彼女の嘆き
(なんで……こんなことになったのかな?)
十字架に張り付けられたクラーラは、己の悲惨な状況に悲しんでいた。
平和条約、と呼びかけられてグルガンド王国にやってきた彼女は、すぐに捕らえられた。叡智王と、自らの部下であったはずのバルカに。
散々馬鹿にされた。のこのここの地にやって来た事、正体を現すまで抵抗しなかった事、バルカの真意に気が付かんなかった事。
改めて、自分でも馬鹿だったと思う。
思えば、自分の味方は精霊だけだった。
こんな状態になってしまったが、誰も助けに来てくれない。精霊は魔具で追い出されたのだから当然ではあるが、配下……だったはずの魔族すらも何もしてくれていない。
クラーラは自力で脱出しようとしたが、無駄だった。どうやらこの十字架がクラーラの力を抑えているらしい。
叡智王カルステンはイルマに次ぐ古い魔王である。その姦計に陥ってしまっては、もはや抜け出すことは不可能だろう。たとえそれが、魔王であるクラーラだったとしても。
(私、死ぬ……のかな?)
いつしか、クラーラは抵抗を止めてぼんやりしていることが多くなった。そうすることでしか、死ぬことへの恐怖を忘れることができなかったからだ。
死んではいない。だが、死に限りなく近い状態。
何もかも、諦めていた。
暗く深い闇の中へ、意識を沈めていた。
時の感覚を失い、もはや処刑された後なのか前なのかすら分からないようになった……そのとき。
天から救い上げてくれるかのような……声を聞いた。
「その子を助けに来ただけだ」
声が、聞こえた。
聞き覚えのある声だった。
クラーラはゆっくりと目を開けた。未だ魔具の影響で力が入らないから、目に力を入れられず、薄っすらとしか開けなかった。
「それ以外の目的なんて……ない」
クラーラは彼の姿を見た途端、胸が高鳴るのを覚えた。
なぜ、どうして?
この人が、私を助けに来てくれたの?
「あの時の、野蛮人……」
俺はリザードマンのバルカと対峙している。
「その男を半殺しにしろっ!」
バルカの声が王城に響く。
人造魔王二体は、バルカの命令に従い俺へと迫ってくる。いつかクラーラが見せたように、木の枝でできた剣を構えている。
速い。
だが、それだけだ。
俺は一体目を〈降魔の剣〉で切り払った。
「なああああっ?」
バルカの悲鳴に似た叫びが響いた。
もう一体は一旦距離と取り、木の剣を投げつけてきた。これも速い。だけど、対応できないほどの速さじゃない。
俺はすべての剣を叩き落し、二体目に肉薄した。
人造魔王は腰をひねり、何かの動作をしようとした。だがその攻撃を許すほど俺は待つつもりなどない。
二体目は、胴を一刀両断した。
沈黙。
人造魔王は反応しない。こいつらは再生力の低いクラーラのコピーだから、切られてしまっては死んだも同然だ。
俺はクラーラ型人造魔王を倒したのだ。
魔王を倒した。
その事実を信じられなかった様子のバルカが、震えと怒りを孕んだ声を発している。
「なんだ、こいつら! 魔王に近い力を持っているのではなかったのか? くそっ、叡智王め! 俺を騙したな」
「クラーラは精霊を使う。彼女の封じているこの空間で、本来の実力を発揮できるわけがないだろ?」
「何っ? 精霊を使う?」
「そんなことも知らなかったのか? お前は本当にクラーラの配下だったのか」
バルカは顔を震わせながら、苛立たしげに語り始めた。
「俺はあの女の配下だと思ったことなど一度もない。馬鹿な女だ。傘下に入りたいと言えば領地と魔法を与えてくれる、都合のいい存在だった」
「力をもらっておいてそれか。救いようのない屑だな」
「俺だけじゃない。他の多くの魔族だってそうだった! あの女の名を借り、人間や弱小魔族を何度も脅した。何が平和だ! 何が平等だ! 俺たちは力を求めて魔王に近づくんだ。それが『人間と手を取り合って仲よくしよう』だと? そういう奴は初めから魔王に近づいたりしないっ!」
「…………」
「何が森林王だ、何が魔王だ! あの女は王に相応しくなどない! 俺ならば、もっと力を有効に使うことができる! 多くの領地を、多くの配下を支配できる! 創世神よ! なぜ俺を魔王にしないっ!」
「……う……うぅ……」
はっとして振り返ると、そこには涙を浮かべるクラーラがいた。どうやら、目を覚ましていたらしい。
「もう、止めてよ。私、そんなの……聞きたく、ない」
クラーラが悲しんでいる。
先ほどからのやり取りを、全部聞いていたらしい。俺は胸が痛くなるのを感じた。彼女にとっては酷な話だったからだ。
「本当に知らなかったのか? 馬鹿が、それだからお前は――」
「もう喋るな」
これ以上、彼女の悲しんでいる姿を見ていたくはなかった。
ひゅん、と風を切る音とともに俺の剣がバルカの胸を切り裂いた。おびただしい出血とともに、彼の体は力を失っていく。
致命傷だ。
「くそぉ……、俺が、グルガンドの王に……な……」
リザードマン、バルカはこと切れた。
俺がここにこなかったら、どうなっていたのだろうか? こいつがグルガンドの王となり、旧クレーメンス時代のような暗澹とした国になっていたのだろうか。無駄に虐殺したりはしなさそうに見えたから、多少はましだったかもしれないが、それでもやっぱり魔族優遇は見逃せない。
人間が不幸になるのは間違いない。
笑えない未来だな。
「……う……うぅ……」
剣を使い十字架型の魔具を破壊する。拘束は解除され、クラーラは地面に座り込んだ。
俺は泣いていたクラーラに手をさし伸ばした。
「大丈夫か?」
クラーラは涙を拭きながら、ゆっくりと俺の手を取った。
「私、皆が幸せにいられるようにって思ってた。でも、私の言葉は……誰にも届いてなかったんだね」
「そうだな、クラーラは騙されたんだ」
「あなたはどうして助けてくれたの? 私の事、嫌いじゃなかったの?」
これまでの行動を見ていれば、そう思ってしまうのも当然か。
俺は彼女の瞳を見た。涙で濡れたエメラルド色の瞳。
「今まで悪かった。少し、自分勝手な理由でイライラしてたんだ。今更こんなこと言っても信じてくれないかもしれないけど、どうか言わせて欲しい」
「……うん」
「俺は最初から、クラーラの味方だ」
瞬間、クラーラが俺に抱き着いた。
「う……あ……うああああああああああああああああんっ!」
クラーラは再び泣いた。
俺は彼女の事を、ずっと抱きしめていた。