イルマの命令
ムーア領へと戻った俺は、すぐさまイルマに話を付けることにした。
俺が逃げ出した、などと思われてはおそらく相当まずいことが起こる。
〈隷属の首輪〉で俺自身が殺されるだけならまだいい。イルマはかつてコロシアムで俺たちに殺し合いをさせていた過去を持つ魔王だ。戯れに人間と魔物を戦わせることを、この領地でも引き起こしてしまうかもしれない。
あくまで、俺はイルマの意思によってこの地を離れなければならないのだ。奴だって俺をいびってる間は変な気を起こさないだろう。
公爵令嬢イルマの部屋にやってきた俺。
窓の外では住民が作業しているのが見えた。俺が倒したヴァンパイアの死体を片付けているらしい。
「イルマ様の命を狙うなんて……許せないですね」
「ここまで侵入を許してしまうとはな。お前はもう少し強くなれ。私を倒したんだ、雑魚のままでは恥ずかしい」
こいつ、俺をどうするつもりなんだろう? 部下として扱うつもりなのか、それとも俺が苦しんでいる姿を見て喜んでいるのか?
まあ、俺にとってあまり気持ちの良い扱いでないことは確かだが、こいつの言うことが間違っているわけではない。
俺はもっと強くならなければならない。それこそ、この魔王から逃げ出してもなんとかなるぐらいの……スキルと力を。
……っと、話が逸れたな。
「俺がクレーメンスの幹部を倒せれば、汚名は挽回できますか?」
「……お前もなかなか分かっているじゃないか。やられたらやり返す。それが私たちのやり方だ」
よし。
とりあえずクレーメンスと戦おうという流れになった。この方針は俺たち王国側の考えとある程度一致している。
よし、次は王都に向かうように話を誘導して……。
「では人間、私が命令する。すぐに王都に向かい、敵を倒して来い」
あ、あれ?
なんでここで王都の話が出てくるんだ? 俺、まだその話を一言も出してないぞ?
「あ……あの、イルマ様? 王都に行けというのは、どういった意図なのでしょうか?」
「お前が自分でいったんだろ? クレーメンスの配下を倒すって」
「……?」
なんだ? 何かがおかしい。話がかみ合っていないぞ? どういうことだ。
「王都にいる奴の配下を倒して来い。それが私の命令だ。逆らえば首輪を締め付けるぞ?」
「……え、あ、あの。王都の配下って……?」
「名前は、そうそう……あの魔族はモーガンとか言ったな」
瞬間、俺は背筋が凍りつくのを感じた。
「クレーメンスめ、私はあれほど言ったのにまた卑怯な手を……。マティアスから話を聞かなければ……見逃して……」
ブツブツと独り言を言うイルマが気にならないほどに、俺は冷静さを失っていた。
モーガンが……魔族?
た……確かに、俺は今までずっと見てきた。人間に擬態した魔物たちの姿を……嫌というほどに見てきた。だからあの公爵が魔族だったとして、決してありえないことでは……。
いや待ておかしいって。あいつは魔族との戦争を推奨してて、むしろ魔王と戦う側で……。
あああああああ、駄目だ、考えがまとまらないっ!
お、落ち着け。
冷静に考えてみれば、俺は人類史上きわめて稀な立ち位置にいるんだ。魔王から直接情報を得ることができる奴なんて、たぶん俺ぐらいしかいない。
貴重な情報源だ。議論の余地は十分にある。
まず第一に、イルマが嘘をついている可能性。これはすぐに否定できる。
イルマはそういう嘘をつかない。
こいつは人間を見下している。それゆえに、変な策略とかを用いて俺や王国を陥れようなんてことはしない。何かするときはすぐに手を出すタイプだ。
大体王国を混乱させたいのであれば、今このムーア領の魔族に命じて暴れさせればそれで十分だ。今の彼女はおとなしい。人間を魔族だと謀る理由は存在しない。
つまり……モーガンは魔族なのか?
今まで……俺はずっと思っていた。モーガン公爵がこの国の癌だと。
『この国を破滅させたいのかっ!』。
以前俺は、こうやってモーガン公爵に異を唱えた。もちろんそれは皮肉を込めてそう言ったのであり、あいつが虚栄心を満たすために戦争を利用しているだけだと思っていたからそう言ったんだ。
だが、本当の意味でモーガンがこの国を『破滅』させようとしていたのだと……したら?
無謀な戦争。
国の機能を低下させるほどの徴兵。
国王陛下との面会謝絶。
すべてが……一本の線に繋がる。
ごく冷静に現状を分析してみれば、確かに、モーガンはこの国を弱体化させている。口では魔族を倒すだのどうだのと叫びながら、その実国土はクレーメンスによって浸食されていた。
モーガンは魔族。
検討する価値は……十分すぎるほどにあった。
イルマの命を受けた俺は、王都までやってきていた。
この客間でモーガン公爵と話をしている。
一週間前までは、こいつに文句を言うことばかり考えていた。国家の癌であるこの奸臣に、どのように諭せば理解してもらえるかと……真剣に悩んですらいた。
それがまさか、こんなことになるなんて……。
猫背の男、モーガンが気味の悪い笑みを浮かべながら話を始めた。
「ヒヒッ、い、い、いやはや、私もヨウ殿の戦果に興奮し……軍を起こしたのですが……げげげげ、現実は厳しい」
「多くの兵士が死んだらしいな。少しは反省したらどうなんだ?」
「私も悟りました。もも、もうしばらくは軍事行動は、ひっ控えることにしましょう」
「それは朗報だ」
会話としてはこんなものだろう。俺は文句を言いながらもモーガンの反省ぶりを見て安心した。そういう流れであればまったく不自然さはなく、俺がこいつに会いに行った理由にもなる。
「陛下には会えないのか?」
「へへ、陛下は敗戦の心労が溜まりお疲れです。面会はまた後日ということで……」
「…………」
アレックス将軍から話を聞いているが、モーガンは陛下を軟禁に近い形で囲っているらしい。
ここで粘っても無駄だろう。
俺は何も言わず、頷いた。
モーガンは背を向け、この場から立ち去ろうとする。
この時を待っていた。
俺は懐から眼鏡を取り出した。
魔具、〈賢者の魔眼〉。
イルマからもらったこの魔具は、対象の名前、種族、戦闘レベルを俺に教えてくれる。モーガンが魔族か人間か……判定することができるのだ。
モーガン。
種族、妖猫。
戦闘レベル、1207。
……これが、答えか。
震えを隠すのが精いっぱいだった。妖猫は冒険者ギルドの討伐クエストに記載されることもある、魔族の一種族である。
俺は……いや、アレックス将軍や国王陛下も含めて……こいつの手のひらで踊っていたんだ。
戦争強硬派を装い、この国を破滅へと導こうとしていた魔族――モーガン。
俺のやるべきことは、決まったも当然だった。
ここからはノンストップ序盤の終わりまで一直線です。