンスが訪れる。
そう……思っていた。
今日、この時までは。
それに気が付いたのは、村まであと少しという距離でだった。
急に空気が暖かくなったような気がした、空は曇っているのに、なんだかおかしいなぁと思った。
緩やかな丘を上り村が見えたころには、その異変に気が付いた。
僕たちの、村が。
燃えている。
「……?」
赤い灼熱はまるで夕焼けのように村を染め、ある種の美しさを生んでいた。僕は、頭の中が真っ白になり、しばらくは呆然とその光景を眺めていた。
そして、冷静になる。
「……パパ? ママ?」
僕は駆け出した。
熱い。
焼けただれた土は、まるで熱した鉄板のように熱く、僕の皮膚を焦がしていった。
でもそんなことが気にならないくらい、僕は焦っていた。周囲の光景が……あまりに無残だったから。
パパの友達、村の村長さん、生まれたばかりの子供。
目玉が、まるで焼いた魚みたいに白く濁っていた。
死んでいる。
つい五時間ぐらい前までは、陽気に話していたんだ。それなのに、こんなにあっさりと……。
爪か剣で付けられた切り傷が見えた。誰かがこの村を襲い、火を放ったんだろう。
僕は家の前にたどり着いた。
「え……」
そこは、家じゃなかった。
まるで大きな焚き木のように、燃えていた。燃え盛る火炎は、天を突かんとするばかりに高く……そして絶望的だった。
でも僕は、熱さを忘れその中に突入した。
「ママっ!」
すぐに、ママを見つけた。
ママの目は、もはや生きているイービルアイのそれではなかった。白く濁ったその瞳は、僕の声にまったく反応してくれない。
「……あ……あぁあ……あ」
「……ヨハネスの野郎、俺たちが邪魔になったんだな」
不意に声をかけられ、びくんとした。
パパだ。
傷だらけの体のパパが、弱々しく声を上げたのだ。
「パパ、ママがっ!」
「……カルステン、母さんは死んだ。俺ももう長くない」
「……そ、そんな、そんなのってっ!」
パパはかなり傷つけられていた。こんなに剣で切り付けられて、出血して……生きていられるはずがない。
そんなことは分かっている!
でも僕は、認めたくなかった。
パパがいて、ママがいて、貧しくて辛いけど、どこか暖かさがあったあの日常を……否定したくなかった。
「……逃げろ」
「逃げる?」
「ここから東、タターク山脈の……ふもとの平原まで行け。あそこは……魔王イルマ、の領地が近い。あの青の魔王だって……そこまで手を伸ばして、は来ないはずだ」
僕は一生懸命パパを引きずろうとした。でも、僕より一回りも大きいパパの体は、まるで大きな岩のように重く、とてもではないけど力が足りなかった。
どうして、僕はこんなに無力なんだ?
あんなに木の実だっていっぱい持てたのに。
「行けっ! 俺の息子! 炎に焼かれたいのかっ!」
パパが僕を家の外へ突き飛ばした。
その瞬間。
火に焼けた藁が、パパへ覆いかぶさるように崩れ落ちた。
「パパああああああああああああああああああああああ、ママああああああああああああああああああああああっ!」
僕は叫んだ。
でも、その声に答えてくれる者は……誰もいなかった。
イービルアイは逃げるのに向かない種族だ。だけど今回は、その体の小ささが幸いした。
木陰や物陰に隠れ、僕は逃げ出すことができた。
正直なところ、敵が誰なのかを僕は知らない。ここを治める魔王様の差し金だという話はパパから聞いたけど、具体的な話をする時間まではなかった。
「……パパ、ママ」
僕は泣いていた。
なんで、どうして僕たちはこんな目にあってしまったんだ? 弱いから? 醜いから? それでもつつましく生活してたはずなのに、どうしてこんなことに。
僕は一体、どうやって生きて行けばいいの?
お願い、誰か……助けて。
パパ、ママ……。
悲しみに暮れてじっとしていた僕は、気が付いた。
足音だ。二足歩行の、それも靴を履いた生き物。
「ひっ!」
人間っ!
僕は震えを隠せなかった。
普通の魔族であったのなら、人間に臆することなくむしろ襲い掛かったりするだろう。でも僕のような弱小種族に、そんな力はなかった。
人間に出会ったら逃げるのが定石。
だけど僕は……逃げ出せなかった。
もう限界だった。
もとより、力なくか弱い種族であるイービルアイ。ここまで来るのに、体中の筋肉という筋肉を使い果たしてしまった。
いやむしろ、いっそこのまま殺されてしまった方が楽なんじゃないのか?
そう、諦めていた。
現れたのは、女性だった。
人間とは思えないような水色の髪は、三つ編みに結ってある。寒さのためか毛皮のコートを身に着けていた。
女性にしては背の高い人。体つきはとても整っている。
綺麗な人だ。
貧相な表現ではあるけど、『美の女神』というのがもっともふさわしいと思う。
(誰かを呼ばれるのかな?)
この優しそうなお姉さんが僕を殺すとはどうしても思えなかった。きっと、叫ばれて男の人を呼ばれて……という流れになるんだろうなぁ。
疲労からか、僕は逃げ出すこともなく諦めてじっとしていた。
そんな僕を――ひょい、とお姉さんは持ち上げた。
「じっとしててねー」
上機嫌のお姉さんは、鼻歌を歌いながらコートのポケットから小さなケースを取り出した。
「~♪ ~♪」
「お……姉、さん」
傷口に、何かクリーム状のものを塗りたくられている。
これは……。
僕は知っていた。これは薬効のある葉っぱをすりつぶして作ったもの……つまり塗り薬だ。
「どう、して?」
「弱い子を見ると放っておけなくてね。私の家まで案内するわ。そこで休んでいけばいいんじゃない?」
「……あり、がとうございます」
呆気に取られていた。
魔物と仲良くする人間なんて聞いたことがなかった。
「私の名前はオリビア。よろしくね、目玉君」
それが僕とお姉さんの出会いだった。
この叡智王編は長いというお話をしました。
何が長いってこのカルステン君の過去話が長いんです。
途中休憩をはさんだりしますが、それなりのボリュームです。
バランス悪くならないように注意していきたい。