伸ばした手
身体強化魔法、〈青糸刻印〉によって体を変化させた魔王エグムントが俺に迫る。
オリビアは再生回数という耐久度でこの魔王に勝利した。別に魔王エグムントに戦闘力で勝っていたわけではない。
つまり、俺がオリビアを倒せたからといって、すぐさまエグムントより強いとは言えないのだ。
俺はエグムントの拳を剣で受け止めた。
「ぐっ!」
受け止めるとか鍔迫り合いとか、そういう次元を遥かに超えた力を秘めた一撃。俺は剣ごと吹っ飛ばされて、近くの柱に激突した。
頭が揺さぶられる。
だが体にはダメージがない。魔具が肩代わりしてくれたからだ。
やっぱり、強いなこの人は。
再びエグムントが俺に迫ってきた。跳躍を利用した蹴りだ。
避けられる速さではない。
俺はもろにその攻撃を受けた。おそらく、ダメージ換算で言えば俺が死に至るレベルの一撃。だが今回は、少しだけ小細工をしてみよう。
――魔具、〈反射鏡〉。
この魔具は相手に攻撃ダメージを跳ね返す効果がある。俺が一度死ぬぐらいの威力を秘めた攻撃に、果たしてエグムントは耐えられるのか?
「痛ってなぁおい。なんだそりゃ?」
エグムントは頭を押さえながら、苦しそうにそう言った。軽く血を流しているが、それだけだ。とても致命傷には見えない。
強い奴には魔具が効かない、という法則がある。
たとえば、〈絶壁〉はあらゆる者を通さない、という効果をうたっているが、実際のところ高レベルの魔族であれば苦も無く侵入できてしまう。
そもそも魔具がすべて説明通りの効果を発揮できるのなら、カルステンは完全無欠の最強だったはずだ。
魔具は万能ではない。俺のような人間レベルであれば記述通りの効果を発揮するが、エグムントやイルマレベルではその力を打ち消されてしまうのだ。
だがそれでも、魔具の効果がなくなってしまうわけではない。頭部の出血は、ダメージ反射によるものだ。
〈反射鏡〉は紛れもなく効果的な魔具だ。だが、それですべて決着するというわけではない、ということ。
「ちっ、卑怯な奴だなぁおい。まあつえーから文句言うつもりはねぇけどよ、ちっとは自分で体を鍛えようと思わないのか?」
「俺が生身の体でスキルも魔具も使わず勝てるわけないだろ? その理屈は鼻っからおかしいんだ」
「違いねぇ」
俺たちは戦闘を続けた。
身代わり魔具で耐え抜く俺。
攻撃をひたすらに耐えていくエグムント。
両者の攻防は長い長い戦いだった。
先に折れたのは、エグムントだった。突然、まるで電池の切れたロボットのように地面に倒れこんだ。
〈青糸刻印〉による身体強化、すなわち膨れ上がっていた筋肉が元に戻った。本当の意味で、力尽きたと言ってもいいだろう。
地面に倒れこむエグムント。
それを見下ろす俺。
「もう十分だろ?」
「……く……そ。俺は、まだ……やれ……」
余裕の勝利、ではない。
〈身代わりの宝石〉は何個も砕けた。
〈反射鏡〉も使用した。
俺にはこれからの戦いがあるから、魔具は節約したい。そんなことは分かっていた。でも、だからといって手を抜いたり手加減できたりする相手じゃなかった。
「お前、つえーな……おい」
「準備がなければ俺が負けていた。それは間違いない」
「は、はは……は、俺はよぉ、また負けちまったわけだ。悔しいなぁ、悔しいぜおい」
遥か遠くの空を見つめるエグムントが、まるで自分に言い聞かせるかのように言葉を漏らした。この魔王が弱気な言葉を発するなんて、そういうイメージはなかったんだけどな。
「何が最強だ、何が魔王イルマと引き分けただ。俺はつよくねぇ、最強でもねぇ。もっとだ、もっと強くならなきゃなんねーんだ」
「…………」
「俺の……勝利を――」
エグムントが空に向かって手を伸ばした。しかしその手はすぐに力を失い、折れるように下へと向かい――
え?
崩れ落ちたエグムントの手が、傍にいた俺の下半身――鎧の隙間へと忍び込んだ。
はぁ?
こ、この人、俺のお尻を触ってる!
痴漢です! この人痴漢です!
「ハァハァ」
う、うあああああああああああああああああああああっ!
「ヨウ殿とエグムント殿は本当にお強い。あなたがたのような強者であれば、このような戯れも一種の美しさがありますな」
え、パウルさん? 変なこと言わないでくださいよ。
「愛の形は無限です。たとえ同姓でも愛し合う者同士に壁など存在しないのです」
え、シャリーさん? 俺エグムントを愛してませんよ?
あ、あの、皆、俺を助けてくれませんかね? 負けてないってだけで、俺だって疲れてるんですよ?
「茶番はもういいか? 鎧の男」
意外なところから、助け船を出された。
「魔王イルマ……」
いよいよ、真打の登場だ。
はっきり言って今のコンディションは良くない。戦いたくないレベルでだ。だが泣き言を言ってこいつが許してくれるだろうか?
……ん、あれ? いやむしろ勝負を延期してくれるかもしれないぞ? こいつだって全力の俺と戦いたいはずだ。
「ふっ、その様子では、実力の半分も出せないだろうな。私との戦いは明日、ということでいいか? 逃げるなよ?」
俺の予想通り、イルマはそんなことを言った。
魔具、〈身代わりの宝石〉はダメージを肩代わりする。しかし俺自身から発生した肉体・精神的な疲労感まで取ってくれるわけではない。
「今のお前と戦ってもつまらない。時間をやる。明日、また改めて戦うこととしよう」
願ってもない申し出だ。
俺はその話を受け入れ、勝負は明日となった。
夜。
俺はベッドの中にいた。
久々の、自室だ。
明日、俺は魔王イルマと戦う。
それはこの世界における最強をかけた戦いになるだろう。多くの魔具を集め、スキルを駆使した俺でも勝てるとは言えない。いや、むしろ負ける確率の方が高いかもしれない。
だが俺は戦う。そして……あの世界で死んでしまったクラーラを……取り戻して。
そこまで考えて、俺の意識は眠りの中へと落ちて行った。
眠っていたのは2時間、いや3時間だろうか。
唐突に目を覚ました。
戦士としてこの異世界で何年も過ごしてきた、俺の第六感とでもいうのだろうか。自らに差し迫る危機を知らせてくれた。
ベッドから飛び起き、周囲を見渡す。
ベッドには俺だけ。
机は、誰もない。
ドアは空いてない。
天井も異常なし。
そして窓の外、バルコニーに敵がいた。三日月を背後に、影のようなシルエットが見える。
マントを風に靡かせるその姿。
月明かりに照らされ、その赤髪が露となる。
「お前は……」
ドクン、と心臓が鳴った。
あの日。
俺が前回の世界で過ごした最後の日。俺たちの邪魔をし、俺の命を奪った張本人っ!
アースバインの使徒、イルマ型人造魔王。
あの日の理不尽さ。唐突に終わりを迎えたやるせなさは……絶対に忘れない。俺たちの神聖な戦いを邪魔した、最後の敵っ!
ここはアースバイン皇帝が神に等しい力を手に入れた世界。未だ神となっていないにしても、その力は絶大だ。俺がこうして〈グラファイト〉を続けていられるのも、皇帝の気分次第でどうにでもなる些細な事。
単純に俺が魔王イルマに勝利することを防ぎたいのなら、すぐにでも〈グラファイト〉を終わらせればいい。そうすれば戦う意味はなくなり、俺も戦意喪失だ。
だが、イルマ型人造魔王は俺の眼前に現れた。奴だって俺とこの人造魔王との因縁を知ってるはずだ。目の前に現れたら、戦いになることは分かり切っている。
そう、戦いだ。
こいつを、俺の力で倒せってことか? それがアースバインの望みなのか? かつてイルマが闘技場で人間を争わせていたように、戦う姿を見たいとでもいうのか?
願ってもない、好機っ!
俺は近くに置いてあった〈降魔の剣〉をつかみ取る。
あの日、俺は無残にも敗北した。あれ以来、心は過去に捕らわれたままだ。俺のラスボスは、イルマではなくお前だったんだ!
お前を倒せば、あの世界の汚名を返上できるっ!
「――あの日の自分を、取り戻すっ!」
世界を超えて、俺のリベンジが始まった。




