青糸刻印
強さが欲しかった。
エグムントは若い魔王である。誕生したのはアースバイン帝国が隆盛を誇っていた100前より後だった。
彼が魔王として君臨したその時には、すでにイルマがいた。その巨大な力は昔話としても、現実としても確かに存在する。世界中が彼の力を認め、そして恐れていた。
誰もかなうわけがない。あの魔王は最強。
他人がそう噂するのを聞き、エグムントは許せないと思った。
力はあった。
幾多の魔物をねじ伏せて来た。
にも関わらず、未だ争ったことのない赤の魔王に対し、優劣が付けられているこの現実が許せなかった。
それを誰が決めた? 神か? 人間か? 魔王か?
認めないっ!
青の破壊王エグムントは赤の力王イルマと争った。今から30年前の話である。
結果は引き分けだった。
しかしこの事実は世界中に伝わり、いつしかエグムントはイルマと並び称され最強と呼ばれるようになった。
しかし、エグムントの心は複雑だった。
最強を示そうとして、己の限界に気がついてしまったのだ。
あの時、イルマは手加減していたような気がする。
あるいは、あの魔王は自分と同じなのかもしれない。純粋に戦闘を楽しみたいがゆえに、相手に合わせて能力を調整する。エグムントにはエグムントの力量で、それ以上の敵が現れたのならそれ以上で戦っていたのかもしれない。
エグムントは複雑な心境のまま思った。次に戦うときは……イルマの全力を引き出せるよう……強くなろうと。
少女オリビアは荒い息だ。
「……ふぅ、はぁ、ひぃっ、はぇっ」
涎を垂らし、虚ろな目はしかし獣のようにこちらへと向いている。意識はない、理性はない、しかし魔王を狩るといういわば本能のような欲望だけが残った……兵器。
「へ、へへっ、待ってたぜ。始めっか、おい!」
瞬間、エグムントの体が膨れ上がった。
エグムントは戦闘において魔法を使わない。自らの体に施した紋様、〈青糸刻印〉と呼ばれるある種の刺青が己の肉体を強化し、近接戦闘において巨大な力を発揮する。
隆起した筋肉はさながら岩のように固く、そして強い。エグムントが拳を突き出すと、押し出された空気がさながら弾丸のようにオリビアの頬を掠めた。わずかな切り傷と、宙を舞う青い髪。
対するオリビアは跳躍した。右に、左に、さながらボールが跳ね飛ぶように俊敏な動きで眼前の敵を翻弄しようとする。
とても肉眼で捉えることのできないスピード。
……ただの人間であったのなら、の話だが。
「はっ、それでフェイントかけてるつもりかおいっ!」
だがそれすらもエグムントにとっては児戯に等しい。その動体視力は完全にオリビアを捉えていた。
エグムントは完全に彼女の動きを見切っていた。縦横無尽に移動するその敵の、さらにその背後へと回る。
「おらよっ!」
エグムントはオリビアに拳を叩き付ける。
決まった。
エグムントの拳は、獣のように迫りくるオリビアの腹部へと直撃した。その力の奔流は余すことなく彼女の体へと叩き込まれ、衝撃によって小石のように吹き飛ばしてしまう。
飛ばされた彼女からは、骨が砕ける音がした。幾重にも岩盤を貫き、やっとのことでその勢いが止まったときには……城の外で出ている状態だった。
「俺をクレーメンスと一緒にすんじゃねーぜ?」
両手の関節を鳴らしながら、エグムントはオリビアへと近づく。腹がさばいた魚のようになり、肋骨がはみ出していた。
誰が見ても、即死。ヨウがこの場にいたならそのむごたらしい姿に涙を流していたかもしれない。
それほどの光景。
だが……。
肉が動いた。
骨が軋む音がした。
血が、まるで泉のように噴き出していた。
恐るべきことに、彼女の体は再生していた。そう、それはまるで魔王クラーラが剣で彼女を突き刺した時のように。
「お……おい……。なんだよ……これ」
エグムントは震えていた。それは恐怖からくるものではない。
武者震いだ。
「面白ええええええええええええええええええええっ! 最高のサンドバックじゃねーか!」
エグムントは跳躍し、再生途中の彼女へと迫った。叩き付けようとした蹴りは宙を舞い、岩盤へと空振りした。
「……っ!」
オリビアは傷の癒えないまま飛び跳ね、城の外壁へ着地し、再びエグムントのもとへと迫ってきた。
その間、瞬きするほどの時間。
とても反応できる余裕などない。魔王の天敵はエグムントの肩に噛みついた。
「がぁっ!」
魔王エグムントは痛みのあまり声を上げてしまった。まるで魂を引き抜かれるかのような恐ろしい悪寒を感じたのだ。
だが、到底致命傷とは言えない。エグムントは彼女を引きはがし、再び距離を取った。
「…………」
沈黙の二人。
エグムントは考える。
昔話によると、魔王イルマは確かにオリビアを殺した。それを彼女が否定したことはない。真実なのだろう。
ならば、どうすればいいか? 何か特殊な方法が存在するのだろうか?
否。もしそうであるならば、先日の会議で何か宣言がされているはずだ。イルマとはそういう魔王だ。一度手を合わせたことのある自分は、そのことを良く知っている。
イルマはエグムントと同類だ。戦いを楽しんでいるところがある。ならばやはり、オリビアを倒すためにはとどめを刺し続けるしかないのだろう。おそらく、勇者イルデブランド時代の赤の魔王もまたそうやって戦いを楽しんでいたはずだ。
つまりは、戦を楽しむ。
「あっははははははははははは!」
エグムントは笑った。
これ以上にないほどに、愉快。
騒然となった魔王エグムントの城には、主である魔王の笑い声がいつまでも木霊していた。
久々に最初から読み直したらまだ誤字ががががが。
気がつき次第修正します。