同盟
ムーア領東端、ユラール平原にて。
打ち捨てられた砦の一つに、魔王イルマ一の配下――マティアスはやってきていた。
整えられた白髪、加えて執事服を身に着けた彼は、今、砦中央部にある貴賓室に立っていた。
この砦にいるのはマティアスだけではない。壁際に立つ鬼、塔の頂に鎮座するドラゴン、門の前に仁王立ちするオーガ、そのほかにも様々な魔族が集結していた。
イルマ軍、と称されるイルマ配下の魔族たちである。
その力は一騎当千。並の魔族では足元にも及ばない精鋭である。
打ち捨てられた砦にある貴賓室は、当然ではあるが手入れなどまったくされていない。
埃をかぶったカーテンは触れれば崩れてしまいそうなほどにもろく、肖像画は絵の具が剥げホラーチックなっている。
幽霊屋敷、とも称せる汚い場所だ。仮にもイルマの執事として働いてきたマティアスにとって、ひどく居心地の悪い場所であった。
「よろしければ紅茶でもご用意いたしましょうか?」
対するは魔王カルステン。片手に本を読みながら、物憂げに時を過ごしている。
ただし、姿は異様。いつもの黒帽子とガウンを身に着けてはいない。
その姿、さながら重騎士。重苦しい鎧と槍を装備している。
盾、槍、兜、マント、靴。手袋。仰々しい重騎士のような装備の一つ一つが、高レベルの魔具なのである。
叡智王カルステンは魔具を操る魔王である。その真なる力は、魔具の力をもってこそ発揮される。
ゆえにこその、完全武装。
その肉体だけではさして強くないのだが、こうして完全武装を果たした状態ではかなりの力を誇る。魔族であれば、誰もこの魔王を弱いなどとは思っていない。イルマとはベクトルの違う強さなのだ。
「うーん、僕紅茶あんまり好きじゃないんだ。オレンジジュースとかある?」
「お任せください。主の意思を汲むのが執事の務め。すぐにお持ちいたします」
「助かるね。なんだかさー、自分が殺されると思うと喉がカラカラに渇いちゃって。あっははは、緊張してるのかな僕? ねえ、顔とか強張ってる?」
「達人のように感情を乱さないその心。わたくし、敬服いたしました」
「…………」
カルステンは目を細めた。
この男は笑っていない。どれだけ笑い声を出しても、どれだけ頬を緩めても、その芯はまるで巨木のように揺るいでいない。怖いとか、緊張とか、そんな言葉は嘘だ。
マティアスはそれを見抜いていた。
「同盟の件、承諾していただき感謝しています」
「いやー、僕だって死ぬのは嫌だからね。一緒にオリビアを殺すの手伝ってもらえるなら、これ以上のことはないよ」
「……此度のオリビアは、並大抵ではありません」
イルマ軍とカルステンの同盟。それは主であるイルマに内緒でマティアスが提案したことである。
正直なところ、青の破壊王エグムントが死んだという報告を聞いたとき、信じることができなかった。
マティアスは力を持つ魔族である。その強さは魔王にも匹敵し、あらゆる強者を叩き伏せてきた。
そんな彼が主であるイルマ以外で唯一敵わないと思った相手がエグムントなのだ。
マティアスは年若い魔族である。彼の一生のうちオリビアが出現した回数は三回。そのうち今代を除く二回は、いずれも紫の魔王に倒されている。
さして強くない敵、のはずなのだ。しかし今代は、実に4人もの魔王がオリビアによって倒されてしまっている。
異常事態だ。このまま続けば、イルマが倒されてしまうかもしれない。
……むろん、イルマが負けてしまうなどという懸念を彼女本人に話すことはできない。この件は秘密だ。イルマ軍は東方で戦闘訓練を行う、という話になっている。
マティアスはコップにオレンジジュースを注いだ。
「ありがとー。オリビアはいつ来るんだろうね?」
「さあ、わたくしに聞かれましても……」
マティアスは深くため息をついた。
この約一時間後。
マティアスの生涯最後にして最大の戦いが始まる。
「…………」
目覚めると、そこはベッドだった。
俺……は?
そうだ、イルマに戦いを挑んだんだった。
奴は強かった。
俺は死に物狂いで彼女に剣をぶつけた。確かに、その一撃は彼女の腹部を直撃した。クリティカルヒットだった、はずだ。
ただ、それだけしかできなかった。
「ふっ、気が付いたか」
隣には、イルマがいた。
「マティアスがいないからな。包帯とか消毒とか、そーいうのはよくわからん」
見ると、手の擦り傷にばんそうこうのようなものが貼られていた。
なんだこれ? こいつに手当……されてたのか?
そもそも、イルマとの闘いで俺はたいして傷を負っていない。地面に倒され擦り傷ができたりした程度だ。
「悪くなかったぞ。これからも精進するんだな」
そう言って、彼女は俺の部屋から出て行った。
……負けた。けど、殺されなかった。俺は魔王イルマに認められた実力の持ち主ということか。あいつは強者に対してそういうところがあるからな。
「くそっ!」
思わず壁を叩いてしまう。
魔王に手当をされて、激励されるだと! まるで相手にされてないじゃないか!
こんなの……勇者なんかじゃない。俺は……完全に舐められてた……のか?
「…………」
少し、頭が冷えてきた。
クラーラが死んで、自暴自棄になっていたのかもしれない。心のどこかで、『死んでもいい』とか、『命に代えても』とか、軽々しく考えていた節がある。
いけない、こんなことじゃあ駄目なんだ。俺は勇者として、この世界に愛と平和を説いて……。
「……あ、あの、お兄ちゃん、私」
ドアの隙間から、オリビアが顔を覗かせていた。
その姿を見て、俺は――
スキル――〈風竜の牙〉で彼女の首を切断した。
「お前は、次だ」
ここでどれだけオリビアを傷つけようと、覚醒状態にない彼女は再生するだけ。物事には順序がある。まずは魔王を一人倒し、残った魔王に襲い掛かろうとするオリビアを俺が倒し、最後の魔王を倒す。
俺はイルマを倒すつもりだった。だが、認めたくはないが……俺とあの女との間にはまだ埋めがたい実力差があるようだ。〈モテない〉を無効化されている今、勝機は薄い。
俺はベッドに置かれていた手紙を手に取った。
カルステンからのものだ。
イルガ軍と自分がムーア領東端の砦にいる。良かったら遊びにおいで、などと冗談のような内容が書かれている。
これ見よがしの罠。そんなことは分かり切っている。だが、罠を喰い破れれば……あるいは。
「いいだろうカルステン」
その挑戦、受けてたとう。
「まずは貴様からだ……」
俺はムーア領東端へと向かうことにした。
この叡智王編からこれまでの流れとは少し変わります。
どこがどう変わるのかは、まだ言えませんが。