現実逃避のお勉強会
目覚めると、そこは牢獄だった。
暗くじめじめしたそこは、おそらく地下牢だろう。日の光もまったく届かないようなその場所に俺は閉じ込められていた。
しかし劣悪なのは牢獄の環境だけで、奴らの俺たちへの扱いは悪くない。食事も出してもらえる、防具や武器だって取られていない。拷問や尋問みたいなことはまったく行われなかった。
こいつら、何がしたいんだ? 俺たちをペットにしたい、ってわけがないし。分からない……。
同じ牢には、一人のおっさんがいた。アレックス、と名乗ったこのヒゲオヤジは、どうやら先の戦いで騎兵隊の将軍を務めていたらしい。かなり偉い人だ。
あれからすでに半月は経過している。それまで、ずっとここに監禁されているのだ。
で、時間ばかりが過ぎていく中……俺が何をしていたかというと……。
「我々が攻めていたムーア領がこのあたりだね」
そう言って木の板に描かれた地図を指すアレックス将軍。頭髪やあごひげは白髪交じりで、中年といったところだろう。ニコニコと笑いながら、こちらを見ている。
彼も気を紛らわす暇つぶしができて嬉しいのだろう。
要するに俺は勉強中なのだ。このおっさんから、俺に今まで不足していたこの世界についての情報をいろいろと教えてもらっているのだ。
今は木の板に世界地図を書いてもらっている。
ま、まあ……捕らわれてこれからどうなるか分からないから、お話を聞いて現実逃避しているとも言う。
「ずいぶんと広い領地なんですね。領主は誰なんですか?」
「ふふっ、この地は紫と赤の魔王によって占領されているのだよ、ヨウ殿。あそこは領地とは名ばかりの敵地だった。それはこうして捕まってしまった我らが、誰よりもよく理解していることであろう?」
「……全くその通りですね、はい」
引き締まった肉体、隙のない動き。おそらくは相当の武人だろう。魔王軍から逃げようと思えば逃げれたはずだ。俺と同じように、誰かを庇って捕まってしまったのかもしれない。
ちなみに俺、遠くの田舎から来た設定で何も知らないことにしている。異世界人だからホントまったく無知だからな。
「次は魔王領についてですな」
「魔王にも領地があるんだよな? 人間も住んでるのか?」
「人間を家畜同然に見る魔王、戯れに殺す魔王、その扱い方は分かれるものの……かねがね良い状態とは言えないだろうな」
アレックス将軍は木の板に魔王領を書き足していった。
ムーア領、およびその東方を支配する赤の力王イルマ。
ムーア領南、およびその南方を支配する紫の謀略王クレーメンス。
北と西を支配する青の破壊王エグムント。
この三者が治める地域と国境を接している国、それが我らグルガンド王国である。
「こうして見ると、人間ってボロボロに負けてるんですね。あ、別に将軍の悪口を言いたいわけじゃないんですよ、ほんと」
「はっはっはっ、ヨウ殿……いいのだよ。全くもってあなたの言う通りだ。これまで人類はことごとく魔王軍に破られてきた」
沈痛な面持ちのアレックス将軍。自らの力が至らなかったことを悔いているのかもしれない。
「かつて南方に栄えていた、アースバインという帝国があった。人類史でもまれにみるほどに精強で、その恐るべき力で魔王たちに対抗していたと聞く。かの帝国が滅んで100年。人類は魔族に対抗する術を失ったまま今に至っているのだ」
「その帝国は魔王を倒せなかったんですか?」
「いや、そのアースバインですら魔王を殺すには至らず、互角に渡り合うレベルだったという話だ。魔王を倒すレベルの話になると、もはや物語なのか現実なのか分からない伝説の勇者イルデブランドの時代に遡らなければ……」
……とりあえず、現実問題としてこの世界の人々は魔王を倒せないらしい。配下の魔族にすら苦戦しているようだから、かなり追い詰められているんだろうな。
将軍のおっさんが悔しそうに唇を噛みしめた。軍人として、魔王にいいようにやられてしまった自分が許せないのだろう。
「本当に申し訳ない! 夢も未来もある若者たちの命を奪ってしまったと思うと、私は……口惜しさと悲しさで胸が破裂してしまいそうだよ。この命でヨウ殿を救えるなら、すぐに腹を切って詫びていただろうにっ!」
「いやいや、そういうのいいですから……」
「ヨウ殿。もしあなたが生きて帰れたのなら、どうか私の死を陛下に伝えてくれ。そして願わくば、この国を破滅に追いやる奸臣――モーガン公爵の首を切るようにとの忠言をっ!」
どうやら、相当に責任感の強い人らしい。ここにきてから死ぬだの遺言だのと何度も叫んでいる。
まあ、俺も泣きたい気持ちではあるんだが……。近くにもっと危なそうなオジさんがいるせいか、逆に冷静さを保っているような気がする。
「そ、それにほら、俺たち捕らわれてるけど殺されてないじゃないですか。俺たちいい鎧着けてるから、きっと王国に身代金とか捕虜交換の話を……」
「ないな」
そ……そんなに真向から否定しなくてもいいじゃないか。藁にもすがりたい気持ちなのに。
「紫の謀略王ならともかく、赤の力王から捕虜交換の話が出たことは一度もない。捕らわれた者たちは……二度と帰ってこなかったのだ」
「…………」
「赤の力王は武力を貴ぶ魔王。力を崇拝する魔族で構成され、女性を蔑視していると聞く。ここの魔族たちは魔王を筆頭として全員荒くれもの男。金でどうにかできる相手ではないのだよ、ヨウ殿」
お……俺、なんて運の悪い。話を聞く限り、よりにもよってこの赤の力王軍だけが男ばっかりの集団らしい。
い、いや待て、まだあきらめるのは早い。もしかしたら魔王とか有力幹部の妻がいるかもしれないから、そいつを俺のスキルで脅して……。
いや……そんな都合よく見つかるのか? っていうか俺、捕らわれて自由に動けない状況なんだが……。
このまま処刑されてしまうのは確定なのか?
「……さて、次は伝説の勇者イルデブランドの話でも」
と、次の話を聞こうとしていたちょうどその時、俺たちの牢屋に近づいてくる足音が聞こえた。
オークだ。
オークは鍵を使い、牢屋の扉を開けた。
「お前ら、出ろ」
とうとう、この時がきてしまったのか。
俺たちは剣を持っている。その気になればこのオークを殺して、逃げ出すことができるかもしれない。
しかし、将軍も俺も、ここに連れられたときは気を失っていた。ここがどこだかまったく分からないのだ。簡単には逃げられない。下手に騒ぎを大きくして、他の魔物たちを集められてしまったらやっかいだ。
ここはやはり、素直に従っておくべきだろう。チャンスはいつか必ず訪れるはず。
「俺たちはどうなるんだ?」
「黙ってついて来い」
無言のオーク。牢屋の奥にある階段を上っている。
俺たちは周囲の様子を窺いながら、魔物の後ろについていった。
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