平和への願い
魔王クラーラ侵入の報を受け、急ぎ足で現場へと駆け付けた俺とリーザ。
レンガの柱が並ぶ吹き抜けの廊下を走りたどり着いたのは、中央に大きな銅像の設置された広場だった。
広場の周囲は兵士たちでごった返していた。クラーラから非武装の貴族や使用人を守るために詰めているのだろう。
ただし、積極的に攻撃を仕掛けようとする兵士は皆無だ。魔王と人間の力関係を考えれば当然だろう。
クラーラは銅像の前に立ち、じっと兵士たちを眺めている。
木の枝みたいな剣――〈森剣創生〉や、球体からレーザー状攻撃を放つ〈アルケウス〉。クラーラが得意としている武装は全く見られず、彼女は本当に立っているだけだった。
占拠、と兵士は報告していたが、実際のところクラーラが争っているような様子は見えない。おそらくは無抵抗のまま名乗りを上げ、誰もいない広場へとやってきたのだろう。
まあ、クラーラは魔王だ。そんな彼女が『来訪』しましたとか、『大使』ですとか、そう言った言い方をするのは違和感がある。人類にとって魔王は敵なのだ。自然と言葉も選ばれるだろう。
「お、おい……あの子が本当に魔王なのか?」
「やべぇ、やべぇよ。魔王なんて初めて見たよ俺」
「終わりだ、俺たちゃもう終わりだ……」
兵士たちの悲観に溢れる囁きが、あちこちから聞こえていた。敵であるはずの彼女を、ただ遠くから見守ることしかできていない。
だが、その膠着状態は破られた。
一人の少女が、静寂に包まれた広場へと足を進めたのだ。
西方大国、リーザ女王。
彼女とて人間の一人として魔王の脅威は認識しているはずだ。にもかかわらず、こうして毅然として魔王に向かうことができているのは……王としての自覚からなのだろうか。
やはり彼女は称賛されるべき指導者だ。俺も多くを見習わなければならないだろう。
「西方大国女王、リーザよ。あんたが魔王、なの?」
「緑の森林王、クラーラだよ。よろしく」
クラーラからは取り立てて敵意を感じない。握手を求めるその姿はむしろ友好的ですらあった。
「それで、今日は何の用事? リィは超多忙なんだけど、手短に済ませてもらえるかしら?」
「最近、争いが続く私とあなたの王国との恒久和平を求めて」
「はっ」
リーザは鼻で笑った。
「面白いこと言うわね。この前の戦いで、リィの兵士死んじゃったのよ? 今更何言ってるの? 頭おかしいんじゃないの?」
「…………」
沈黙のクラーラ、あまり好意的でない様子を察したのだろう。
まあ、あの戦いでは魔族も大勢死んだんだがな……。
かつてオルガ王国で将軍や兵士たちを説得したように、クラーラはここでもまた……平和と愛を訴えるつもりなのだろう。
俺は西方大国リーザ女王を知っている。この人は最初に和平の話をもってきたときも一蹴した。そもそも俺に対しても急に戦争の話をしたり軍隊をちらつかせたりと、あまり平和的な手段を好むようには見えない。
カルステンの偽物みたいに、素直に和平に同意するとは考えにくい。誰がどう見ても、この提案は拗れるだろう。
「…………」
俺は……クラーラを助けたい。
だが、前回彼女の意思を汲み取ったつもりで和平交渉に挑んだ結果が大失敗だ。その結果、西方大国の兵士は死に、俺は国王としての権威を少なからず傷つけられ、ペットになれという話を突っぱねることができなかった。
俺に何か言う権利はないし、そうしたいという気力もない。二国の外交は、俺一人の手でどうにかするにはあまりに大きすぎた。
クラーラは魔王だ。この場から逃亡することもできるし、その気になれば兵士を皆殺しにだってできる。俺が心配してもしなくても、この場で彼女に危害を加えられる者は存在しない。
俺は彼女を助けない。
もし、クラーラがこの交渉に失敗して攻撃されるようなことがあったとしても、それは仕方のないことなのだ。たとえ彼女の与り知らないところで部下が狼藉を働いたとしても、多少なりとも責任は存在する。
クラーラは現実を知るべきだ。それが、今の彼女にとってもっとも必要な事
俺はそう判断した。
ちらり、とリーザがこっちを見た。
例の件か。
リーザの合図に従い、俺は兵士たちをかき分けて前に出た。後ろには、縄で繋がれた一匹の魔物がいる。
捕虜としてこの城に捕らえていた、リザードマンのバルカだ。この前の和平交渉を台無しにした張本人である。
「あ、あの時の野蛮人っ!」
「久しぶりだな」
グルガンド王国での出会い、クラーラフラグの件を覚えているらしい。クラーラは顔を真っ赤にして俺のことを指さした。
「な……なななっ、なんでこんなところにっ! 私は絶対謝らないんだからね! 絶対だからね」
場にそぐわないその物言いに、俺以外の人間が完全に呆けてしまっている。今は相応しくない話題だ。
「クラーラ様、お助けくださいっ!」
捕虜のバルカが真っ先に助けを求め、この会話を打ち切る。
「森林王軍西方将軍、バルカと名乗るこのリザードマンは、和平交渉に出向いた俺を一方的に攻撃した。もし再びこの国と交渉を求めるなら、まずはその件に対する謝罪があってもいいんじゃないのか?」
「西方将軍? バルカ、なにそれ?」
クラーラが首を傾げた。どうやらその役職は本当に自称だったらしい。
だがクラーラ傘下の魔物であるというのは真実のようだ。やはり彼女は何らかの責任を取らなければならないだろう。
「申し訳ございません。交渉を有利に運ぶため、そのような役職をでっち上げました」
「和平交渉を台無しにしたって、本当?」
「嘘です、クラーラ様。全部この男が悪いのです」
「黙れっ!」
リザードマンの屑っぷりに、俺は少し怒りを覚えてしまった。つい縄に力を入れ、締め上げてしまう。
「ぐあああ……あ……」
「や、止めてっ! 彼を傷つけないでっ!」
傷つけないで、か。
この国の兵士、こいつに殺されてるんだぞ? よくこんなことが言えるな……この子。
いけないいけない、これでは俺が暗黒面に落ちた敵キャラのようだ。
まあいい。
ここでリザードマンを傷つけてクラーラの怒りを買うことは、リーザの目的とは違う。彼女はこいつを使ってクラーラを穏便に追い払うことを希望している。
「と、とにかくこういう状況なんだ、森林王殿。この国は和平に期待はしていなし、あんたのことを疎ましくすら思っている。こいつを引き渡すから、とっとと帰ってくれないか?」
「…………ダメ、だよ」
震え声の彼女は、しかしその決意に満ちた瞳を揺るがすことはなかった。
「愛はね、共に手を取り合って育んでいくものだよ。私とこの国の人たちは、きっと分かりあえる!」
心が冷めていく、と今の俺の気持ちを説明すればいいのだろうか?
何を言ってるんだこの子は? 分かり合える? 自分の配下とすら分かり合ってないような奴が、他種族である俺たちと理解を深めるだって?
俺はクラーラのことが好きだ。この世界のクラーラは別人であっても、とても嫌いになることなんてできない。でも、彼女の伽藍洞の主張にはまったく賛同できなかった。