空に舞う精霊
平和を求めるクラーラ。
それを冷めた目で見る俺。
リーザもこの点においては俺と一致しているようだ。クラーラを見つめるそのまなざしには、少しだけ呆れが見て取れる。
もっとも、力ある魔王が相手なのだから、呆れるだけではなく警戒も怠ってはいないのだが。
万に一つも、クラーラの主張が通るはずがない……この状況。
だが、そんな俺たちの空気を知ってか知らずか、クラーラはその声を強めて言った。
「ここにいるすべての人に、私は声を高らかにして言いたい! 人と魔族は、手を取り分かり合うべきなんだよっ!」
まるでソプラノ歌手のように美しく澄んだ声で主張するクラーラ。その言葉は俺やリーザだけではなく、遠巻きに眺めているすべての兵士たちにも届いているだろう。
「傷つきたくない、争いたくない。想いは一緒なのに、どうして私たちはすれ違うの? 私の言葉に、主張に、少しでも思いを重ねることができた人は、どうか私と握手してください。少しでも、平和への願いが皆に広がるようにっ!」
これは……。
なんというか、その……すごいな。
俺は彼女の主張を否定してるし、声を聞いた後でもその気持ちは変わっていない。でも、純粋に、その迫力に気圧された。
凛としたその姿には、確かに心打たれるものが存在した。
引き込まれるだけの、何かがあった?
これは俺が彼女をひいき目に見ているからだろうか? 前回の世界での印象を引きずっているからか?
否、決してそうではない。
人々から恐れられる魔王が、こんな主張をしているということ自体が異常。観衆はその誠意ある姿に、好奇の目を向ける。耳を傾ける素地はすでにできているのだ。
この場に、クラーラの姿を見ていないものなど誰もない。声を聞いていない者など皆無だ。
これは、彼女の独唱曲。
「どうかこの手を取ってとってください。お願いしますっ!」
クラーラは頭を下げた。魔王らしからぬその行動に、多くの人々は驚き戸惑っている様子だ。
その瞬間。
「…………っ!」
俺は、そのあまりの光景に息をのんだ。
クラーラの周囲から、精霊たちが一斉に解き放たれたように見えた。一匹や二匹ではない。その光は一つ一つを区別するにはあまりに密度が高く、とてもではないが測りきれる数ではない。
精霊たちは周囲に霧散し、さながら綺羅星のようにこの場所を照らしていく。木に、レンガに、銅像に、草に、あるいは人に、光り輝く装飾を与えていった。
それは、まるでイルミネーションに彩られた夜の街。美しくもそして幻想的な光景だった。
サラマンダーの赤。
ウンディーネの青。
シルフの緑。
ノームの茶色。
色とりどりの精霊たちが、縦横無尽に駆け巡る。
普通の人間には、精霊が見えない。
スキル、〈大精霊の加護〉を持つ俺だからこそ視認できる、この視界。
だが他の人間たちも、なんとなくではあるがその圧巻を肌で感じているのだろうか? わずかではあるが、息を呑んだり汗をかいたり、そう言った『気迫』のようなものを感じている人も存在する。
だが……そこまでだ。
どれだけ感動的な状況を生み出しても、それは所詮『映画』程度のレベル。確かに見ていて感動はするし、興奮するかもしれないが、それで言うことを聞いたり国家を売るようなことは考えにくい。
もちろん、一部の迷っている人間の心を動かすことは可能かもしれない。だが映画やゲームを見た人間のすべてが殺人を犯さないように、ここにいる兵士全員がクラーラの主張に従うわけがない。強い意思を持っているリーザ女王ならなおさらだ。
クラーラはよくやったと思う。この状況は、彼女にとって決して悪しきものにはならないだだろう。事はクラーラの望まぬ方向へ、しかし穏便に進みそうだ。
今の俺は、花吹雪のように舞う精霊を眺めながら……事の成り行きを見守るだけ。
そう思っていた……のだが。
〝えいっ!″
まるで羽虫を叩き落すかのように、俺に近づいてきた精霊を落としたのは、もちろん精霊。ただし、クラーラの周囲にいた者たちではなく、もともと俺が話し相手としていた少数だ。
何が楽しいのかは知らないが、かなり真剣な表情だ。一匹残らず俺のもとに近づけない、とでも言いたげだ。
「いや、君たちさ。俺感動してるんだが、もう少し情緒というものを考えてくれないか?」
〝もうっ、何言ってるのヨウ? 誰のためにやってると思ってるの?″
〝ふふ……これは良くないわ、絶対に触れちゃ駄目よ″
〝ヨウを守るんだー、えいやー″
は?
触れちゃ……駄目? 良くない? 守る?
何を言ってるんだこの子たちは? それじゃあまるで……
「ど、どういうことだ? みんな、この精霊は有害なのか? 俺が触れたらどうなるんだ?」
俺は彼女たちに問いかけた。
しかし、彼女たちは必死過ぎて俺の質問に答えている余裕などないらしい。今も一生懸命、クラーラから放たれた精霊を叩き落すことに心血を注いでいる。
……理解できない。
こんなに綺麗で、美しくて、心洗われるこの光景が……有害? 毒? そんなことが……本当にあり得るのか? この子たちの……勘違いなんじゃないのか?
わずかな好奇心か、それとも信じたくないとい思いか。気が付けば、俺はそっと目の前へその手を伸ばし――
〝ば、馬鹿っ! 駄目っ!″
精霊の制止を聞いたときには、俺は……それに触れていた。