身代わりヨウ
まさか、こんなことになるとはな。
西方大国、リーザ女王にサキュバスの件を報告しようとしていた俺。急いで謁見の間へと戻ったの……だが。
「ヨ、ヨウ? 嘘でしょ? ねえ、ねえったら……」
声が聞こえる。
「あ……あああぁ、あああああああああああっ!」
泣き叫ぶリーザ。
縋りついているのは、身代わりヨウの死体。おそらくは使節団の一人に剣で切られてしまったのだろう。
〈鏡の人形〉は対象の精巧なコピーであるが、その能力を受け継ぐことはない。剣を振ったり誰かを庇ったりすることはできても、スキルや魔具を使って応戦することは不可能だ。
最悪の事態は免れた。が、間に合いはしなかったようだ。
身代わりヨウは、死んだ。いや、壊れたと言うべきか。
そうか、ペットとしてリーザを庇ったのか。
〈鏡の人形〉は魔具であり、俺の精巧なコピーに過ぎない。魂なんて存在しないし、きっと死んでも天国とか地獄に行くこともないだろう。
ペットになれ、という命令をしたのは俺だ。命令に忠実だったことも、少し行き過ぎたこともあった。
だが、最後は優秀に番犬としての務めを果たしてくれたようだ。
……ありがとう。
お前が時間を稼いでくれたおかげで、一人の少女を救うことができた。
「よくも、よくもヨウをっ!」
そう言って、リーザは懐からボール状の何かを取り出した。
あれは確か、西方大国で開発された爆弾の一種だったはずだ。表面のコーティング部位が爆散し、相手に怪我を与えることができる。
だがその威力はせいぜい炎スキルに毛が生えた程度だ。とてもではないが魔族、それどころか武装した人間を押しのけることなど不可能。
リーザはそれを投げつけた。使節団の何人かが血を流し怪我を負ったが、その程度。鎧をまとった衛兵に至っては無傷。
爆炎によって周囲の視界が不明瞭になっていく。
俺は気が付いた。
今なら、この壊れてしまった〈鏡の人形〉をリーザに見つかることなく隠すことができる。リーザにとってはこの人形が俺自身なのだ。命を庇うまで必死になった俺の行動は、外交上かなり有利に働くだろう。
まあ、ペットになっていたという事実を認めてしまうことにはなるが……ここは国のために恥を受け入れ行動することにしょう。
俺は魔具〈鏡の人形〉の変身状態を解き、近くの柱へと隠した。
すでに衛兵の剣がリーザに迫っていた。爆弾を使いきり抵抗することもできなくなってしまったのだろう。
「だ……誰か……」
弱々しい、その声を聞いて。
俺はリーザと衛兵との間に割って入った。
「待たせたな」
――待たせたな。
西方大国、リーザ女王は驚きのあまり震えを隠せなかった。
先ほどまで死んでいたはずのヨウが、今、リーザに向かい襲い掛かってくる衛兵の剣を受け止めたのだ。
「よ、ヨウ! さっきの怪我は?」
「回復系の魔具を持っててな、ぎりぎりだったけど、そいつで怪我を何とかした。危ないから下がっててくれ」
「待ってっ、サキュバスには〈淫魔の魅了〉って誘惑スキルがあるわ。男はみんな、操られて……」
「俺は……きっと大丈夫だ」
そう言って前に出るヨウ。
リーザは絶望を隠せなかった。今、この中で最も強い存在であるヨウが敵に回ってしまっては、それこそ現状を打破できなくなってしまう。
絶体絶命だ。
「ま……待……」
緊張のため細い声をしかあげることのできなかったリーザ。そんな引き留めをまるで無視して、ヨウは前に進んでいく。
そして、使節団の一人を蹴り飛ばした。
「え……?」
効いていない。
明らかに魅了スキルの射程圏内。であるにもかかわらず、ヨウは平然とそこに立っている。リーザを守ろうとしている。
「な、なんで?」
これほどの人数を使役するサキュバスは、かなり強力な魔族だ。にも拘わらず、ヨウはそのスキルに抵抗している。
リーザにはその理由が分からなかった。
「あ……」
そして、思い至った。
これは、愛だ。
愛の成せる奇跡だ。
これまで、ヨウはずっとリーザの側にいた。玉座でも、散歩でも、風呂の時もベッドの中でもずっと一緒にいてくれた。
そこにもし、正当な理由があったとしたら?
今まで犬の真似をして恥辱に塗れて自分のそばにいたのは、この魔族たちからの襲撃を予想していたからではないか?
(もしかして、リィを守ってくれたの?)
――トクン、と胸が高鳴るのを感じた。
「あ……」
これまで、誰かにこんな気持ちを抱いたことはなかった。
多くの男を、それも大富豪や貴族、果ては小国の王をペットだと言って思いのままにしてきた。清純な人間であれば顔を背けてしまうようなことも強要した。
恥辱に涙する高貴な男たちの姿が、快感だった。
だが、そんなやり方では誰の心も掴むことなどできなかった。所詮は大国の女王としての権威にひれ伏していただけ。ペットであった彼らは、役目が終われば嬉々としてリーザのもとを立ち去り、二度と顔を合わせようとはしなかった。
当然と言えば当然。だから、それについて文句を言ったことはない。仮に文句を言ってしまえば、この国に害をなしてしまうことも承知していたからだ。
だが、ヨウは助けにきてくれた。
そこに損得の関係はない。下手をすれば命すらも失ってしまうかもしれない状況。自分のことを考えるなら、逃げ出すのがベストだ。
それはきっと、真実の愛。
その証拠に、信頼する衛兵たちまでがサキュバスの魅了によって裏切ったのに、ペット扱いされて恥辱にまみれていたはずのヨウはサキュバスによる魅了を跳ね返した。そんなことはリーザを想う愛の力がなければできないのではないか?
片時も離れないように、犬の真似までして守ってくれていたのか?
(う、嘘……)
リーザは急に胸が苦しくなったような感じがした。手で胸を抑えつけ、ブラウスに深いしわが刻まれた。
「リーザ」
「……え?」
「少し危ないから後ろに下がっててくれ」
そう言って、彼が手を握ってくれた。
その瞬間、リーザは頭の中が沸騰したように何も考えられなくなった。ヨウの言葉に従うとか従わないとか、そんな判断すらできなくなっていた。
「あ、う……」
「ん? ああ、衛兵の件がショックだったのか? すまない、少しだけ失礼するぞ」
「きゃ」
ヨウはリーザを抱きかかえた。
いわゆるお姫様抱っこだ。
人間とは思えないような高いジャンプをして、玉座の後ろへとリーザを連れて行く。
「ここで待っててくれ」
優しく床へとリーザを降ろしたヨウが、そのまま敵のもとへと戻っていく。
彼の握ってくれた手を、ぼんやりと眺めている自分がいた。
それはペットを虐める時の快感とは違う。ほのかに暖かくて、優しく気持ちいい。
それはきっと、恋なのだろうと思った。
俺はリーザ女王に敵意を向けていた使節団たちに向き合った。
使節団の後ろに、三人の女がいる。
いずれも貴族が身に着けるような高価な衣装や宝石を身に着けた女。使節団の人々に囲まれ、怪しく薄ら笑いを浮かべている。
「お前たちが灯台の淫魔、サキュバス三姉妹か?」
俺の呼びかけに対応し、サキュバスたちが前に出た。
「くすくすくす」
「姉さま、男よ男」
「……愚かな人間」
彼女たちは俺との距離を詰めてきた。おそらく、その相手を魅惑するスキルで俺を虜にするつもりなのだろう。
だが……それは無駄。
サキュバスが驚愕に震えた。
「姉さま、こいつ……スキルが効かないわっ!」
さっきリーザを助けた時には気が付かなかったようだが、今回はかなり距離が近づいている。サキュバスが疑問に思うのも当然だろう。
「そんな……どういうこと?」
「お得意の〈淫魔の魅了〉が効かず、魔法もうまく発動しない。それはな、俺のスキルが原因だ。体の調子が悪いだろう?」
俺はスキル抑制魔具〈罰の紋章〉を一旦解除し、〈モテない〉スキルを発動させている。かつてそうであったように、サキュバスは今……俺の迷惑スキルによって苦しんでいるのだ。
「……あ……う……」
サキュバスの一匹が泡を吹いて気絶した。残りの二人も、苦しそうに荒い息をしている。
「あんた……何者よ」
「ただの……国王さ」
俺はサキュバスを剣で切った。もはや抵抗することのできないその魔物たちは、攻撃をかわすことなどできなかった。
一刀両断で、体が地面に落ちた。
「先輩っ!」
藤堂君が部屋に入ってきた。どうやら、騒ぎを聞きつけてやってきたらしい。
「藤堂君、今、終わった」
少々後味の悪い結果になってしまった。
二度目の世界。俺の行動自体で何が起こるか分からないという、いい教訓になったと思う。
「すまない、リーザ女王。人を呼んでくれないか?」
玉座の後ろでぼーっとしていたリーザが、すぐに正気を取り戻し人を呼び始めた。
5/7 大幅修正。リーザの気持ちとか。