後日談
戦いは終わった。
シェルト大森林は再び静けさに包まれた。残されたのは俺たち三人と、オリビアの死体。
「がはっ」
突然、パウルが口を押えて吐血した。
「だ、大丈夫かパウルさん?」
「……副作用ですぞ」
「副作用? 魔法のか?」
魔王エグムントの身体強化を真似た〈黄糸刻印〉。誰にでも使える能力ならば、エグムントが最強とうたわれるはずがない。
おそらく、相当深刻な副作用なのだろう。体を震わせ、顔を真っ青にしているパウルはまるで病人のようだった。
「ご、ご安心を、三日休めば治まりますぞ。少し、そっとしておいてもらいたい」
パウルは地面に倒れこんだ。死んではいないが、とても起き上がれそうに見えない。
身を切り詰めて、これまで戦っていたわけか。
「ぐ……ぐぐぐ……」
ひどい震えだ。ある種の気持ち悪さを覚えて、俺は思わず後ずさってしまった。
「北の魔王領まで運びましょうか?」
クラーラが心配そうにそう囁いた。俺の時みたいに、妖精たちが運んでくれるということなのかな?
「……オルガ王国の件では醜態を晒してしまい、正直なところ部下に合わせる顔がないですぞ。できることなら、しばらくここに置いてもらえると助かります」
立憲君主制、みたいな感じなのか。パウルが直接働いているわけではないらしい。
なんだか、命の危機がなくなった途端小者臭が出てきたな、このおっさん。
「パウルさん、『魔王領に長期間魔王がいないのはまずい』って言ってなかったか?」
「あの国は私を王としながらも、実際の運営は配下の魔族たちが取り仕切っていまして。実際のところ、私がいなくても何ら問題ないんですぞ」
つまり、オリビアと戦うのが嫌だから嘘をついてたというわけね。ま、まあ、今はもう勝って終わったことだから、許してやらなくもない。
「ごほっ、がっ、はっ」
それに、この人ホントで苦しそうだからな。三人の中で一番身を削ってたのは間違いない。
「しばらく、ここに滞在したいですぞ」
「わかりました。しばらくは私の領地で過ごしてください」
「これを機に、諸国を見て回るのもよいかもしれませんな」
しばらく国に帰らないつもりかよ。ひょっとすると、そのまま魔王領放り出してどこかに行ってしまうつもりなのかもしれない。
クラーラは妖精に命令して、この近くに木製のベッドを作り上げた。パウルはそこでゆっくりと養生することになるだろう。
シェルト大森林奥、泉にて。
肥沃な森林地帯の中心にあるそこは、幻想的な光景を持つ場所である。水の清らかな香りが心を静め、青々とした宝石のように輝く水は見る者の心を洗わせる。
クラーラは素足を泉につけながら、バシャバシャと水を跳ねている。
「終わったね」
「ああ、終わったな」
俺たち二人はオリビアの死体を埋め、簡素な墓を作った。それで死んだ彼女が報われるとは思っていない。ただ、醜く傷ついた彼女の体をそのままにしておくのは……耐えられなかった。
ここには、定期的に訪れることにしよう。それがきっと、彼女に手をかけてしまった俺にできる……唯一の罪滅ぼし。
「ヨウ君、これからどうする?」
「ムーア領に戻るつもりだ。あそこは俺がいないと回らないからな」
「ふふっ、必要とされてるんだね、ヨウ君は。私の領地なんて、私がいてもいなくても何も変わらないよ」
冗談なのか本気なのかは知らないが、クラーラはそう言って笑った。すると、突如周囲に現れた光の玉が、まるで怒っているかのようにクラーラにぶつかっていった。
「あ、ごめん。精霊たちが怒ってる」
たとえ働いていなかったとしても、愛されて必要とされている人はいる。この大森林にとってのクラーラはそういう人なのだろう。
王族? アイドル? なんて表現したらいいんだろう?
必要な人材であるのは間違いないな。
俺は自らの指にはめられた蔦の指輪を見た。
「どうしたの? 指輪、外したくなった?」
「死亡フラグにならなくて、よかったかなって」
「死亡フラグ? なにそれ?」
この言葉は通用しないか。まあ、当然だな。
「決戦の前に結婚の約束とかすると、どっちかが死んじゃうって話さ。物語だとさ、そういう話の展開だと盛り上がるだろ? 定番のパターンって奴さ」
「へー、そうなんだ。結婚……え? 結婚?」
クラーラが目をぱちくりとさせた後、まるで茹でダコのように顔を赤めた。
「そ、そそそそんなっ私結婚なんてつもりは全然なくて、そのヨウ君と一緒にいられたら嬉しいな戦いを勝ちたいなっていわば戦勝祈願的な気持ちでおまじないしたのであって、婚約を申し込んだわけでは決してなくてだからあのそのえっとですねはい……」
目をぐるぐると回している彼女は、ちょっと混乱しているようにも見える。
精霊らしき光の玉が、彼女に諭すように宙をくるくると回っている。
「え? ええ?」
冷静さを取り戻したらしいクラーラは、精霊たちと何やら話をしている。
元気そうで何よりだ、クラーラ。
さてと、俺もそろそろ領地に戻るか。
長いようで短かった、魔王とともに過ごす日々も今日で終わりだ。
「クラーラ、俺はいったん領地に戻るよ。ここにはまた近いうちに来るから、その時はゆっくり話を――」
「待ってっ!」
立ち去ろうとした俺だったが、鎧をクラーラに掴まれてしまった。
なんだ、俺のスキル〈モテない〉が効いてないぞ? 例の強化魔具の副作用か?
「私っ! 言わなきゃいけないことがあるの。お願い、聞いて」
「……何、かな?」
「……わ、私ね。ヨウ君のこと、す……す……、好き、なの」
顔を真っ赤にしたクラーラは、最後の方はボソボソと小さな声になりながらも、しかしはっきりとその言葉を俺に伝えた。
「……クラーラ」
俺だって馬鹿ではない。この前聞いた精霊の話から、何となくそういう気持ちは察していた。
でも、それはあくまで何となくだ。言葉に出されなければ、はっきりしないこともある。
告白。
それはとても、勇気がいること。異世界転移の直前に、俺はそのことを誰よりもよく知ってしまった。
そうか。
魔王クラーラはこれでもかというほどに自分の気持ちを示した。なら、それに答えるのが……俺の義務だろう。
「……この世界に来て、〈モテない〉なんてスキルもらって、女の子に告白されるなんて思ってなかった。」
それは、俺の心からの感想。
「俺は人間で、クラーラは魔王だ。もし、そういう関係になってしまうなら、かなり障害が多いと思う」
「…………」
「でも俺は、君とともにこの一週間を過ごすうちに……考えが変わった。君はとても優しくて、理想論過ぎる博愛主事者で、正直理解はできなかったけど……すごく尊敬できる人だと思った」
オルガ王国での一件を思い出す。
「君に惹かれている自分に気が付いた。君の隣で、君が成そうとしている世界を見てみたいって、そう思ったんだ」
「……ヨウ君っ!」
クラーラの瞳から涙が溢れた。
「俺も、たぶん、クラーラのことが好きなんだと思う。本当なら、ずっとここにいてもいいって思えるくらいに。でも俺には領地のことがある。必ずここに戻ってくるから、一度はここを離れさせてほしい」
「うん……うん」
クラーラは涙を流しながら首肯した。
「じゃあ、とりあえずさよならだ」
そういって、踵を返してこの場を離れようとした俺だったが、たたらを踏むことになった。
クラーラだ。
彼女は俺の手を掴んでいた。
「クラーラ?」
「私に……」
「……?」
「私に、思い出をください」
そう言って、彼女は俺を押し倒した。
「なっ……」
え、おい、ちょっと待って。俺押し倒されてる?
近い!
クラーラの顔が近い。彼女の吐息が、赤く染まる頬が、心臓の鼓動まで聞こえてしまいそうなほどに近く、そして魅惑的だった。
目をつむる彼女。俺も……覚悟を決めなければ。
その唇を重ねようとした――
――その瞬間。
何かの弾ける音がした。
次に目を開いたとき、俺は地面に立っていた。
理解できなかった。
頭が混乱していた。
「あ……へ?」
そんな、バカみたいな声しか出せなかった。
目の前には――オリビアがいた。
〈黄糸刻印〉で身体強化をしたパウルがいた。周囲に精霊の玉を纏わせているクラーラがいた。
そして俺は、剣を構えてオリビアと対峙していた。
そう、それはまるで……ちょうど前日の俺たちそのままだった。
「な、なんで……どうして、こ、こんな……」
今までの後日談は、白昼夢だったのか? 俺は戦いの最中に、夢でも見ていたのか?
「そんな、どうして?」
「わ、私は、ベッドで休んでいたのでは?」
どうやら、オリビアを倒したと思い込んでいたのは俺だけではないらしい。三人そろって同じ幻を見せられた?
「パウルさんっ! 危ないっ!」
呆然としているパウルは、オリビアの攻撃を避けよともしなかった。俺はそんな彼の体をかばう様に突き飛ばす。
「あ……え?」
パウルは正気を取り戻したらしく、慌てて戦闘態勢をとった。
「……な、なにが起きたのですかな? 私たちは確かに、オリビアを倒し墓まで作って。まさか、先ほどまでの話は夢だった?」
「……馬鹿なっ! あんなリアルな夢があるか! 俺たちは倒した、あいつを倒して……クラーラを救ったはずなんだっ!」
幻? タイムリープ? 夢? 催眠術? 並行世界?
何が何だか分からない。確実に言えることは、オリビアが再び俺たちの前に現れたという……その危機的な状況だけだ。
「『自らの死をなかったことにする』。オリビアの能力は、時間すらも超越するのですかな?」
「そんなはずはないっ! そんな能力を持っているなら、さすがのイルマでも勝てるはずがない。これは違う、もっと別の力が働いて……」
「――僕だよ」
突如として背後から響き渡る、第三者の声。
その声を、俺は知っていた。
黒のガウンと帽子を身に着けた、学者風の男。
森の奥から、魔王カルステンが悠然と現れたのだった。
いつもより多めの文字量ですが、そのまま投稿。
これは連続でいくべき話でしょう。