VSエヴァンス
リービッヒ王国を出発した俺。
馬に乗っての一人旅のため、前回の外交使節団よりは早く移動できるだろう。
今回は大きな目的が二つある。
まずは、一つ目だ。
アストレア諸国南東、タターク山脈中央部にて。
第一の目標は、ここ。
いた。
彼を一言で表すのなら、氷像。
やや浅く皺の刻まれた顔を持つ髭男が、水色のローブを被り宙に浮かんでいるようだ。体は生身の人間とは違い柔らかな動きではなく、まるで氷上を滑るかのように画一的に前に進んでいる。
氷塊王エヴァンスの人造魔王。
アースバイン皇帝の使徒。創世神オルフェウスの助言通り、ここにいたみたいだ。
力試し、か。
「なあ、あんたは何を考えてるんだ?」
人造魔王は喋らない。まるで氷像のようなその顔は、眉一つ動かない。
「我は力ある者を求めていた、って感じの戦闘狂か? それとも勝ちそうになったら〈グラファイト〉を打ち切って、俺が絶望するのを楽しむつもりか? もしかして、神が嫌になったとか……」
「…………」
あれこれと喋ってみたが、人造魔王は全く返事をくれることはなかった。どうやら話をする機能はないようだ。前回の世界で俺を殺したイルマ型人造魔王も、まったく喋らなかったからな。
「まあ、いいや」
コミュニケーションがとれないのであれば仕方ない。いつまでもここにいるわけにはいかないから、気持ちを切り替えよう。
「始めようか」
俺は剣を構えた。
人造魔王はその動きを止めた。
タターク山脈、中央部。
いくつかの枯れた低木と岩が散在する、なだらかな坂。高地のため気温は低めだが、アストレア諸国ほどではない。
強い風が枯れ木の葉を散らし、その葉が地面に落ちた……その瞬間。
戦いが、始まる。
突然、人造魔王は宙に浮かび上がった。乱れる空気。彼の口元に、キラキラとした粉雪のような結晶が出現する。
がっ、と口を大きく開けたエヴァンスは猛吹雪に似た吐息を吐き出す。
アイスドラゴンのブレスに似たそれは、周囲の土、岩、枯れ木を氷で侵食していく。
魔具、〈跳躍の靴〉によってブレスと同等の速度で後方へと下がる俺。再び空高く飛び、ブレスの圏外からエヴァンスへと迫る。
「アクセル・コンバート・エクスプレッション」
精霊剣の起動式。
「〈炎王の剣〉レベル1000」
炎を纏った俺の精霊剣が、エヴァンスの胴を切り裂いた……はずだった。
かきん、とまるで金属でも叩いたかのような耳障りな音を残して、剣はそれ以上前に進まなかった。氷がほんの少し削れた程度で、到底切り裂くレベルではない。そしてこの程度の炎では彼の氷を溶かすには至らないらしい。
硬いな。
仮にも魔王の一角だ。イルマほどではないにしろ、戦闘系の魔族って感じだな。
「ぐ……」
剣の触れていた部分から、徐々に氷が侵食していく。俺はバックステップを踏み、すぐに距離を取った。
冷たい。
俺は手にこびりついた氷を振り払った。
エヴァンスは無尽蔵に出し続けていたブレスを止め、周囲に氷塊を出現させた。
人間の頭部大程度の大きさを持つ氷塊が、まるで風船のようにエヴァンスの周囲に浮いている。
ひゅん、と音が鳴るとともに、俺のもとへと迫りくる氷塊。その速度は弾丸。大きさを鑑みるなら、大砲クラスの威力がある一撃だ。
〝右っ!〟
精霊、シルフの鋭い声が飛ぶ。大気の動きを用いた彼女の軌道予測だ。
俺は降魔の剣で氷塊を切り裂いた。
〝左っ、上、上っ!〟
最後の氷は切らず、足を乗せ跳躍。
胴は切れなかった。
力も足りなかった。
ならもっと、強く、狙いを定めて叩けば?
「〈風流の牙〉っ!」
スキル、〈風竜の牙〉を放つ。風の刃がエヴァンスに届くその瞬間、俺は手に持っていた〈降魔の剣〉を重ねる。
スキルと物理の二重攻撃。
加えて、狙ったのは胴ではなく首。
俺は剣の氷を振り払った。
ごとり、と地面に落ちたのはエヴァンスの首だった。
「…………」
やった。
倒した。
一瞬だけ焦ったこともあったが、思ったよりよく戦えてよかった。こんなのと苦戦してたんじゃ、イルマなんて夢のまた夢だからな。
首を切り落とすことには成功した。今はエヴァンスの体と首が地面に放置されている状態だ。
俺はもう冒険者じゃない。体からいい材料になりそうなものをはぎ取ってとか、首を持って行って報告してなんてことはしない。この死体はそのまま放置だ。
このまま無視して、先に進もう。
俺はさらに南へと進むことにした。
――一時間後。
タターク山脈、中央部にて。
何者かの戦闘音を聞きつけた魔族たちは、ヨウと人造魔王が戦っていたこの場所へと訪れていた。
「あ? なんじゃこの首は?」
魔族たちの目の前には、人造魔王の首が転がっていた。
「氷の彫刻か? それにしては、まったく溶けていないが……」
「こ、このお方は……」
一体の老人らしき魔族が体を震わせた。
「わしは魔王ヨハネス様の時代からこの地に住む魔族。若いもんは知らんかもしれぬが、このお方はかつてこの地に君臨した魔王、エヴァンス様じゃ」
「エヴァンス? 誰だそいつは?」
「エグムント様の先代に当たる青の魔王。今より数十年前に死んだはずなのじゃが……」
死んだはずの魔王の首。先ほどまでここでは激戦が繰り広げられていたようだ。しかし弱者である低級魔族にとって、その監視は死……あるいはそれに準ずる危険を意味する。音が鳴りやんでからここに来た魔族たちにとって、残された状況証拠だけがすべてなのだ。
混乱は深まるばかりだった。
「エグムント様は?」
「未だイルマ領から戻らず。おそらくは、鎧の男を探すためあの領地に滞在しているのだろう」
「ふむ……」
老魔族は考える。
「伝令を遣わし、エグムント様にこの件を伝えるのじゃ。この首は一緒に届けてしまおう」
こうして、エヴァンスの首はエグムントへと届けられることになった。