人類の悲願
先代グルガンド国王として認められた俺は、その後丁重に扱われることとなった。
玉座の間に詰めていた兵士たちは、すぐに解散させられた。今、この場に残っているのは、コーニーリアス宰相や少数の衛兵のみ。リーザたちは別室に移動している。
アレックス国王が頭を下げた。
「陛下、申し訳ありませんでした。このような手違いが起きてしまうとは思ってもおらず……」
「よい」
あまり多くを語りすぎるとボロが出てしまう。クレーメンスもさほどお喋りではなかったから、この対応で問題ないだろう。
「コーニーリアス。私と陛下、二人だけにしてもらえるか?」
「…………はっ」
コーニーリアスは少し躊躇している様子だったが、結局はカルステンの言い分に従った。
二人っきりにしたくないらしいな。
俺のことを疑っているのか、そもそも先代グルガンド国王自体を心よく思っていないのか。とにかく、味方だとは思っていない様子だ。
しかし、アレックス国王は武人だ。結局のところ、彼自身の強さを信じて兵を退かせたというところだろう。
そして、俺とアレックス国王は玉座の間で二人っきりになった。
「久しぶりだなカルステン。しばらく見ない間にずいぶんと老け込んだみたいだが、何か嫌な事でもあったのか?」
こんな皮肉で留飲が下がるわけではないが、何か言わずにはいられなかった。
「はははっ、まったくだね。見てみてこの体。年寄りって、こー何をするにも億劫で体重くって、ホント不便だ。肌も乾いて髪も白いし臭いも変だし、あんなに嫌だったイルデブランドが懐かしく思えてくるぐらいだよ。あーやだやだ」
アレックス国王の姿で、アレックス国王の声で、こいつはこんな言葉を吐く。老人とは思えない、表情の豊かさ。
そのギャップが気持ち悪かった。
「俺を殺すつもりだったのか?」
「この程度で死ぬようなら、生かしておく必要はない。そうは思っていたね」
「試されてた、ってか。気分が悪いな」
やはり何らかの形で利用しようとしているのか。警戒が必要だな。
「君はこれからどうするんだい? 世界会議は開かれないけど、ここに滞在するというなら歓迎するよ?」
「馬鹿言うな。お前のもてなしなんて受けるものか。俺はこれから逃げるぞ。兵士が下がった今、それができない俺じゃない」
「君は僕から逃げられない」
凛然としたカルステンの声が、誰もいなくなった玉座の間に木霊する。
深い意味だろうな。
この場から逃げられても、世界にお前の逃げ場はない。そんなニュアンスに聞こえる。
一応、逃げ切ることができるだろう。
だが、安易に人を殺さず国王になりすました事の顛末は、俺の迷いを見透かされる原因となってしまったかもしれない。
奴は気が付いただろう。俺が兵士に手をかけることに躊躇していたと。
次は、この弱点を突いてくるかもしれない。
「ま、好きにすればいいさ。今はまだ、何もするつもりはないから」
「…………」
信じるも信じないも、今はこの場から逃げるのが得策だ。
カルステンがアレックス将軍に肉体転移した。俺の想定とは違うこの展開に、攻略法を練り直さなければならないだろう。
俺は踵を返し、玉座の間から立ち去った。
背後で、カルステンが手を振っているような気配を感じた。
逃げてきた俺は、すぐさまリーザたちと合流した。
彼女たちと護衛は応接室のような場所にいた。広い部屋だ。おそらくどこかの外交使節団をもてなすために用意された場所だろう。
「ヨウ」
「ヨウ様っ! 生きておられたのですねっ!」
リーザとローザリンデが弾けるように立ち上がった。彼女たち視点から見れば、玉座の間におけるやり取りは分からないことだらけだったのだろう。
「ヨウ? どこに行ってたの? 先代グルガンド国王とはいつ入れ替わってたの? 体は大丈夫?」
「人に幻覚を見せる、そういう魔具があるんだ。先代グルガンド国王なんて初めからいない。あれは俺だ」
リーザたちが緊張に顔を引きつらせた。一歩間違えれば俺が死んでいたかもしれない事態だったからな。
混乱も多いだろうが、動くなら早い方がいい。
「いいか、よく聞いてくれ。世界会議は開かれない。あの国王は魔族が化けている。信じられないかもしれないが、これが真実だ」
事実ではあるが、あまりに荒唐無稽な内容。断言した俺ではあるが、きっとリーザたちは信じてくれないだろうと思っていた。
だが、意外にもリーザは得心したようだった。
「人間か、魔族か。そう判断することは難しいわ。でもあの国王、少しおかしいと思う。確かに、各国から要人は集められてるわ。会議の準備もしてる。けど、国王が力を入れているのはそれじゃない」
「何に力を入れてるんだ?」
「国境付近の兵士たちが騒がしいって、報告が来てるわ。こんな重要な会議が開かれるときによ? キナ臭いわね。戦争でも起こるんじゃないの?」
「戦争?」
グルガンド王国は精霊剣を手に入れた。その蓄えられた力を、戦争という手段によって解放するとしたら?
西方大国のスパイたちも何かを掴んでいるらしい。
戦争か?
それがカルステンの目標、というよりも手段の一つか。奴は『会議は開かれない』と言ったが、どうやって中断するかは聞いていなかったからな。その段取りの過程に、対外戦争が深くかかわっているのかもしれない。
「国に戻ろう。それが今、俺たちにできる最善だと思う」
こくり、と頷くリーザとローザリンデ。どうやら納得してくれたらしい。
「俺が伝手を頼って馬を借りてくる。二人とも、馬には乗れるか」
「リィを馬鹿にしないで」
リーザがさも当然と言わんばかりに金髪は掻き上げた。才気あふれる女王は乗馬も嗜んでいるらしい。
「わ、私、このような機会がなかったので、乗れないです」
ローザリンデはうつむき気味にそう答えた。大巫女、という役職の彼女だ。こういった武芸に近いものを得意としているようには見えなかった。
「分かった、じゃあ俺の後ろに乗ってくれ」
「まあっ!」
俺の申し出が嬉しかったらしいローザリンデは、瞳をキラキラと輝かせながらその美しい黒髪を揺らした。
「…………」
ジト目のリーザが俺の鎧を掴んだ。
「乗れない」
「え?」
「嘘、間違えた。リィは馬に乗れないの。だ、だめなのぉ。手綱とか持てないし、超怖い」
リーザが突然しおらしくかわいい少女風に俺へもたれかかってきた。頭の王冠型アクセサリーがかつんと鎧に当たる。
「あなた、先ほど馬に乗れると言ってませんでしたか?」
と、ローザリンデ。うん、俺も聞いたよそれ。
「はぁ? あんた何言ってるの? 自分の無能を棚に上げて、こういうときだけ弱者面。反吐がでるわね。その厚顔無恥さは超最悪。誰か、誰か例のものをっ!」
護衛の一人が靴のようなものを差し出してきた。
「ここに乗馬スキルを付与した靴があるわ。これを使って一人で馬に乗りなさい。ヨウの後ろにはリィが乗るの。二人の仲睦ましい様子を見ながら、馬のたてがみ噛み締めて悔しがるといいわっ!」
リーザ、最初馬乗れるって言ってたよな?
「ああ、そんな便利な靴があるのか。ローザリンデはその靴履いて、リーザはそのまま一人で。これで二人とも馬に乗れるな。良かった良かった」
「え?」
「え?」
こうして、俺たち三人は三匹の馬に乗って国元へと帰った。
グルガンド王国王城、中央広場にて。
日頃、貴族たちの憩いの場となっているこの場所ではあるが、今は緊迫に包まれている。
武装した兵士、将軍、そして貴族たちを含むありとあらゆる人々が、国王の指示を受け集まっていた。
バルコニーの上にはアレックス国王、もといその肉体へと転移したカルステンがいた。いつもの王族らしい服ではない、鎧に身を包んだ武装姿だ。
カルステンが剣を抜いた。すると、それまでざわざわと騒いでいた兵士たち一斉に静まった。
ある種のカリスマ。軍に影響力を持つアレックス将軍だからこそである。
「新兵器の配備が完了した」
新兵器、すなわち精霊剣。
この技術がカルステンによってもたらされたのは、まだアレックス国王に肉体転移をする前の話である。今後の事を考え、必要を感じて用意しておいた一手。
グルガンド王国で生産されたこの剣が、つい先日すべての一兵卒にまでいきわたる量に達した。
その数は、10万を超えているだろう。
「すでに私たちの力は、これまで世界を蹂躙してきた魔族どもを……十分に凌駕している。そう、時が来たのだ。ずっと待ち望んでいた、人類の悲願が」
人類の悲願。
その言葉に、若い兵士たちは唾を飲み込んだ。何か、途方もない偉大な歴史の一部になったかのような感覚にとらわれたのだ。
場の興奮が最高潮に達したその時、カルステンは剣で空を切った。
「すべての魔族に宣戦布告するっ!」
その声は、広場の隅にまで完全にいきわたった。
「アースバイン皇帝の後継者として、この私が……そしてグルガンド王国が人類を救済するのだっ!」
若い兵士たちは、声を漏らしていた。
興奮してるのだ。
自らの力で、これまでさんざん苦しめられてきたあの魔族どもを……倒すことができるのだから。
「国旗を掲げ、軍を進めよ。人類の夜明け、聖戦の始まりであるっ!」
「「「国王陛下に栄光あれっ!」」」
兵士たちの喝さいが木霊する。
アレックス国王の大号令とともに、グルガンド王国軍は進軍を始めた。
王国第一軍は、魔王イルマとの係争地であるムーア領へ。
王国第二軍は、魔王エグムント領のタターク山脈へ。
そしてアレックス国王率いる第三軍は、魔王バルトメウス領カラン大砂漠を南へ。
後の世に語られる、世界大戦の始まりだった。
ここで魔王集結編は終了になります。