遺族の怨讐
クラーラはすぐさまディートリッヒ国王に詰め寄った。
怒っているようにも見える。
まあ、気持ちはわからなくもない。先ほどから国王ディートリッヒは明らかにパウルを挑発していた。それは敵対行動以外の何物でもない。優しい人間であれば、その態度にあまり好感を抱かないだろう。
だが、協力というのが虫の良い話であることも理解できる。ついこの間まで争っていた相手国の王が、教えてください助けてくださいと急に言ってきたわけだ。不機嫌にもなるだろう。
結局のところ、閃光王パウルの交渉能力がなかったということだろう。
「これはこれは森林王殿。ずっと何かを堪えているように見えたから、気を利かせてトイレに案内しようかと思案していたが、いやはや我の勘違いであったか」
ディートリッヒ国王は魔王を前にも動じず、むしろ挑発しているようですらある。
「……あなたはパウルと仲良くしようという気持ちはないの?」
「そんなことはない。願わくば、彼の手を取り一緒にダンスを踊りたいものだよ森林王。しかし今、我は彼の誠意を試さねばならないのだよ」
「腕を捥いでなんて……いくらなんでもあんまりじゃないかな?」
「それほどの強い意志を示してもらいたいのさ。無理強いしてるわけではない」
確かに、絶対にやれという話ではない。やらなかったら封印術が教えてもらえないだけだ。
意地の悪い返答だ。
「愛はね、共に手を取り合って育んでいくものなんだよ。誠意とか、意思とか、何かを示して押し付けるものじゃないっ! あなたは間違ってる!」
「結構結構、愛で死んだ人間は戻らない」
「それでも……あなたはっ!」
「そなたの申し出は理想論過ぎる。人と魔族は長きにわたり争いあう間柄。今更そう簡単に積年の恨みを忘れることなど……無理だ」
やはり、初めから交渉など無理だったのではないだろうか?
激しく言い争う二人を見ながら、俺は半ば諦めにも似た気持ちを抱いていた。どこまで行っても平行線だ。
俺だってつい先日まで魔族討伐、魔王を倒せ、魔王の奴隷とやってきたわけだ。よくよく考えてみれば争っているだけだった。クラーラと出会わなければ、きっと分かり合うみたいな発想は生まれなかっただろう。
もっとも、俺は今でもイルマやクレーメンスと分かり合えたなんて思ってはいないが。敵は敵だ。そのあたりはシビアに考えている。
「ふ……ふふふ……ふ」
いくらかの禅問答のようなとりとめのない応酬が終わったのち、国王ディートリッヒは静かに笑った。
「そこまで言うのならば仕方あるまい。では、ご希望のチャンスを与えるとしよう。ついて来い」
国王は立ち上がり、隣の部屋に入っていった。
俺たちもそちらに続く。
そこは、大きな部屋だった。おそらく、大人数が一堂に会するときに使われるのだろう。
人が、いた。
大きめの部屋に集められた人々は、およそ100人。ある程度引き締まった肉体、武具を装備しているところを見ると、おそらくは軍人だろう。
ただ、誰もがうつむき加減で暗い印象をまき散らしている。
「皆、大切な誰かを魔族に殺された者たちだ。彼らを宥め、和解することに成功したのなら、我も友好について善処しよう。皆、こちらを向けっ!」
国王の声に、何人かが目線を移した。
「先日話をした魔王パウルに代わりこの地にやってきた、魔王クラーラ殿である。我々と友好を結びたいとのことだ。皆、その傷ついた心を大いに癒されてほしいっっ!」
魔王。
その言葉を聞いた瞬間、それまでずっと上の空だった男たちが……一斉に血走った目をこちらに向けた。
まるでゾンビか何かのようなその動きに、俺は身震いを覚えてしまった。
「……魔王?」
一人がそうつぶやくと、堰を切ったかのようにあふれ出る言葉。
「許せねぇ」「娘を」「よくも……俺の妹を……」「絶対に、殺してやる」「泣き叫ぶまで……痛めつけて」「殺す……殺す殺す殺す」「俺の命に代えても、あいつを……」「返してくれよ、あの子をっ!」
男たちが放つ怨嗟の悲鳴が、広い部屋に幾重にも重なった。
説得? 愛? 平和? そんなお花畑の幻想が、瞬時にして吹っ飛んでしまうほどの暗くおぞましい何かが渦巻いている。人間であるはずの俺ですら逃げ出したくなってしまう、そんな雰囲気だ。
その、灼熱のマグマに匹敵するようなおそるべき場所に……クラーラは降り立った。
「皆さん、聞いてください」
それは、ひどく静かで澄んだ声だった。怨讐に呑まれていた人々は、一瞬ではあるが正気を取り戻す。
「人と魔族は、手を取り合い分かり合うべきなんです。そうすればきっと、世界は平和になり、不幸な人は生まれなくなるでしょう。同じ悲劇を二度と繰り返さないためにも、どうか私の手を取ってください。お願いします」
頭を下げて、手を差し出したクラーラ。友好の握手を交わしたい、そんな願いがひしひしと伝わってくる。
誰もが、魔王らしからぬ彼女の言動に躊躇していた。呆気にとられ、動けなくなっていた。
やがて、男が一人、彼女の手を握った。
「ふざけんなあああああっ!」
その手に力を籠め、きゃしゃなクラーラの手を握りつぶした。
クラーラは苦痛に顔を歪めた。人間に近い体つきをしている彼女だ。骨折に近い痛みを感じているのは間違いない。
「お……お、俺らを馬鹿にしてんのか! ああ? ふざけてんじゃんねーぞ!」
その言葉に、人々は一斉にクラーラへと詰め寄った。殴り、蹴り、時には刃物を使い痛めつけた。
クラーラは魔王だ。それもどちらかといえば強い方の。その気になればこの場にいる人間100人なんて赤子の手をひねるように簡単に殺すことができるはず。
そのはず、なのに……。
人間であれば、とうに死んでいただろう。普通の魔族であるなら、素直に反撃していただろう。
だが彼女は無抵抗。なすがまま、されるがままに傷つけられている。
これが慈愛。彼女の優しさの……結末か?
俺は国王に詰め寄った。
「国王陛下っ! これが人間のすることなのか! 今すぐやめさせてくれっ! あんまりだっ!」
「ふふ、はははははっ! 英雄ヨウ殿。誇らしき光景だとは思わないか? 我の兵士たちが魔王を圧倒しているぞ」
「……あなたは悪魔だ! 人を傷つけ、弱い人間をあざ笑うのが魔王だって言うなら……あんたが本物の魔王だ!」
「魔王? 我が? 結構結構」
暴行は続く。
一人の男がナイフを持ち、クラーラの太ももに突き刺そうとした。だがそれはもう一人の男によって遮られてしまう。彼はナイフを持つ男の手を抑えつけたのだ。
「もうさ、やめねぇか?」
そう、静かに言う。
「こいつ、なんか違うだろ?」
「何言ってやがる? 魔王だろ?」
「いや、なんかさ。違うんだ」
歯切れの悪いように、戸惑いを覚えながら声を出している。
「こんなの、魔族じゃねーよ」
その言葉に、皆が手を止めたのだった。
暗い話だー。