足止め(前編)
魔王バルトメウスは状況を俯瞰した。
現在、向かって左側から奥へ進もうと試みている状態だ。ヨウを先頭に、他の魔王や人間たちも続いている。
イルマ、マティアス、エグムントの三魔族は良く敵を引き付けてくれている。ヨウを助けているつもりはないのだろうが、『自分たちがこの人造魔王と戦いたい』という気持ちが強いのだろう。
だがそれでもなお、100体はあまりに多すぎた。多くの人造魔王たちが、餌に引き付けられるかのようにバルトメウスたちを追っていく。
その数は、50体。
半分に減ったのだから、それはとても喜ばしいことだ。しかしイルマのように規格外の力を持たないバルトメウスのような者にとっては、ただの一体でも命を脅かす存在足り得る。
「追ってきてるぞ! どうする?」
「まずは私だ」
そう言って、魔王バルトメウスは走るのを止めた。背後を振り返り、魔法の詠唱を始める。
「――〈槍刃水晶〉」
水晶のようにキラキラと輝く槍が出現した。槍先を人造魔王へと向け、敵を迎え撃つ。
しかしイルマ型人造魔王にとって、ただの魔法など児戯に等しい。まるでつららか何かを蹴り上げるように、槍の草原は蹂躙されていく。
結局、バルトメウスが引き受けたのは3体。
威勢よく啖呵を切っても、所詮は最弱の魔王。一度に多くの人造魔王を引き留めることはできない。
一体の人造魔王が、バルトメウスに拳を繰り出した。
「がっ……」
髑髏がペキペキと砕けていく。スケルトンは骨に依存した生き物であるから、頭蓋骨が砕かれるのは大怪我にも等しい。
体をひねり、バルトメウスは距離を取った。髑髏のおとがいが完全に陥没している。骨は固いのだが、イルマ相手では強度などまったくの無意味だ。
一体の足止めが限度、というのがバルトメウスの目算だ。しかしこうして3人も引き受けてしまったのは、そうでもしないとヨウの勝利が絶望的だと判断したからだ。
だが、現実は非情。
魔王バルトメウスは、なすすべもなく人造魔王に圧倒されていく。
いくつもの骨が砕かれた。
衝撃で意識が飛びそうになった。
叩かれるたび、己の死を想像した。
吹き飛ばされたバルトメウスは、不本意にも白い床へと仰向けに倒れこんだ。視界には黒い空が映りこんでいる。
「それにしても、不思議な場所だ」
ここに来てから、ずっと感じていることがある。
ここは、人の魂が多い。
最初に意識を取り戻したとき、ここは天国か地獄ではないかと思ったほどだ。アンデッドの王であるバルトメウスには見える。黒い空に、いくつもの人魂が舞っているという事実に。
ふと、バルトメウスは変化に気がついた。
これまでずっと周囲を漂っていたはずの魂たちが、一斉にバルトメウスへと寄ってきたのだ。
「こ……これは……」
バルトメウスは驚愕に震えた。
それは、魂による武装。
魔王バルトメウスの体に、おびただしい数の魂が張り付いた。それは彼の鎧となり、兜となり、盾となり靴となっていった。
「そうか……君たちは」
体を重ね、バルトメウスは理解した。
これは今まで魔族に殺されていった、弱き人間の魂だ。
曰く、サキュバスに殺された。
曰く、討伐軍で殺された。
曰く、魔族の襲来で殺された。
弱き者、すなわち人間の魂が奏でる叫びを、バルトメウスは聞いてしまった。
再び人造魔王が迫ってきた。風を切る拳が、バルトメウスの腕を捕らえた。
しかしバルトメウスは盾によってそれを防いだ。
衝撃で軋む盾が、人間の悲鳴に近い音を奏でている。
怪我はない。完全に防ぎ切ってしまった。
「まさか、人の魂にこれほどの力があったとは……」
先ほどまでであれば、決して防ぐことができなかったであろう一撃。
「アンデッドは弱い。そうやって自分の弱さを決めつけてきた、私の限界か」
バルトメウスは片手を突き出した。すると、そこに周囲を舞っていた人魂たちが集まってくる。
幾重にも集合した人魂が、光り輝く剣へと変化した。
「輝けっ! 弱者と虐げられてきた我々の力を、ここで示してみせよう」
弱き人間の力を纏い、バルトメウスは人造魔王に立ち向かっていった。
黄の閃光王パウルは背後を振り返った。
そこには、人魂を纏い人造魔王と戦うバルトメウスの姿があった。そして、彼を振り切りこちらに向かってくる、多くの人造魔王たち。
「次は私ですな」
パウルは走るのを止めた。バルトメウスがそうであるように、できるだけ多くの人造魔王を引き留めておく必要がある。
「パウルさん、無理するなよ」
「御冗談を。ここで無理をしなければ皆死にますぞ」
「……そうだな、確かにそうだ。無理してもらうしか、ないよな。頼む!」
ヨウたちは走り出した。
「さて……」
閃光王パウルは決意を固めた。
もはや逃げ道などない。
リービッヒ王国には仲間たちがいる。国王であるヨウの采配がなければ、多くの者が土地を失い、流浪の民として飢え死にしていただろう。
ヨウはパウルたちにとって救世主なのだ。その恩は、天よりも高く地よりも深い。
たとえこの身を削ってでも、その恩に報いなければならない。
「――〈黄糸刻印〉」
身体強化魔法、〈黄糸刻印〉は〈青糸刻印〉の劣化コピーである。エグムントと同等の力を得られる代わりに、使用後は起き上がれないほどの激痛が襲ってくる。
その痛みは心底恐ろしい。パウルとて、よほどのことがない限りこの魔法を使わないようにしている。
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」
迫りくる人造魔王を、できる限り吹き飛ばした。少しでも、ヨウの手助けができるようにと。
多くの人造魔王がパウルに背を向けた。吹き飛ばし、眼前に残った者は5体。
「ふ……ふふふ……」
閃光王パウルは笑う。
彼はあまり強い魔王ではない。バルトメウスよりは実力が上なのだが、魔王というカテゴリでは下から数えるのが早い方。
そんなパウルが、5体もの人造魔王を足止めしようというのだ。こんな冗談があっていいのだろうか? 変な笑いしか出てこない。
〈黄糸刻印〉によって強化された筋力で、人造魔王たちに打撃を加えていく。だが、そんなパウルの攻撃などまるで効いていないかのように、敵は彼を囲んでいった。
「……っ!」
パウルは身の危険を感じ、後方に飛び移ろうとした。だがそこにはすでに人造魔王が控えており、避けることができなかった。
両サイドからの、打撃。
左右から、人造魔王の拳がパウルの頭へと激突した。
「……ぁ」
パウルは上空へと飛び、己の状況を確認する。
頭蓋骨が押しつぶされてしまいそうだった。めまいが全く止まらない。耳からは血が噴き出している。
再び下へ着地すると、床がぐにゃりと曲がっているかのような錯覚を覚えてしまった。先ほどの衝撃が残した障害だろう。
パウルは歯ぎしりをした。
やはり、力不足。
エグムントやイルマに比べ、あまりに劣ったこの力。
鍛錬を怠っていたわけではない。
強い者は強い。弱い者は弱い。どれだけ自然に抗っても、その事実は消え去らない。たとえ己の体を強化したとしても、それは一緒。
ただの強化だけでは、到底追いつかない。
強化……強化強化強化。
と、そこでパウルは思いついた。
〈黄糸刻印〉は身体強化魔法である。今、パウルの体はその魔法によって筋肉が膨れ上がり、大幅に強化されている。
だが、これは魔法だ。何も『一度きり』というルールがあるわけではない。
強化魔法の上に、強化魔法を上書きできないだろうか?
この副作用は恐ろしい。
恐ろしいからこそ、今までそのような発想はしてこなかった。だが、できないと決めつけてしまうのはあまりに早計だ。
どのみち、このままではイルマ型人造魔王に嬲り殺されてしまう。命を失い、そしてヨウの迷惑になるぐらいであれば、その毒か薬か分からない危険な果実を……掴み取るべきではないのか?
パウルは決断した。
「――〈黄糸刻印〉」
身体強化の重ね掛け。
はちきれんばかりの筋肉から、狂ったように血が噴き出している。もはや噴き出しているのが汗なのか血なのか分からないほどだ。
「はっ……はぁっ、はぁっ、はぁっ!」
呼吸を整えないままに、パウルは眼前の敵へと攻撃を加えた。
人造魔王はパウルの蹴りによって吹き飛ばされた。ポキン、とまるで木の枝が折れるような音が聞こえる。
人造魔王の腕はあらぬ方向へと曲がっている。パウルが折ったのだ。
これまでよりも、ずっと強力で素早い一撃。
身体強化魔法の重ね掛けは、成功したのだ。
閃光王パウルは強化に強化を重ねた。
副作用は、おそらく相当恐ろしいものが待っている。限界は早く訪れるだろう。
下手をすると、死んでしまうかもしれない。
「急ぐのですぞ、ヨウ殿」
パウルは強化された力をもって、人造魔王5体を圧倒した。