不死王の死
俺たち二人は、そっと部屋の外へと出て行った。
あれが魔王バルトメウスとの別れになると思うと、味方でないにもかかわらずなんだかしんみりとしてしまう。
部屋から遠ざかる俺たちとは対照的に、近づいていく少女がいる。
目の前にいる水色の髪を持つ彼女の名は、オリビア。
まるで俺のことを意に介さず、バルトメウスのもとへと向かっている。
そんな彼女を見て、俺は。
「オリビア」
見ていられなくなって、声をかけてしまった。
不安定な足取りで歩く彼女の前へ立つ俺。
本当の彼女は魔王の死を望んでいるのだろうか? こんな凄惨な争いを……果たして許容できるのだろうか?
「俺だ、ヨウだよ。分からないのか?」
「…………」
オリビアは喋らない。いつものように、天真爛漫な笑顔を俺に向けてくれることは……なかった。
その肩を掴み、正気を取り戻させようとした。しかし逆に、俺の肩がダニエルさんによって掴まれてしまう。
「よ、ヨウ君、まずいよ。君の声に反応してこっちに来ちゃったら……」
「……すいません」
私情を挟むべきではない……か。
魔王バルトメウスに義理があるわけではない。俺が彼を助ける理由なんて……存在しない。
オリビアが彼を殺すところを、黙って待っていればいいだけ。
「…………」
でもあの人、そんなに悪い人じゃなかったよな?
一応人間のことを考えていてくれたし、俺に対しても誠意を尽くしてくれた。
ああいう魔王が生き残るべきだった。それは間違いないと思う。
心にもやもやとした感情を残したまま、俺たちをオリビアを見送ったのだった。
ヨウとダニエルがいなくなった執務室は静けさに包まれていた。
無人。
それはこれから死に至る可能性のあるバルトメウスにとって、ひどく心地が良いものだった。
「長かった……」
そう、独り言を口にする。
メリーズ商会の会長として、生前から並ぶものがないほどの富と名声を得ていたバルトメウス。その力は一国の王にすら匹敵していたといっても過言ではない。
しかしどんな人間にも必ず終わりは来る。栄華を極めたバルトメウスとてその例外ではなく、死んでしまった。
だが神はバルトメウスを見捨てなかった。アンデッドとして第二の生を与えてくれたのだ。
力を持つアンデッドであった彼は、早々に〈人化〉を身に着け人としての富と名声をそのまま継承した。それはアンデッドとしては異例のことであり、その弱さから不遇の扱いを受けていた同族から尊敬を受けた。
やがて、力を持つ彼の下にアンデッドたちが集ってきた。
潤沢な資金を用いて国家から都市を一つ買い上げた。
魔王に選ばれ、〈水蘇生陣〉によって多くの仲間を増やすことができた。
自分だけの国を、街を、仲間を作っていくことは快感だった。弱くてもいい、王侯貴族……果てには魔王と交渉し、時には魔具を駆使し現状を維持してきた。
だが、そんな彼にもとうとう終わりがやってきたようだ。
ぎぃ、と蝶番の軋む音がした。ヨウたちが出て行った扉から、一人の少女が入ってきたのだ。
オリビア。
「やあ、久しぶりだね」
魔王バルトメウスは落ち着いた姿勢を崩さず、椅子に座ったまま彼女に語り掛けた。
「私の名前はバルトメウス。不死王の名を持つ魔王の一角。オリビア君、私は君に話したいことがあるのだよ。まずはそちらの椅子に腰かけてくれないかね?」
バルトメウスは近くにあったボトルの栓を抜き、中の液体をワイングラスへと注いだ。
「君のために用意した南方の果実酒だ。この芳醇な香りは他のどんな酒にも負けないと評判でね。もっとも、アンデッドとなった私には香りなどよくわからないのだがね……」
オリビアがこちらに寄ってきた。荒い息のまま、バルトメウスの言葉を理解しているのかそうでないのかはよく分からない。
「私の富をすべて君に渡そう。どんな服でも、絵画でも、果てには都市や山すらも買えてしまうほどの膨大な資金だ。君のあらゆる望みをかなえることができるだろう。私の命を助けてくれるのなら、君に渡してもいい。悪い話ではないと思うのだがね?」
ワイングラスが割れた。
近づいてきたオリビアは、まるで机などあってないものであるかのようにその歩みを止めなかった。木製の机はミシミシと音をたて割れてしまった。
「……ぐっ!」
バルトメウスはその背骨を掴まれた。
オリビアを説得できると思ったわけではない。
ただ、示したかったのだ。
野蛮な力をもって人間を威圧する魔族ではなく、会話と交渉ですべてを決定する商会長としての自分。それが真実の姿なのだと。
だから、そのように行動した。たとえ相手が話の分からない獣のような敵であったとしても。
それが自分、会長バルトメウスの唯一にして絶対の誇りなのだから。
「無念」
悔いはある。
未練もある。
死にたくない。
しかしそれでも、己の矜持だけは守ろうと……そう思った。
その皮すら残っていない骨だけの頭蓋に、オリビアは噛みついた。
魔王バルトメウス死亡。
その事実は、例によって魔王たちには迅速に伝わり、人間たちには緩慢に伝わっていた。
魔王バルトメウス領スツーカ。
主のいないその城には、頭部の砕かれた骸骨が一人……さながら玉座に座る王のように鎮座している。
死してもなお己が領地に留まる魔王、バルトメウスである。
人々は誰も知らない。この地が魔王領の中心であることを、そしてこの骸骨が魔王バルトメウスであることを。
ただ、事情を知るアンデッドたちは生前の彼を懐かしみ、時として涙を流すのであった。
ここは墓標。
かつてアンデッドたちを束ね、その地位向上に尽力した英君の墓。壮大な城は彼を安らかに眠らす棺として、今日もまた無人のまま時を過ごしている。
ここで不死王編は終わりとなります。