奸臣モーガン
勇者イルデブランドはどこにでもいる普通の少年だった。両親のため農作業を手伝い、時には森の川へと水を汲みに行く。
あるとき森の中に迷い込んだ彼は、美しい泉にたどり着いた。
近くの村に生まれた時から住んでいるイルデブランドではあるが、こんな泉は見たことも聞いたこともない。不気味さから恐怖を覚えていたちょうどその時、泉の底から誰かが浮かび上がってくるのが見えた。
泉の奥から現れたのは、白い衣を身に着けた一人の美しい少女だった。青い髪と白い肌を持つ、人を超越した美貌を持つそんな女の子。
「私の名前は聖女オリビア」
まるで小鳥が鳴くかのような美声を発した少女――オリビアは、その手に持っていた剣をイルデブランドへと差し出した。
「勇者様、旅立ちの時です。どうかこの聖剣をその手におさめ、魔王たちを倒していただきたい」
「俺が魔王を?」
「勇者様、あなたの力で世界を救うのです」
勇者イルデブランドは剣を持った。不思議と暖かく強い力が流れ込んでくるのを感じる。
これが勇者としての彼の始まりだった。
勇者イルデブランドは戦った。聖女オリビアを従え、何匹もの魔物を打ち取り、その支配者である魔王すらもその手に掛けた。
「ぐあー、おのれ勇者め」
橙の叡智王カルステンは聖剣によって倒された。
「イルデブランド様っ!」
オリビアは癒しのスキルで傷を治す。
「ありがとうオリビア」
「いいえ、あなたをお助けできるただそれだけで私は……」
オリビアが頬を赤め、イルデブランドは恥ずかしげに頭をかいた。
重なり合う手、近づく二人。愛し合う二人は唇を重ねようとしてそして……。
「グ……グググ……」
「誰だっ!」
獣のような声を聞き、二人は臨戦態勢に入った。
振り返ると、そこには異形がいた。
鋭い牙と長い爪は獣のように、充血した瞳と、それに呼応するかのように赤い肌を身に着けた化け物のような男。
赤の力王イルマである。
「グオオオオオオン!」
「魔王イルマっ! 覚悟っ!」
勇者イルデブランドは聖剣を構え、オリビアはスキルで援護の体勢をとった。
勇者イルデブランドは三日三晩イルマと戦った。オリビアはよく彼を補佐し、また彼も全力で魔王に挑んだ。
結果は双方痛み分け。
魔王イルマと勇者イルデブランドは深い傷を負い、戦闘続行が不可能になった。勇者はついぞ魔王を倒しきることができなかったのだ。
だが6体の魔王が滅んだ世界は安定を迎え、人々は平和な時をいつまでも過ごすことになった。
誉れあれ勇者イルデブランド。称えあれ聖女オリビア。
この常しえの平和に喝采を!
グルガンド王城、客間にて。
俺はアレックス将軍に渡された絵本を読み終えた。モーガン公爵に待たされている暇つぶしに、絵本を読み進めておくことにしたのだ。
この物語……人間の願望が反映された話、といったところか。暇つぶしにはなったな。
っていうか魔王イルマの容姿が思いっきり脚色されてたな。俺が見たアイツは爪も牙もなくて本当に人間の姿をしていた。伝説、というだけあってやっぱりいろいろと現実との差があるのだろう。
椅子にもたれかかりながら待っていると、モーガン公爵が現れた。長い前髪と猫背が特徴の、暗い男。
「ヒヒッ、ようこそようこそ、英雄殿」
俺の目の前に座るモーガン。後ろに控えていた召使が、テーブルの上に紅茶を置く。
しかしこの男、気持ち悪い笑いだな。自分では柔らかい笑みでもてなしているつもりなのだろうか? 愛想笑いにすらなってないぞ?
「ムーア領の発展ぶりは、わ、私の耳にも……届いています。ま、まったくもって素晴らしい」
「ありがとうございますモーガン公爵。これから誠心誠意頑張りたいと思います」
適当に返答しておく。慣れ合いに来たわけではないのだ。
「と、ところでヨウ殿。ご存知ですか? 近々、私の申し出が叶い新たに討伐軍が編成されることを」
「またですか? それは……ずいぶんと性急ですね」
討伐軍はつい先日壊滅したばっかりのはずだ。王国軍も決して軽くない被害を受けているはずなのに、よく兵士を用意できたものだ。
「よよよ、ヨウ殿には総大将としてこの討伐軍を率いて頂きたい」
「あの……モーガン公爵? 先日討伐軍は壊滅したはずでは? 人員の補充はどのように?」
モーガンは無言のまま立ち上がり、客間のカーテンを引いた。
窓の外には兵士たちが並んでいた。どうやら訓練中だったらしい。
「の……農家の長男、貴族の末弟、若く元気な女性も動員しました。こ、これであの忌まわしき魔族に一矢報いることができるでしょう」
俺は彼らを見て……思わず息を呑んでしまった。
気だるそうにうつむいている者。病気なのか、咳と鼻水が止まらない様子で苦しんでいる者。杖をついた老人のような男までいる。
上官と思われる兵士たちが怒鳴り声を上げている。その気迫に、気の弱い者の中には泣いている者すらいた。
寄せ集めというならまだいい。これは……はっきりいって兵士として機能しているのかどうか怪しい。しっかりと働ける者は七割を切っているだろう。
「いやだあああああああああああああああああああああ、死にたくないいいっ! 帰してくれっ!」
逃げ出そうとした気弱な男が、上官兵士に殴られた。その様子を見ていた他の新米兵士たちは、恐怖で顔が真っ青になっている。
「あんな人たちを軍隊に引き連れていくのか? 本気なのか、モーガン公爵?」
「へ、陛下は期待しています。み、みみ……自らが授けた剣を振るい、あなたが戦場で大功を上げる姿を。わ、私は、あなたのためを思って此度の討伐軍をかき集めたのですよ? ……お分かりですか?」
俺は怒りに任せてテーブルを叩いた。
話にならない。
この男は屑だ。そしてもし国王陛下がそれに加担しているのならば、はっきり言って同罪だ。たとえ王でも貴族でも、許されることではない。
怒りに震える俺を見て、モーガン公爵は少し驚いている。
「俺を総大将にしたいなら、討伐軍の規模を再考していただきたい。このままでは都市や農村で若者の人口が減って、生産力に支障をきたしてしまう。少数精鋭でいいんだ。素人ややせ細った男は外してもらいたい」
「ヒヒッ、私に命令ですか? あ、あなたは領主になっただけの成り上がり者。わっ……私は陛下より公爵の爵位を頂いた貴族。わ、私が用意した軍です、そのまま従いなさいっ!」
「断るっ!」
ここは断っておくべきだ。
俺は異世界転移でここに来た。この国に対して特段に愛国心とか郷土愛を持っているわけではない。しかし、それでも今の生活が脅かされるのは勘弁だ。
また大敗してしまったら、今度こそこの国の国力は大いに低下してしまうだろう。魔族の侵攻を抑えるどころか、経済や治安面でも問題が噴出するかもしれない。
やはりこの男は奸臣だ。たとえ領主としての地位をはく奪されたとしても、この件で首を縦に振ることはできない。
「い、田舎者の分際で私に歯向かうのですか……。はっ、はっ、恥を知りなさい」
「恥を知るのはお前の方だっ! 前線で戦っていれば、魔族の恐ろしさは身をもって知れたはず! お前は経験が足りないせいで無謀過ぎるんだ! この国を破滅させたいのかっ!」
「は、はは……破滅? 私は……」
「……モーガン」
びくん、とモーガンの肩が震えた。突然現れた第三者の声によって、彼は完全に委縮してしまったのだ。
新たな来訪者、グルガンド国王は白鬚を撫でながら悠然とこちらに歩み寄ってきた。
「その男の意見に従え」
「へへへっ、陛下! しかし、軍の規模を縮小しては魔族に対抗することが難しく……」
「王命である」
国王の言葉を受け、熱を帯びていたモーガンの顔が徐々に冷めていく。どうやら、諦めてくれたらしいな。
国王は俺の肩を叩いた。
「……余の民を気遣うそのそなたの心、感謝する。余は期待しておるぞ」
へ……陛下。
話の分かる人じゃないか。この陛下に直接お伺いをたてたほうが良かったのかもしれない。
「……ありがとうございます」
俺は深く礼をした。これまでの怒りが一気に冷めていくようだった。
こうして、規模を縮小した討伐軍は……後日敵地へと向かったのだった。