英雄アレックス万歳
国王陛下が、魔王。
それは、俺が当初想定していた公爵=魔族の構図よりも……遥かに深刻で……末期的な状態だった。
誰しも、恐怖と衝撃で硬直していた。俺も、アレックス将軍も、逃げ遅れた貴族や衛兵も。
「陛下っ!」
まず先陣を切ったのはアレックス将軍。その悲痛な叫びは、彼の長年に渡る陛下への信頼に裏打ちされたゆえのもの。
「ぐ……う……うううぅううっ!」
アレックス将軍の言葉を聞いたせいか、突然、クレーメンスは苦しみ始めた。
「あ……アレックス。余は……一体、何を……ぐうっ!」
「へ、陛下? まさか、陛下なのですか?」
「余が、魔王? 余が……余がああああああああっ!」
国王陛下は再び苦しみだした。己の内なる魔王と戦い、その良心を必死に保とうとしている……ように見えた。
俺はそんな苦しむ陛下を見て――
「〈風竜の牙〉レベル30っ!」
躊躇なくスキルを放った。
陛下はそのスキルを体で受け止める。玉座が邪魔となり、風の刃はあまりきれいに決まらなかった。表面に浅い傷を残しただけ。
「よ、ヨウ殿っ! 何をしている! 陛下が……心を取り戻そうとして……」
「将軍、落ち着いてください。この数年間……いやひょっとすると数十年間以上国王として君臨してたこの男が、こんなところで都合よく将軍の声を聞いて正気を取り戻すなんて、ありえますか?」
「し、しかしヨウ殿っ! 陛下は元に……」
「これまで、多くの領地が奪われたっ! 富は奪われ、戦争で何人もの人が死んだっ! 心を取り戻す機会はいくらでもあったはずだっ! 目を覚ませアレックス! あんたは騙されてたんだっ!」
「ぐ、ぐ……あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」
アレックス将軍は涙を流し床に崩れ落ちる。その姿はまるで親か子を失った遺族のようですらあった。
少し、乱暴なやり方だったかもしれない。でももし……本当に国王陛下が正気なのだとしたら、自分の蛮行を止めて欲しいと思うだろう。
もっとも……俺は『人間の陛下』とやらの存在自体を信じてはいないが。
「く……くくっ、く」
案の定、それまで苦しみもだえていたはずのクレーメンスは、何事もなかったかのように笑い始める。
「つまらぬ男だな、領主ヨウ。この偉大なる喜劇を彩ろうとする、余の雅な心が分からぬか?」
そんな悪趣味な気持ち、分かりたくもない。
「さすがあのモーガンの上司。吐き気がするぐらい気持ち悪いな、あんた」
「モーガンも愚かな奴よ。このように操られたふりをすれば、まだ庇いようがあったものを……」
懐から、魔具〈賢者の魔眼〉を取り出す。
クレーメンス
種族、ダークマター
戦闘レベル95000。
やばい……やばいやばいやばいやばいっ!
こんな奴、どうやって倒すんだよ? あの片足失ったアレックス将軍がちょっとリードしてたぐらいのモーガンが、戦闘レベル1000代だぞ。その90倍以上もある奴に、俺たちが……立ち向かえるのか?
「うああああああああああっ!」
恐怖に震えた衛兵の一人が、この部屋から逃げ出そうと駆け出した。しかし突然、紫の雲が雷撃を発し……彼に襲い掛かった。
焼け焦げた兵士の死体が、地面に崩れ落ちた。
俺たちは……生かされている。モーガンなどという雑魚とはくらべものにならないほど強大な、魔族たちの王に。
「……陛下」
ひとしきり泣き止んだのだろう。もはや気力という気力を消失し死者のような面持ちのアレックス将軍が、寝言のような声でブツブツと魔王へと語り掛ける。
「ともにモーガンを抑えようと言ったのは、嘘だったのですか?」
「…………」
「王位継承の内乱で、民を慈しみ強い国を作りたいと演説されたのは、嘘だったのですか?」
「…………」
「あの日、貧民街で私の手を取ってくれたのは……う、嘘だったのですかっ!」
「……アレックス」
将軍の悲痛な問いかけに、クレーメンスは抑揚のない声で答える。
「お前のように痩せて汚らしい人間が、ここまで活躍するとは思っていなかった」
その言葉に、枯れていたはずのアレックス将軍の涙が、再び瞳からあふれ出した。
「誇るがよいアレックスよ。お前はこの謀略王クレーメンスの『計画』における、数少ない例外。見事魔王の企みを打ち破った英雄よ。英雄アレックス、万歳万歳っ! ふふ、ふふふははははははははははははははっ!」
この……男は……。
アレックス将軍の……死を望んでいた。
貧民を拾い上げることは慈悲。しかし学もなく満足な食事も得られていない浮浪者など……兵士として使えるはずがない。
理屈ではそうなる。愛のある国王を演出しながら、現場を知らぬ差別民を厚遇し兵士たちを混乱させようとした。
だがアレックス将軍は予想に反して活躍してしまった。幾多の成果を上げ、体も心も十分に成長した。いつしか出世し、この国の大黒柱とも呼べる立ち位置になってしまった。
『表面上』善人面している国王は、ただその成果を祝福するしかなかった。裏ではモーガンに命じ、その命を狙っていたのだろう。おそらくは、先のイルマ軍乱入による大敗もこいつの指示。
俺がいなければ、アレックス将軍はマティアスかイルマに殺されていただろう。
「それにしても、ヨウ・トウドウ。余は不思議でならないのだが、お前はどうして生きているのだ?」
アレックス将軍を嬲って満足したらしいクレーメンスが、その矛先を俺に向けてきた。
「〈降魔の剣〉を振るい生きておる人間はお前が初めてだ。解呪スキルはどうやって手に入れた?」
「な……何の話だ?」
「くくく、とぼける気か。お前が腰にさげておるその宝剣のことよ」
……?
俺の腰には、陛下……もといクレーメンスからもらった宝剣がある。〈服従の首輪〉によって、白い宝玉が黒く染められてしまった……あの剣だ。
「〈降魔の剣〉。一度でも戦闘行為が行われれば、呪いによって所有者の命を奪う魔具。恐ろしい男だお前は、まさか呪いすらも抗うことができるとは」
この剣が……呪いの剣? 使用者が一度でも戦えば、死んでしまう魔具?
……な、何を言っているんだこいつは? だったら俺は……死んでないとおかしくないか?
……いや、待てよ。
俺は以前調べた魔具の解呪法を思い出した。
――より高レベルな呪いの魔具による上書き。
確かこの白い宝玉。イルマから〈隷属の首輪〉をもらった後に、黒く染まってることに気がついたよな? もしかして、あそこで『上位の呪いによる上書き』が起こって、解呪されたんじゃないのか?
じゃあ、イルマのおかげ? 俺、あいつに出会わずにこの剣を使ってたら……死んでた?
クレーメンス、なんて奴だ……。
俺を殺そうとしていたのか?
だからこいつやモーガンは、俺にこの剣を使えと煩かったのか。今にして思えば、少々不自然だったのような気すらしてくる。
たとえ自らに敵うはずがない弱者であろうとも、生れ出た芽は摘み取っておく。イルマのような傲慢さはなく、徹底したリスク回避主義。それが紫の謀略王クレーメンス。
クレーメンス「卑しい人間の手が綺麗だろうが汚かろうが気にしないわ。触りたくもないし」
アレックス「うわあああああああああああん」
という会話もあったのですがテンポ悪くなるので削除。