最後の休息
封印術を手に入れた俺たちは、そのままクラーラ領であるシェルト大森林へ戻った。
明日、魔王の天敵――オリビアがこの地にやってくる。
クラーラはバルトメウスのように配下に号令をかけたりしていない。強大な敵との戦いに仲間を巻き込みたくないと考えているのだろう。
明日、ここにやってくるパウルも同様だ。バルトメウスの末路を見て、雑魚をいくら集めても仕方ないと察したのだろう。
俺とクラーラは大木の根っこに座りながら、とりとめのない話をしていた。
眼前に広がるのは木々の生い茂る森。ある種神秘的な光景に、心を落ち着かせている俺がいる。
「明日、だね」
「ああ、そうだな」
クラーラはエメラルド色の髪を撫でながらそう言った。自らの死を連想させるオリビアの襲来に、憂いを覚えているようにも見える。
「ごめんね、いろいろ連れまわしたりして」
「付いていくのは俺が決めたことだ。気にしなくていい」
実際、何か高圧的な要求をされたわけではなく、本当に付いていっただけだ。俺にとっては何も文句はない。
「帰って、いいんだよ? ううん、帰って欲しいかな」
「クラーラ、君は……」
正直なところ、俺はこう思っていた。
クラーラは、俺がオリビアと戦うことを望んでいるのではないかと。
むろん、俺だってこれまで短い間であるがクラーラと過ごしてきたから、彼女の優しい性格は理解している。俺を利用しようと近づいたわけではないのは当たり前だ。
だが、それでも心というのは分からないものだ。自分では自覚していなくても、どこかで邪な気持ちを抱いているもの。
だから心の中では俺とオリビアが激突することを期待し、そして消極的にそれを推奨するような言動をするかもしれない、と思っていたのだ。
しかし、クラーラはそれすらも否定した。自陣の戦力を帰還させることは、指導者としてあまり賢いとは言えない。
でも、それはとても、清く正しいことだと思う。
封印術が万全とは限らない。いくら5魔王が作った努力の結晶といっても、いまだ運用されたことがないのだ。実際に使ってみたらうまくいかなかった、というのもあり得る。
オリビアによる死を、受け入れている……のか?
「クラーラがさ、無理……しなくていいんだぞ」
「ヨウ君、人間だよね? 魔王が死んだ方が嬉しいんじゃないの?」
「それは……」
即座に否定はできない。
確かに、魔王の死は人間にとっての朗報。一般的に考えるなら、その結論は間違っていない。
けど、俺は今までずっと見てきた。彼女の生きざまを、その思いを。
それはきっと、どんな魔族よりも……いや人間よりも尊いこと。
「クラーラや、それにバルトメウス会長は死ぬべきじゃない。俺は人間としてそう思った。生きるべきなんだっ!」
そう思った。
これまで、クラーラはいつも俺やほかの人間を気遣っていたように思える。彼女は病的なまでに優しく、博愛に満ちていた。
こんな子が死ぬべきなのか? はっきり言って、人間の方にももっと悪い奴がいるからな……。
そんな、俺の判断を知ってか知らずか、クラーラは手を握ってきた。
「……ずっと、助けて欲しかった」
白く柔らかいその手が、小刻みに震えている。
「でもね、そんなこと言ったら……嫌われるんじゃないかと思って。イルマみたいに、人間だからって命令していいわけじゃないし、死んでいいわけじゃない。だから私は、助けてって言いたくても言えなかった」
「…………」
クラーラが『助けと』と言ったからといって、その時の俺が急に彼女を嫌いになることはないだろう。ただし、何かの罠を疑って拒絶した可能性は高いがな。
「私はね、ヨウ君と一緒にいたかった。だから、今日までずっと一緒にいられて、うれしかったよ」
「……クラーラ」
「……ヨウ君っ!」
唐突に、彼女が俺に抱き着いてきた。
「お、おい、俺のスキルが!」
「関係ない!」
やせ我慢、してるのか? 俺の〈モテない〉スキルで辛いはずなのに、それでも……この子は。
魔王が涙を流している。
「もっと、ずっとヨウ君と一緒にいたかったなぁ」
「何弱気になってるんだよ。封印術だってある、俺だっている。きっとどうにかなるさ。頼むから、不安になるようなこと言わないでくれ」
「そう、だよね」
ふぅ、と心を落ち着かせるように深呼吸をするクラーラ。
「ヨウ君、手を貸してもらえる?」
「こうか?」
俺が右手を差し出すと、彼女はその手を掴み、小指同士を絡ませた。
それはまるで、指切りをするように。
「創世神オルフェウスよ。我ら二人に祝福を」
頬を撫でる柔らかな風と共に、足元から植物の蔦が生えてきた。
指に、蔦が絡まっていく。
「……なんなんだ? これ」
「おまじない。二人の絆がどこまでも強く、硬くなるように」
絆、か。
おまじないによって完成したのは、蔦の指輪だった。中央には宝石のような花が咲いている。
「こ、婚約指輪みたいで恥ずかしいな、これ」
「そ、そうかな?」
「まあ、嫌じゃないけど……」
彼女の優しさに、少しずつ惹かれている自分に気が付いた。
指輪風の蔦をしげしげと眺めていた俺は、急に視界の変化に気が付いた。
赤、青、緑、黄色、四色の光の玉が花吹雪のように宙を舞っている。
「やだなぁ、精霊がね、私たちのことを祝福してるんだよ。恥ずかしいよぉ……」
いつぞやの精霊とクラーラのやり取りを思い出す。あの時のように、俺には聞こえない会話をしているらしい。そして宙を舞う四色は四大精霊の色。精霊の密度が高ければ、こんな光景も見られるのか。
「……もう、やめてよみんな! 気が早すぎるよ!」
頬を膨らませプンプンと怒っているクラーラは、なんだか見えた目相応の少女ようでかわいかった。
不意に、クラーラがぎこちなくこちらを向いた。
「今の話、聞いてた?」
額に汗を浮かべている。
「いや、俺魔具がないと精霊の声聞こえないから」
「……ホント?」
「本当だって」
「ホントにホント?」
「いや、そんなに聞かれたくないって、どんな話してたんだよ?」
「…………」
クラーラは顔を赤めて目を逸らした。
何を話してたんだろ?
空を覆う精霊たち。
それは、どんな花火よりも綺麗で……美しかった。
い……イルマがヒロインなんだ(震え声)