紫夢霊眠
学校はつまらないところだ。
公式を覚えて、歴史の人物を覚えて、地名を覚えて英単語を覚えて薬品の名前を化学式を……以下エンドレス。
結局、ひたすら覚えるだけの日々だ。覚えるのではなく、理解するのだと主張する人がいるかもしれない。でも結局、理解した内容を覚えるだけなんだ。問題を理解するやり方を覚えることと、単語を覚えることに何の差異がある?
そもそも、数学なんて何の役に立つんだ?
生物なんて何の役に立つんだ?
国語ですら、高校レベルなら知らなくても生きている内容だ。
無駄無駄無駄。黒板を眺めることと、窓の外に映る雲を眺めていることに何の違いがある?
俺は何気なく日常を過ごしている。学生として、勉強がめんどくさいと感じながらもぼんやりと黒板を眺めている。
退屈な一日。いつもと変わり映えのしない、俺を堕落されるだけの……日々。
でも、なんでだろう。
何か、変な感じだ。俺はなんでここにいるんだ? もっとやるべきことがあったんじゃないのか? 何かを……忘れて……。
いや、なんだこの疑問? ラノベやアニメの見過ぎで頭がおかしくなってしまったのか? 冷静になれよ、俺。トラックに轢かれても転生なんてできないって。
ただ、そんなことを考えてしまうぐらい、何かに飢えていたのは間違えないと思う。
だから、かな。
何かを成し遂げたい。少しだけ、勇気のあることをしたいと思ったのは。
どんな結果になってもいい、失敗しても、惨めに涙を流すことになってもいい。ただ俺は……何かを成した気分が味わいたかっただけなのかもしれない。
だから俺は、彼女を川辺に呼び出した。ずっと好きだった、でもその想いを今まで伝えてこなかった……一人の女の子を。
「藤堂君、こんなところに呼び出して何の用?」
彼女が不思議そうにこちらを見た。何の要件とも伝えていなかったから、当然の反応か。
「……あ、あの……」
舌がまごついた。言わなければならないことがある。今日、そのために彼女をここに呼び出したんだ。でも、いざ目の前にしてしまうと……心が躊躇してしまう。
でも俺は……勇気を振り絞って声を上げた。
「俺と付き合ってくださいっ!」
俺は頭を下げた。
やった、言えた。
まだ何も話を聞いていないのに、わずかな達成感が俺の心を満たした。一歩踏み出す勇気を出せことが嬉しかったのだ。
「……嬉しい」
「え?」
「嬉しよ。藤堂君も、同じ気持ちだったなんて」
「えっと、それじゃあ」
「うん、私もね、藤堂君のこと、ずっと好きだったんだよ」
かぁ、と顔が真っ赤になっていくのを感じた。冷静に考えてみれば、俺って告白したんだよな? 今更ではあるけど、めっちゃ恥ずかしくなってきた。
でも、これで俺たちは結ばれたんだ。
俺は彼女の手を握った。暖かくて、柔らかくて、同じ人間の手とは思えないほどに……心地よかった。
にっこりと微笑む彼女。
つられて笑う俺。
手を繋ぎ、俺たちは川辺を歩いた。指を一つ一つ絡ませる。それは編み物のように深く繊細に、二人の心が離れないよう。
俺たちは結ばれた。
最初で最後の勇気は、一番のハッピーエンドを持ってきてくれた。キューピットのファンファーレが聞こえたような気がする。
「このままどこか行こうか? この時間なら、ゲームセンターか公園か。なあ、どっちが――」
「…………」
「あれ?」
反応がないので、俺は彼女の方を見た。
いつの間にか地面に座り込んだ彼女は、突然口を押えた。プルプルと体を震わせながら、顔を青くしている。
「ど、どうしたの? 大丈夫?」
「……おえっぷ」
え?
吐き気? なんで? 俺、そんな耐えられないほどに臭かったのかな? うわヤバイまじショック。実は周りの人にひどい不快感を与えてしまっていたのだろうか。
ああああ、なんてことだ。せっかくのハッピーエンドが台無しじゃないか! 息とか、体臭とか、そういうの結構まずかった?
……違う。
どこかで、漠然とした違和感を覚えていた。俺は何をやっている? どうしてこんなところにいる? 学校で授業を受けていることが、日常だったのか?
こんなに、ハッピーエンドだったか? 思い出せ! ここで思い出さなければ、俺は……あいつに……。
俺は……っ!
瞬間、世界が爆ぜた。
俺……は?
そうだ、確かクレーメンスの魔法を受けて、それで意識が遠くなっていって……。
…………。
頭がさえてきた。どうやら先ほどまで見せられていた夢か幻のような光景が、クレーメンスの放った魔法の効果らしい。そして俺は、なんとか意識を取り戻したところ……って感じか。
どうやら、こういう結論で間違いないだろう。
俺の〈モテない〉レベル956、幻覚にまで干渉し女の子を不快にする。
ったく、なんだよ俺のスキル。幻の中でもいい思いをさせてくれないなんて……ホント、罰ゲーム過ぎるぞ。
だけどまぁ、今回はこの迷惑スキルに救われたな。あれがきっかけとなって、幻から現実へと引き戻されたっぽいからな。
俺のスキルって、夢とかにまで干渉しちゃうの?
いや、今まで夢の中に女の子出てきたことあるよな? その時は普通に話とかして、距離だって近かったはずだ。
ひょっとすると、俺の〈モテない〉スキルは魔法と相性が悪いのかもしれない。呪いの解呪スキル的な力で、魔法の力を無効化した?
細かいことは分からない。調べることも難しい。ただ、スキルのおかげでなんとかなったって認識で十分だろう。
さて、と。
眼前で微動だにしない魔王クレーメンスを、俺は薄目で確認した。俺が覚醒したことに気がついている様子はない。
千載一遇の幸運を手に入れたんだ。このチャンスを逃せば……俺は今度こそこいつに殺されてしまう。
どうすれば……奴を退けられる?
最近トラックを見ると『転生……』とか思ってしまう。