人化
魔族、モーガンは玉座の間に立っていた。
あと30分で定期報告会が始まる。文官武官が一斉に集まり、近状報告をする毎日の行事だ。
国王の周囲にはモーガンの息がかかった衛兵。多くの将軍には金を握らせ、目障りな宰相は遠ざけた。
すべては、計画通り。
(ご覧ください魔王クレーメンス様。このモーガン、万事計略を全うしております)
この王国はクレーメンスの、ひいてはその配下であるモーガンの手中に収まっているといっても過言ではない。
もはや、勝利したと言っても過言ではない。戦争で兵士を戦わせることなどまったくの無意味。この国を牛耳る公爵として、いくらでもさじ加減を変えることができる。
王国の方針は単純明快。イルマには抵抗し、クレーメンスには領地を差し出す。貴族は捕え、その身代金で貴族を懐柔。
何もかもが、うまく行っていた。
(唯一の不満はアレックス将軍ですか……)
アレックスはまだこの玉座の間に現れていない。未だ筆頭の将軍として大きく影響力を持つ彼を、モーガンはないがしろにはできないのだ。いつもその扱いには苦労している。
不意に、外が騒がしいのことに気がついた。
「なななな、何事ですかっ!」
正面の扉から、おそらくは伝令と思われる一人の兵士がやってきた。
「た、大変ですモーガン様。ムーア領領主、ヨウ・トウドウ様のご乱心です」
「よ、ヨウ殿が?」
ほどなくして、正面の扉が開かれた。
幾人もの兵士に抑え込まれそうになりながらも、必死に玉座の間へと駆け寄ろうとする……ヨウ。騒ぎの原因はこの男らしい。
「こ、これはこれはヨウ殿。今日はどういった用件で、ここまで来たのですか? あなたを呼んだ覚えはないのですが……」
「陛下ああああああああああああっ! その男は魔族なのです。どうか、どうか俺の話を聞いてくださいっ!」
必死に訴える彼は、数人の兵士をなぎ倒しながら国王の――ひいてはモーガンのもとへと近づいて来る。
だが所詮は多勢に無勢。ぞろぞろと押し寄せてくる兵士たちの数に押され、少しずつではあるがその前進を止めてしまう。
(無駄なことを……)
モーガンは心の中で笑った。
確かに、モーガンは魔族である。魔王クレーメンスの命により、この国の公爵として陰から王国を衰退へと導いていた。ヨウの糾弾はまさに正鵠を射ているのだ。
だが……『正しい』だけ。
「モーガンっ! 正体を現せっ!」
ヨウの言葉を聞き、ざわざわとざわめく貴族たち。
「あの男は頭がおかしいのか?」
「モーガン公爵は誰がどう見ても人間。卑しい魔族などと一緒にするとは……不敬な」
「ムーア領は魔族の侵攻が多い土地と聞く。戦に明け暮れ疑心暗鬼に陥っているのでしょう」
「陛下、おさがりください、あの男は危険です」
誰もヨウの言葉を信じている者などいない。むしろ気がふれていると思っている者すらいた。
モーガンはクレーメンスの命令で公爵の地位を手に入れた。ここに至るまでに幾度も人間たちと交渉をしてきた彼は、人としてのかなり自然な立ち振る舞いを覚えている。長年に渡る交渉が、確かな信頼と実績を確固たるものにした。
おそらくあのアレックスとて、『モーガンは魔族か?』と問われれば首を傾げるだろう。もっとも……多少気持ち悪い人間だと思われているかもしれないが。
「こ……ここ、ここは神聖なる玉座の間。よ、呼ばれもしない田舎者が勝手に入ってよい場所ではありません。ヨウ殿、処罰の覚悟を……」
「陛下あああああああああああっ!」
断末魔の悲鳴のような叫び声を上げ、ヨウは兵士に引きずられていく。
そもそもあの男。魔王クレーメンスの『計画』によればすでに死んでいてしかるべき人間なのだ。不敬を口実に死刑へもっていくことは、今のモーガンにとってそう難しい話ではない。
ヨウの件はそのように話を進めていく必要がある。また貴族たちへの懐柔が必要になるだろう、とモーガンは金の算段を始めた。
その瞬間。
「……っ!」
モーガンは体に衝撃を覚えた。そして、自らの視界に映るおびただしい量の鮮血を見た。
「こ……これは……」
モーガンは首を抑えた。まるで噴水のように溢れ出す血液は、、手で押さえた程度ではどうにもならない。
何者かが、おそらくはスキルによる攻撃でモーガンの首を切った。
国王の背後、高く掲げられた国旗の裏から現れたのは……アレックス将軍だった。片足で器用にも壁の隙間に立ち、今の今までこの機会を窺っていたらしい。
「魔族モーガン。その首……もらったっ!」
「あ、アレックス将軍!」
首の頸動脈を切断するほどの刃。出血は止まることなく、致死量をすでに超えている。
――人間なら。
「ヒヒヒッ、人間風情がっ! こここ、このクレーメンス様の幹部、モーガンにたてつこうなどと…… 片腹痛いわっ!」
モーガンは己の真なる姿をさらけ出した。人に化ける魔族の特技――〈人化〉には弱点がある。体のあらゆる部分が人間として作り替えられてしまうため、本来耐えられるような攻撃すらも戦闘不能になってしまうのだ。
ただ、本当に死んでしまうということはない。人間の姿はあくまで擬態であり、どれだけ血を流そうと肉を裂かれようと……皮膚一枚を切られたようなもの。魔族としての己の本体は……全くの無傷。ただし、その代償として体が動かなくなってしまうだけ。
血を失ったがために人としての体が動かなくなってしまってはまずい。それを避けるために、モーガンは元の姿に戻ったのだった。
毛むくじゃらの大猫。これまでアレックスが戦争で相手にしてきた有象無象の魔族たちとは格が違う、幹部クラスの実力を持っている。それがモーガンなのだ。
「か、覚悟は出来ていますか? ざざっざ、雑魚とは違う本物の実力、と、ととくとお見せしましょう」
その鋭く伸びた爪を、アレックス将軍へと向けた。
さらーと流すつもりだったシーンが、妙に文章増えてしまった。
テンポが悪くなっていないか心配です。