クラーラ軍西方将軍
城を出た俺は、和平交渉のためニガラの森へと向かった。
俺がもともと率いてきた各国訪問の使節団は、王城近くにおいてきた。戦闘に不向きである彼らをここに連れてきたところで、何のメリットもないと判断したのだ。
リーザ女王には西方大国の軍500を押し付けられたが、彼らを交渉の場には連れてきてはいない。軍がいないと示しが付かない、という表面的な意味合いであり、彼らを使って戦争する気は全くないからだ。
そして俺は、ニガラの森へと到着した。
発展した西方大国の都市部とは異なり、明らかな田舎。森を切り開いて木造の民家が点在している程度の、廃れた場所である。
いつもなら静かな小鳥の声が響くだけの、平穏な土地なのだろう。だが今は事情が異なっている。
民家には人一人おらず、それどころか様々な魔物がうろついている。エルフ、狼、大蛙、スピリット。警戒するようにキョロキョロとあたりを見渡している。
森の奥には、本陣と思われる大型のテントがあった。
その中に入ると、一匹の魔族が腕組みをして座っていた。
肌は緑色の鱗に覆われた、二足歩行のトカゲ型魔物。
リザードマンだ。
リザードマンは俺の来訪に気が付くと、立ち上がって近づいてきた。
「西方大国全権大使、ヨウ・トウドウだ。このたびの和平について任されている」
「森林王軍西方将軍、バルカだ。よくぞ我らの申し出に従い、ここまで来てくれた。感謝する」
ごつごつした手で握手を求められる。俺はそんな彼の手を強く握った。
西方将軍。
クラーラの部下にもそんな役職を持った奴がいたんだな。
「我が王は平和を望んでいる。できることならこの機に国境線を定め、不戦協定を結びたい」
「他の条件は? 国境線についての具体的な位置決めはどうする?」
「停戦の条件はこちらの紙にまとめた。不都合があれば交渉の用意がある」
リザードマンはそう言って、俺に紙を渡してきた。
俺はその紙に目を落としていく。金銭、領地のやり取りが必要であるという記載はない。こちらが不利にも有利にもならないその条件は、他国の俺が見ても公正と言ってよいくらいだ。
領地の譲渡は認めないが、多少の金銭交渉には応じる。これがリーザ女王から事前に聞いた条件だ。
この交渉条件であれば、十分に成立するだろう……が――
この時俺は、周囲を魔族で囲まれていた。
俺の眼前には鋭利な槍が突きつけられ、いつでも刺し殺すことができる状態だ。
「これはどういうことだ、バルカさん」
「馬鹿めっ! 騙されたな人間よ!」
「和平交渉は?」
「くくっ、くくくっ! そんな世迷子を本気で信じていたのか? 愚かな人間に、魔族である俺が交渉する道理がどこにあるっ!」
……この展開、予想していないわけではなかった。
クラーラは平和を望んでいる。それは彼女とともに過ごしてきた俺が最も良く知っている。
だが、すべての者が彼女の思想を共有し、行動してくれているわけではない。そんなことは俺自身もなんとなくは察していた。
予想していなかったわけではない。でも、できることなら起きて欲しくない……展開だった。
俺は瞬時に剣を抜き、同心円状に周囲の敵を切り伏せた。
「……へあ?」
バルカ、と名乗ったリザードマンは情けない声を上げた。
俺はそんな彼の後ろに回り込み、素早く腕を拘束した。
「この程度か、西方将軍?」
「ああああああああああああああああああ、痛い痛い痛いっ!」
「そもそもお前、本当に将軍なのか? あの子がお前みたいな奴を将軍に任せるとは思えないんだが……」
リザードマンは情けない悲鳴を上げながら、必死の俺から逃れようとしている。しかし、この程度の力で抜け出すことは不可能だ。
「この手を離せ愚かな人間っ! 俺はこの地の軍を統べる王だぞ! 俺の声一つで、300の魔族がお前の喉笛へ牙をつきたてる」
「俺はクレーメンス軍に一人で突っ込んだこともある。この程度の軍、どうってことない」
「くそおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ! 聞こえるかお前ら! 全員だ! 全員でこの男を殺せっ!」
やれるものならやってみろ!
いくつかある〈身代わりの小石〉、〈大精霊の加護〉、精霊剣。たかが300の軍に俺が倒せると思うなよっ!
テントの中に、ぞろぞろと魔族たちが侵入してきた。
俺は即座にリザードマンの足を切り、戦闘不能にする。こいつには人質として今後の交渉に使っていこう。
そして向かってくる敵を倒すため、剣を構えた……ちょうどその時。
「ヨウ殿、ご無事ですかっ!」
「ヨウ殿を守れえええええええええええええええええっ!」
西方大国の軍勢が、テントに侵入してきた。
叫び声を上げながら突撃してきた彼らは、近くを包囲していた魔族と乱戦状態に陥る。魔族、そして人間の悲鳴が森を貫いた。
テントを出ると、そこにはいくつかの魔族、そしてごく少数ではあるが兵士の死体が転がっていた。
「ヨウ国王陛下、危ないところでしたね……」
兵士の一人が俺に手を指し伸ばした。
「お前たち、なんでここに?」
「リーザ女王のご命令で、あなたを守りためここまでやってきていました。テントの様子を見る限り、どうやら正解だったようですね。」
西方大国、リーザ女王は俺が窮地に陥ることを察しており、あらかじめ兵士たちに命令をしておいた……ということか……。
「…………」
俺は歯を食いしばった。
……しくじった。
俺はピンチに陥っていたわけではない。だから兵士の助けなんていらなかったし、そう思ったからこそ交渉に地に一人でやってきた。
だがこの事件、事の顛末だけ見れば俺が軍に助けられたように見える。
西方大国、リーザ女王は和平など無謀だと思っていた。無理だと思っていたから、こうして兵士たちを介入させ愚かな王を救出した。
一方で、俺は和平の可能性を考慮に入れていた。それはクラーラの性格を知っているからであり、そのことが逆に裏目に出てしまった。リザードマンはクラーラの意に反して行動している。それは明らかだが、彼女のことを知らない人間にこれを説明することは不可能だ。
俺は言い訳することができる。『負けていなかった!』、『一人でも奴らを倒すことができたっ!』。実際にそうなのだから言い訳というよりもむしろ事実だ。
だが俺の言い分を聞いた他の人間はどう思うだろうか? 血気盛んな若い王が、自らの力を過信し妄想を垂れている。そう思われはしないだろうか?
まあ百歩譲ってそう思われても文句を言えるだけの雰囲気だったら呆れて許してもらえるかもしれない。だが今回は不幸にもけが人、死者すら出てしまった。とてもではないが情けない言い訳が許される状態ではない。
これが王、責任ある者の姿ということか。
前回の世界では、領主だの次代の王だのうたわれながらも、結局は一人であれこれ解決してしまうことが多かった。あの時と今では、事情が違い過ぎる。
難しいな。
軍を全滅させた俺たちは、捕虜のリザードマンを引き連れて……王都への帰路についたのだった。
4月から生活環境が変わって、投稿間隔が不安定になる可能性が出てきました。
おそらくは大丈夫だとは思うのですが、一応ここに書いておきます。
まあなんとか頑張っていきたいところです。