ムーア公爵令嬢
王都で華々しい戦勝祝賀会に参加した俺は、終わり次第すぐにムーア領へと戻った。
戦争に勝利したといっても、獲得した領地は南の平原だ。モーガンあたりの領地は解放されたかもしれないが、俺には直接的に関係がない位置。
そして、俺はあまりこの土地を離れるわけにはいかない。なんといっても俺の〈モテない〉スキルがなければこの街の産業が回らなくなってしまうんだ。今日もいっぱいフェニックスちゃんのオスメス鑑定を頑張りました。
一仕事終わり執務室でくつろいでいた俺に、サイモンから声がかかった。
俺に対しての来客らしい。
許可を出すと、一人の老執事が入ってきた。
「ムーア公爵令嬢?」
「はい。先代ムーア公の忘れ形見。わたくしの主でございます」
黒いメガネをかけた老執事はそう言った。どうやら、先代ムーア公爵令嬢に仕えているらしい。
っていうか公爵令嬢って女の子だよな? 今この部屋には執事さんがいるだけだからいいけど、本人ここに来たら俺の迷惑スキルできっと卒倒だぞ。
「この領主の館や調度品はもともとムーア公爵の私物でして……。こちらの書類をご確認いただければ……」
「は……はい」
後で部下に回して確認を取ってもらおう。
この書類本物だったら、俺……館を追い出されるの?
「この書類は後で詳しく精査するとして、具体的にあなたたちは何が目的なんだ?」
「私物であるこの屋敷はムーア公爵のものですので、正式に公爵令嬢様に返還を。それがご無理と仰るのであれば、相応の金銭を……」
金か家を寄越せ、という話か。なかなか俗物的でありなさる。
「金銭の交渉がしたい。ともかくその公爵令嬢様とお話がしたいから、この部屋に連れてきてもらえるか?」
「かしこまりました」
老執事はそう言って出ていった。主を呼びに行くらしい。
……さーて、これどうしようなぁ。素直に応じて屋敷や金をとられたら厄介だし、かといって追い出すのは許されるのか……。
……よし決めた、追い出そう。
女の子ならすぐに流行り病……という名の俺のスキルに侵されてしまう。ここにいられないとわかったらこの件はうやむやになるか、もし仮に金の要求をしてきたとしてもこちらの意見が通りやすいはずだ。
よし、そうしよう。
部屋のドアがノックされ、老執事ともう一人が入ってきた。
やってきたのは一人の少女だった。
美しいドレスは幾重にもレースが施された、おそらくは高級品。整った赤毛やその身振りは貴族のそれを彷彿とさせる優雅さを秘めている。
厚手の帽子を被り、恥ずかしそうに顔を隠していた。しかし帽子からわずかに見える顔だちや鼻筋から見るに、かなりかわいい部類の女の子だと思う。
「は、初めまして、英雄ヨウ様。私が……ムーア公爵令嬢です」
なかなかかわいい子だ。でも俺は騙されないぞ! お金もこの館も守ってみせる!
俺は手袋を外した。
「よろしく」
握手するために素手を出した、とみせかけてスキルの影響下に置いたのだ。悪いな、公爵令嬢さん。ちょっと苦しんでもらえるかな?
「よろしくお願いします」
はにかんだ笑みを浮かべた公爵令嬢は、そのまま俺と握手した。その様子になんら変化は見られない。
あれ?
な、何だこの子? 俺のスキルが効いてない?
……はっ、まさか女装男子というオチか。こんなにかわいい子が女の子なはずがないっ!
「英雄ヨウ様に会えて、私、とっても嬉しいです。よろしければ、近くでもっとお顔を見せていただけませんか?」
「あ……ああ……」
く、くぅー、この異世界に来て初めて、こんなかわいい女の子が近くにやってくるなんて。で、でも俺の心は揺るがないぞー。金も館も必ずぅ……。
公爵令嬢は抱きつくように俺の向けて両手を伸ばしそして……。
カチッ、という音が聞こえた。
え?
こ、これは……首輪?
何を思ったのか、公爵令嬢は俺に首輪をつけたらしい。取ろうと思って引っ張って見るが、上手く外せない。
窓に映る俺の姿は、その首に装着されたアクセサリーを綺麗に映し出している。
禍々しい首輪だ。黒を基調とした革のベルトに、金属で彫り込まれた髑髏の模様が描かれている。
「あの……公爵令嬢さん」
「久しぶりだな、人間。こうも見事に油断してくれるとは、女装までしたかいがあったぞ」
その声は、これまでのよく言えばかわいらしい、悪く言えば媚びるようなものとは全く違う……。
「お前……まさか……」
俺はこの声に聞き覚えがあった。アレックス将軍と初めて出会ったあの時、コロシアムで聞いた……あの恐るべき……魔族の。
「魔王イルマっ!」
女装しているからまったく気がつかなかった。いや、もともと女の子だったこの魔王に対して『女装』という言葉が正しいのかどうかという議論はあるだろうが……。
「魔具、〈隷属の首輪〉は着けた相手を絶対服従にさせる呪いのアイテム。カルステンから脅し取ったかいがあった……」
「何を意味の分からないことを言っているっ!」
もはや油断している暇などない。俺はすぐに袖を捲り、〈モテない〉レベル956を強化する。
だがしかし、魔王イルマは何の反応も示さない。これは……。
「お前の気持ち悪いスキルは……もう私には効かない」
「なん……だと……」
俺の必勝スキルが……防がれてしまったいたのか?
しまった、敵もこのスキルは研究済みだったということか。これは……相当に対策を練られているということ。
もともと戦力差のある魔王と人間。もう……勝てないのは分かり切っている。
だが……っ!
「たとえ勝ち目はなくても、俺はこのムーア領の領主。黙って魔王に殺されてやるほど落ちぶれては……」
「騒ぐな」
キィン、と耳障りなノイズのような音が聞こえたような気がした。
その、瞬間。
「ぐっ、が……」
なんだこれ? 首輪が……俺の首を絞めつけて……。
い、痛い。いや、痛いとかそういうレベルじゃない。首の……血管が締め付けられて……、血が……酸素が頭に……。
や、やばい……意識……が……。
視界がブラックアウトする寸前。パチン、と魔王イルマが指を鳴らす音が聞こえた。すると、首輪の締め付けが緩んだ。
「ガ……グッ……」
涎を垂らし、必死に深呼吸する。足りなくなった酸素を必死に補給しているのだ。
今、魔王イルマが指を鳴らさなかったら……俺は死んでいた?
「命令に逆らうからそうなる。最初から黙っておけばいいんだ」
魔王イルマは首輪ごと俺の首を掴み上げ、豪快に自らの顔へと近づけた。
先ほどと同じように、綺麗な顔だち。美少年とも美少女ともとれるその整った顔は、男にも女にもモテるアイドルのような要素を持っている。
しかし今の彼女は邪悪そのもの。俺の無様な姿を見て、嗜虐的な笑みを浮かべている。
「くくく、いいか、よく聞け。今日からお前は私の奴隷だ。この館も、鉱山も港も、お前の領地はすべてこの魔王イルマのもの」
「素晴らしいです、お嬢様。わたくし、この男を殺すことしか頭にありませんでした……。自らの浅はかさを恥じるばかりです」
老執事が眼鏡を外した。というかこいつ、アレックス将軍の脚を切ったマティアスじゃないか。黒メガネで隠してたんだな。
「さあ、人間よ。選ぶがいい。このまま私に嬲り殺されるか、それとも奴隷として少しでも生きながらえるか……その答えを」
俺は……その絶望的な二択に答えるしかなかった。
こうして、王国領地の中で屈指の復興を遂げている最中であった俺のムーア領は……魔王イルマの領地になったのだった。
ここまでが成り上がり編。
次回からが魔王奴隷編になります。