表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
29/210

虚像の勇者

 魔王クレーメンスは逃亡していた。

 その身に刻み込まれたのは怒り、不安、焦燥。自らの姦計を遥かに上回る敵、魔王すらもその手にかけた男、ヨウ・トウドウ。強敵を前にし、久方ぶりの恐れを覚えている。

 ともかく、今は逃げることが先決。ヨウがイルマと結託しているとなれば、もはやあの城に籠っていていいことなど何もない。決戦の準備が必要だ。

 いかにイルマが強くても、一個人の戦闘と集団による戦争はまったくの別物。規模が大きくなれば大きくなるほど、クレーメンスにも抗う手立てはある。


「ふふ……ふふふ」


 クレーメンスは笑う。己の勝利を確信したからではない。あらゆる謀略を駆使し、最強ともいえるイルマを追い詰める己の姿を夢想し、悦に浸っているだけだった。

 そんな妄想に心を委ねていたから、気がつかなかった。


「やあ、クレーメンス。そんなに急いでどこへ行くんだい?」


 一人の、男が立っていた。

 あまり筋肉のない、図書館で本を読んでいるのがお似合いといった容貌の青年。黒いガウンと四角い帽子を身につけたその姿は、人間の学生を思い出させる。


 橙の叡智王カルステン。


 イルマとともに最古の魔王として名を連ねる、魔族たちの王。神に至るともされるその叡智と収集した魔具は、他の魔王たちと比べ一種独特であり、異様な存在感を持っている。

 クレーメンスは移動を止めた。

 クレーメンスの領地はグルガンド王国南に存在する。しかしこのカルステンの領地はグルガンド王国とも自分の領地とも接しておらず、それゆえにここにいることは不自然なのだ。


「どこ? と言ったかカルステン。自分の家に帰るだけだ」

「右目、怪我してるよね? イルマの奴隷はそこまで強かったのかな?」

「…………」

 

 ヨウの話は一度も出していない。おそらくこの男は、間者か何かを放って先の戦いの委細を承知しているのだろう。ここにいることも偶然ではないはずだ。

 何のため?

 クレーメンスにはそれが分からなかった。目的の分からない他人ほど恐ろしいものはない。

 沈黙しながら相手の出方を窺っていたクレーメンスだったが、カルステンの後ろを走っている第三者に気がついた。

 人間の少女だ。

 白い衣を身に着けた、水色の髪を持つ美しい少女。誰もが彼女を前にして足を止め、その美貌に感嘆の声を漏らすだろう。

 しかし、黙っていれば美少女なのだろうが、少女は走っている。美少女にあるまじく、まるで野を駆け山を駆ける男の子のように。

 その外見年齢に似合わない、子供のような少女。


「まて~まって~」


 少女はどうやら蝶々を追いかけているらしい。走って捕まえようとしているのだが、羽を傷つけてしまわないようにと慎重になるあまりうまく行っていない。


「にょわっ!」


 少女は転び、その絹の衣を泥で汚した。再び立ち上がったが、もう蝶々を追いかけようとはしない。

 どうやら蝶々を追いかけることに飽きたらしい。

 少女はカルステンのガウンを指先でつまんだ。


「か、かるすてん。絵本がよみたい」

「またぁ? さっき読んだばっかりだよね?」

「ううぅー絵本絵本」

「仕方ないなぁ」


 カルステンは懐から一冊の絵本を取り出し、それを彼女に渡した。


「かるすてんの絵本が一番。いちばん!」


 まるで子守をする父親のようだ。魔王と人間とは思えないその様子に、クレーメンスはただ面喰うばかりだった。


「お前は何をしているのだ?」 

「ふふ、何をしてると思う? クレーメンス」

「気が狂っているとしか思えない。人間の女など……世話……」


 ふと、クレーメンスは気がついた。

 ここで初めて会った時、すでにカルステンが持っていた本、それは文字がびっしりの学問書や小説の類ではなく、ただの絵本だった。


 勇者イルデブランドの冒険。


「……っ!」

 

 一瞬、クレーメンスは自らの黒い靄状の体を震わせた。何かとてつもなく嫌な予感がしたのだ。

 クレーメンスは思い出した。

 


 それは、約30年前。

 魔王クレーメンスはイルマと対談していた。大臣を人質に取った件を卑怯だ臆病だと罵られ、今後どうやって戦争を行っていくかを詰めていたのだ。


「余とて人間に怯えているわけではない。ただ、万に一つという可能性も排除しきれない。奴らが強力な力を得たとすれば、魔王すらも退けることも……」

「クレーメンス、お前は決して弱くない。次からは実力で戦え。人間ごときに魔王が後れを取るはずないだろう?」


 そう、自信ありげに言うイルマを見て、クレーメンスは……。


「……くっくっくっ」


 笑った。

 

「何がおかしい?」

「いや、そなたが勇者イルデブランドに勝てなかった話を思い出してな。それこそ、人間が魔王を打ち破る可能性を秘めているという確かな証ではないか?」


 勇者イルデブランド。聖女オリビアとともに世界を旅し、6体の魔王を滅ぼしたとされる恐るべき人間。クレーメンスはその当時まだ生まれていなかったが、その話は知っている。

 クレーメンスとしても彼女をバカにするつもりはない。ただ少し、イルマを挑発してその出方を窺おうとしていただけ。

 だが、イルマは不快な感情を表に出すことなく、ただ鼻で笑っただけだった。


「知ってるか? あいつ……イルデブランドは勇者でもなんでもなかった。私が一睨みするだけで泣きわめいてすぐに岩に隠れる、そんな臆病で情けない奴だった。それを英雄だの勇者だのと崇めている人間たちは、本当に滑稽としか言いようがない」


 笑いを押し殺そうとしているイルマだったが、堪え切れていない。

 その様子を見て、クレーメンスは疑問に思った。彼女の話には、どうしても辻褄の合わない事柄がある。

 勇者イルデブランドは6人の魔王を滅ぼし、イルマと激戦を繰り広げた。それは人間に語り継がれる伝説であり、魔物にも知られる事実である。

 しかしイルマは言う。イルデブランドは勇者でない、と。


「ならば一体、誰が魔王を滅ぼした? 誰がお前と戦った?」

「それは――」



 その時の、記憶。

 クレーメンスは思い出した。


「カルステン、ま、まさか……その女は?」


 橙の叡智王、カルステンは絵本を閉じてこちらを向いた。


「オリビア」


 そう、一言。

 

 かつて、勇者イルデブランドが伴侶とした聖女オリビア。彼に聖剣を授け、その旅を共にしていたとされる良妻賢母の象徴。

 しかし、それは人間の作り出した虚像に過ぎない。

 聖女オリビアは人間ではない。


「…………」


 クレーメンスは気がついた。先ほどまで騒がしいほどに動き回っていたはずのオリビアが、急に黙り込んでいるのを。


「……あ、……あぁっ、ふっ……あぁっ」

 

 涎を垂らし、体を震わせるオリビアの姿は明らかに常人ではない。尋常ならざるその光景に、クレーメンスは距離を取ろうとした。

 が、オリビアは跳躍する。

 速い!

 クレーメンスはその初動に対応できなかった。その動きは人間を完全に凌駕しており、魔王の知覚を持ってしても捉えられなかったのだ。


「き、貴様あああああああああああ、カルステン! 自分が何をしているか、分かっているのか?」


 少女の柔らかい手が、クレーメンスの体を掴んだ。雲のように空気に等しいその靄を、確実に手に収めている。


「お、オリビアは魔王の天敵。それを、それをお前はああああああっ! 分かっているのか? お前の番も来るのだぞ! 皆殺されるのだぞ! それをおおおおおおお、それをお前はっ!」


 少女オリビアは、荒い息のまま口を大きく開けて……クレーメンスにかぶりついた。


「ひ、ひぃいいいっ!」


 食べる。

 ただ、食事をされる。

 クレーメンスという霧状の生命体が、確実に浸食されている。


「あ……ああ……あ……」


 己の存在が、削られていく。

 ヨウ・トウドウに切り付けられた時とは違う、明らかに迫りくる……死。

 どこで間違えたのか?

 クレーメンスには……分からなかった。



 こうして、七人の魔王――その一角、紫の謀略王クレーメンスは死んだ。

 かつて魔王たちを震え上がらせた勇者イルデブランドの時代。その暗黒時代の再来であった。


ここまでが魔王奴隷編です。


これ、本当は対応する話を事前に出しておく予定だったんですよ。

イルマがヨウの絵本を見て『人間って都合のいい改変してるなー』って呟くそんな話を……入れ忘れてしまった。

18部にねじ込んでおこう。


そして、今まで1.5日ごとに投稿してましたけど、このペース保てそうにないです。

日曜日、私的な用事で時間がつぶれてしまったため、もう無理っぽいです。

2日に一回ペースに移行します。

申し訳ない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ