魔王との対面
階段を登り切った後、天上から月が見えた。
外が見える。
たどり着いたのは、周囲を建物に囲まれた地面だった。
おそらく、コロシアムのような形をしているのだろう。観客席らしき場所には、おびただしい数の魔物たちがひしめき合っている。
「殺せっ! 殺せっ! 殺せっ!」
周囲に魔族たちの叫びが響き渡る。
こ……こんなに魔族がいるなんて……。もう、俺は生きて帰れないんじゃないだろうか……。
「黙れっ!」
ぴたり、と歓声が止まった。ただ一人の言葉によって、この場で殺気立つすべての魔物たちが口を閉じたのだ。
俺のちょうど正面。建物の一番高いところ、玉座のような椅子に腰かける一体の魔族がいた。
あの赤い髪、おそらくあれが……赤の魔王イルマ。
容姿は完全に人型。黒いマントを身に着け、気だるげに頬杖をついてこちらを見下ろしている。
もっと筋肉もりもりの力強い魔王を想像していたが、別段そんなことはなかった。背はそれほど高くなく、あまり筋肉質ではない。
「我が名は赤の力王イルマ。聞けっ、愚かな人間よ!」
魔王は殺気を孕ませた声を俺たちに浴びせた。ただの一般人であったなら、それだけで震えあがっていただろう。
要するに俺はちょっとビビってる。隣のおっさんはそうでもないんだが……。
「血を躍らせ、肉を使い歯を折り私を楽しませて見せろ。できなければ死ね。私を満足させることができれば、褒美に生かして返してやろう」
パチン、と魔王が指を鳴らす。すると、眼前の鉄柵が持ち上がり、中から二体の魔物が現れた。
一体はヤギの顔を持つ悪魔。干からびた老人のような体つきをしている。おそらくは魔法を使うタイプだろう。
もう一体はサイクロプス。巨大なモーニングスターを振り回し、こちらを威嚇している。
「我が配下の魔族だ。遠慮はいらん、肉を粉々にするほどに嬲り殺してくれていい。できるものならな」
くっくっくっ、と冷酷な笑いを漏らす魔王。
ま、まずい……。
冒険者ギルドの構成員として、俺は何度か魔物たちと戦ってきた。そんな経験則から察するに、おそらくこいつらは相当に強い。俺の〈モテない〉スキルが通用すればまだ何とかなるかもしれないが、こいつらは誰がどうも見てもオス。
「ヨウ殿、よく聞いてくれ」
迫りくる危機を前に、小さな声で語り掛けてくるアレックス将軍。
「私が今から全力で突破口を開く。その間にあなたは逃げるのだ」
「将軍はどうするんですか?」
「隙あらば逃げる。駄目なら……それまでの命だろう」
己の命を捨てて、俺を助けるつもりか?
……この人は、本当にいい人だ。
こういう人が、この国に必要なんじゃないのか? 二人で一緒に生き残る道を探るべきなんじゃないのか?
でも、彼の決意を覆すために説得している時間はない。言葉に甘えるしか……俺に道は残されていないのだ。
「あなたはまだ若い。いつまでも、年配たちの我がままに付き合う必要はない。ただ願わくば、あの時伝えた私の遺言を……陛下に伝えてもらえるだろうか?」
「……アレックス将軍」
逃げて……生き残らなきゃな。この人の意思を尊重するためにも。
「さあ、始めろっ! 人間どもよっ!」
魔王イルマの声に従い。魔物たちが動き出した。
まずはサイクロプス、巨大な鉄球をこちらに投げつけてくる。左右に分かれそれを避ける俺たち。
アレックス将軍が剣を掴み叫んだ。
「スキル〈戦女神の加護〉レベル779、〈跳躍の秘技〉レベル556、〈野獣の剛力〉レベル899っ!」
矢継ぎ早にスキルを発動させる将軍。そのレベルは俺の武具に付与されたスキルとは比べ物にならないほどに高い。
スキルを纏った将軍が駆け出す。
俺には彼の動きが見えなかった。ただ一瞬、風の塊のような物体がものすごい勢いで移動していたように目に映っただけだ。もはや人知を超えた神の領域にすら迫っているかのような体技は、相手となる魔物二体を完全に圧倒していた。
いつの間にか、サイクロプスとヤギの悪魔は一刀両断されていた。
敵は倒された。しかし、アレックス将軍はその動きを止めない。
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ! 奥義、〈大地の覇王〉っ!」
瞬間、大地が爆ぜた。
将軍の振り下ろした剣は大地に突き刺さった。そしてそこから直線状に、まるで地割れのような形で爆発が起こったのだ。
その威力、十階建ての建物にすら匹敵する高さを誇るコロシアムを完全に破壊した。それだけではない。そこで闘技の行く末を見守っていたはずの多くの魔物が……傷つき死に絶えている。
まるでその地点にだけ竜巻が通り過ぎたような、恐るべき威力。小規模ではあるものの、完全に地形を変えてしまっている。
「ヨウ殿おおおおおおおおおおおおおおおおおおっ! 逃げろっ!」
これが……チャンス? アレックス将軍が俺のために用意してくれた……逃げ場なのか?
確かに、今、場は大いに混乱している。加えて破壊されたコロシアムは通路にもなり得る。
道は開かれた。
「すまない、将軍っ!」
俺は駆け出した。アレックス将軍はそんな俺の退路を確保しようと、群がる魔物たちは必死に止めようとしている。
急がなければ。
戸惑い、断末魔の叫び声を上げる魔物たち。道は確かに切り開かれ、俺は無人の荒野を進んでいるかのようだった。
建物の残骸を抜け、外へと出る。どこまでも広がる森の中に入った。後ろでは将軍が魔物たちとつばぜり合いをしている。
すべてが、上手く行った。
……ここまでは。
「驚きました、ええ驚きましたとも」
その魔物は、俺が気づいたときにはすでに眼前に立っていた。
そう、例えるなら『老執事』といった印象だ。よく切りそろえられた頭髪は完全に白髪で、執事服のような黒い服を身に着けている。どこかの金持ちの屋敷で働いていたとしても、まったく違和感がない。
「あああああああああああああっ!」
いつの間にか俺の前に立っていた将軍が悲鳴を上げた。その剣は執事風の魔物によって掴まれておりそして……。
アレックス将軍の右足が……魔物の手刀によって切断されてしまったのだ。
「初めまして、人間のお二方。わたくし、魔王様の副官を務めさせていただいております、マティアスと申します。どうかお見知りおきを」
執事風の魔物は、笑みを絶やさずまるで初対面の人間が他人にそうするかのように……慇懃に礼をした。
アレックス将軍は地面に倒れこんだ。足を切断されて立っていられるはずがない。おびただしい量の血が地面に染み込んでいる。しかしそんな彼の苦しみもだえる姿をまったく気にすることなく、マティアスと名乗る魔物は陽気に話を続けている。
「いやはや、それにしてもお強い。わたくし、あなた様の剣を掴んだ手が痺れて痺れて……おー痛い痛い」
彼の言っていることは事実なのだろう。スキル発動下の将軍は尋常でない力を発揮し、現にこれまで多くの魔物たちを屠ってきた。
だがしかし、その程度。
この強力な力を持つ魔物にとって、手が痺れる程度の威力でしかなかった。
「しかしこれはよろしくないですね。我が主は血肉の踊る戦を望んでおられた。これではルール違反も甚だしい。今すぐコロシアムに戻りお伺いをたてねば……」
「よい」
なっ。
突然の来訪者――赤の魔王イルマ自らが……ここに。
体格としては、おそらく俺よりも身長が低いくらいだろう。男としてはやや長い赤髪も相まって、女受けするようなひ弱な美男子にしか見えない。
しかしこの魔王から発せられる気配は、明らかに強者のそれ。そもそも魔物に筋肉のような概念があるのかどうかすら怪しく、見た目の体格だけでこの魔王の力を推し量れるはずがない。
「我が慈悲を無下に扱った罰だ。もはやチャンスをやる必要もない。私自ら引導を渡してくれる」
俺は完全に腰を抜かしてしまった。立てない。混乱と恐怖で頭がどうにかなってしまいそうだった。
駄目だ、逃げられない。距離は1メートルを切っている。
「情けない男だ。少しは反骨の気概を示し……て……」
言葉を詰まらせた魔王イルマは、おもむろに口元へと手をやりそして……。
「……おえっぷ」
……あれ?