魔王たちのプロローグ
俺は床の上に立っていた。周囲には黒い空間が広がっている。
俺が初めてここにやってきたとき、倒れこんでいた場所だ。
ここが出入り口の役割を担っているらしい。
また、あの世界に行くのか。
そこには別のイルマがいる。クラーラがいる。オリビアがいる。俺はどんな気持ちで、あいつらに会えばいいんだろうな。
まあ、そこはゆっくりと気持ちの整理をつけていくことにしよう。
行こう。
異世界へ。
俺は、暗闇の中に身を投じた。
こうして、新たな物語が始まった。
――グルガンド王国、玉座の間にて。
暗く、ランプの光がない深夜。
玉座の間には二人の人物がいた。
この国を実質的に支配する、モーガン公爵。そして暗愚な王と偽りこの公爵を影で操る――魔王クレーメンス。
「ヒヒヒッヒヒヒヒヒ」
「モーガンよ、委細を説明しろ」
「ヒヒッ、準備万端ですクレーメンス様。寄せ集めの討伐軍は9割ほど募集を完了。一か月後には出陣し、モール率いる我が軍と衝突するでしょう」
魔王討伐軍。
一部を冒険者によって補われたこの軍団は、一か月後にムーア領へと攻め込む予定。そこには謀略王軍が結集しており、激戦が予想される。
「そして開戦予定地は魔王イルマ領の近く。クレーメンス様の要望通り、アレックス将軍もまたかの軍に参加しております」
この討伐軍をまとめ上げた目的は、当然ながら魔王を倒すことではない。この国を弱体化させるとともに、煩わしいアレックス将軍を殺すためだ。
「抜かりないな」
「もはや我らの勝利は必然。ご安心くださいクレーメンス様。魔王イルマなど使わずとも、我々の軍だけでアレックス将軍を討ち取って御覧にいれましょう。ヒッヒヒヒ」
馬鹿が、とクレーメンスは心の中で毒づいた。
そもそもクレーメンス軍が強いのであれば、アレックスごときに手間取ることはなかった。このような策を弄ずることもなかっただろう。おそらく幹部クラスのモーガンやモールとて、万全の将軍相手では手も足も出ない。
むろん、クレーメンス自身の力であれば将軍一人余裕で殺すことができる。だが、国王としてこの国に君臨し、イルマに睨まれている現状を鑑みれば……それは難しい。
自然に、それでいて気づかれず護国の宿将を葬らねばならない。
だからこその、討伐軍。
主役は人間、ひいてはそれを操るモーガン。国王、そして当然ながら魔王領にいる(ことになっている)クレーメンスとは一切関係がない。
どう転んでも、『クレーメンスの保身』という面で言えば、万事抜かりない状況であった。
――タターク山脈、城にて。
「つまんねぇーなおい」
魔王エグムントは拳を振るい、一人の人間を吹き飛ばした。
彼はグルガンド王国の冒険者だった。どうやら道に迷ってここに来たらしい。実力のほどを試してみたかったのだが、軽く胸を叩いただけでこの始末だ。戦いも何もあったものではない。
領地を接するグルガンド王国は弱体化しすぎた。シェルト大森林のクラーラは平和主義を貫き、こちらの挑発に全く乗ってこない。
「どっかによぉ、面白ぇ奴はいねーのか?」
深いため息をつきながら、エグムントは玉座にもたれかかるのだった。
――グルガンド王国、メリーズ商会王国支店にて。
男は、支店で働いていた。
世界各地に展開するメリーズ商会。その中でもグルガンド王国の一等地に建てられたこの支店は、この地域においてかなり重要な場所である。
男は発注書を処理していた。
すでに15時間ぶっ続けで働いている。正直なところ、眠い。
眠るつもりはなかった。しかし無意志に、瞼が重くなり意識が遠のきそして――
ぽふん、と肩を叩かれた。
後ろには、大男が立っていた。
「か、会長っ!」
メリーズ商会会長、バルトメウス。
商会において一番偉いこの男は、重要な取引のためこのグルガンド王国へとやってきていたらしい。
「す、すいません! 俺、眠くて……その」
「良かった」
バルトメウス会長は破顔した。
「眠い、というのは人間の体が生み出す正常な生理的反応。つまり君が健康である証なのだよ。君はまだ頑張れる。もっと頑張れる。発注処理はまだまだ残ってるから、引き続き働いてくれたまえ」
「えぇええぇ」
男はこう思った。
お仕事、辛い。
――シェルト大森林にて。
「じゃあ、行ってくるね」
クラーラはそう言って手を振った。
ここはシェルト大森林。妖精と精霊たちが住まう、神聖な場所。
「クラーラ様」「お土産!」「ください!」
妖精たちがジャンプしながらそう言った。クラーラは彼らの頭を撫でて、にっこりとほほ笑んだ。
「期待しててね」
そしてそんな彼女を空中で見守るのは、友であり仲間である精霊たちだった。
〝ねえウンディーネ、あの子のこと止めた方がいいのかしら?〟
〝ふふ……サラマンダー、問題ない。魔王の力に敵う人間なんていないから〟
〝いいないいなー、クラーラ様。私も行きたいー〟
精霊たちは若干悩んでいたが、彼女を止める気はなかった。むしろいい経験だろうとすら思っている。
こうして、クラーラは人間と交流するためグルガンド王国へと向かった。
――アストレア諸国、ラーミル王国国境の雪原にて。
いくつもの小国がひしめく、アストレア諸国。その有力魔族国家であるラーミル王国は、戦争の真っただ中。
雪原では大規模な軍事衝突が起こっていた。
「偉大なる創世神オルフェウスよ。黄糸の力、我に授けたまえ」
幾多の魔族に囲まれた中、魔王パウルは魔法を唱える。
「――〈黄雨降矢〉っ!」
瞬間、空から数えきれないほどの矢が雪原へと降り注いだ。
雪の中に隠れたオルガ王国の兵士たちが、うめき声をあげながらはい出てくる。体に突き刺さった矢を抜きながら、必死に逃げよとしていた。
「つ……強い」
「これが……魔王の、力」
「て、撤退だあああああああああああああああ撤退っ!」
逃げ惑う兵士。
「逃がしませんぞ!」
パウルはさらに魔法を放った。瀕死のオルガ王国兵士たちが、次々と絶命していく。
「この閃光王パウルに、敵はいないですぞ!」
意気揚々のパウルは、敵陣深くまで単独で切り込んでいった。
彼はまだ、知らない。
自らに死を招く恐ろしい敵の存在を。
――グルガンド王国、ムーア領のとある村にて。
「この子、おかしいんです」
魔王カルステンは母親の言葉に耳を傾けた。いつものように薬を処方し、親子を見送ろうとした後のことだった。
「もうこの年なのに、同い年の子と全然違って。5歳や6歳の子供じゃないのに、言葉足らずで会話もうまくいかなくて……」
頭を抱え、髪を揺らすその姿は心を病んだ人間のようであった。実際のところ、それほどに悩んでいるのだろう。
「気持ち悪いって言うか……あ、あの、違います。今のは違うんです! かわいそう、そうかわいそうな子なんですっ! 気持ち悪くはないんです!」
思わず本音が漏れた、といったところだろう。カルステンはそのことを十分に理解しているが、あえて口を挟むことではない。
「わ、私の家。お金がなくて、娘が、その……幸せに暮らすためには、そ、その、お医者様に手を貸して頂いて、病気を治してもらった方がいいかと……。む、娘もお医者様のことが気に入ってるようですしっ!」
「……は、はあ? どういう意味ですか?」
「む、娘を養女として育てていただけないかという相談ですっ!」
こんな話を切りされるとは思っていなかった。
だが、カルステンにとっては好都合だ。
〈グラファイト〉にはこの子が必要だ。だからこそ強引に彼女を誘拐するつもりだったのだが、これは渡りに船だった。
「お母様の決意、確かに受け取りました。お嬢さんは責任をもって私が養い、病気を治してみせましょう」
「あ、ありがとうございますっ!」
母親が歓喜の礼を言った。親とは愛する子供を失ってこれほど喜ぶものだろうか? むしろ厄介者から解放されたかような清々しい顔をしている。
「さあ、オリビア。行くのよ。今日からこの人が、あなたのパパになるのよ」
「うんっ!」
何も分かっていないオリビア。先ほどまでのやり取りがどれだけ冷たく悲しいことであったか、気が付いていないのだろう。
ただし、彼女をこんなことにしてしまったのはカルステンだ。〈グラファイト〉に向けたオリビアの身体強化は、薬を飲ませることによって行われた。頭が弱くなってしまったのはその副作用だ。
今更母親を非難するほど善人であるとは思っていない。
(待っててね、お姉さん……)
頭に思い描くのは、かつて失った恋人の面影。
(僕は必ず、この〈グラファイト〉を制して見せる)
カルステンはオリビアの手を引き、建物の外に出た。母親は逃げるようにこの場から立ち去っている。
「ううー、カルステン。絵本!」
「はいはい、今日はどれがいいかなーっと」
こうして、二人は長い長い旅に出るのだった。
叡智王カルステンは知らない。
〈グラファイト〉はすでに決着している。
すべての並行世界を知ることのできない、世界に無数存在するカルステン。彼はヨウと同じ、この世界に一人だけの存在なのだ。異世界の情報を共有していない。
それは同じ土俵に立つ創世神やアースバインたちとは決定的に違う。圧倒的な、情報不足。
今、ここであがくカルステンは、ただの愚かな道化でしかない。
――赤の力王領西方、魔王イルマ城にて。
「何、人間の軍とクレーメンスの軍が、国境付近で争いを始めるだと?」
ここは魔王イルマ城。玉座に座る魔王イルマは、腹心のマティアスから報告を受けていた。
執事風の人型魔族、マティアスは片膝をついて魔王に報告している。
「お嬢……失礼、魔王様。このたびの戦、魔王クレーメンスが糸を引いている可能性が」
「お前の報告にあったモーガンとかいう男か?」
「その通りです」
魔王イルマは熟考した。
クレーメンス配下の魔物、モーガン。公爵としてグルガンド王国に潜入し、かの国を意のままに操っている……可能性がある。
本当であれば到底許されざる行為だ。だがまだ、確証を得ているわけではない。
難しいところだ。もし間違った情報をもとにモーガンやクレーメンスをなぶり殺しにすれば、それはただの弱い者いじめ。強者としての誇りにかかわる行為である。
「悪知恵を働かす邪な狐は、獅子の嘶きをもって制す。問題はない。我が力をもってすべて粉砕するのみだ」
魔王イルマは立ち上がった。
「行け、マティアスっ! お前に軍を託す。人間とクレーメンス軍を打ち破ってこいっ!」
「仰せのままに」
マティアスは立ち上がり、パチン、とその指を鳴らした。
すると、ゆらり、と柱の陰から魔物たちが現れた。
千の魔法を操るダークエルフ、モンロー。
死人すらも恐れるゴースト、アルフォンソ。
灼熱のマグマすらも凍らせる氷結竜、アドニス。
赤き角を持つ鬼人、アンドレア。
「我らが魔王様の威光を、この世界に示すのですっ!」
マティアスの後ろに、一騎当千の魔物たちが付いていく。
人も、魔族も、誰も彼らに勝つことなどできない。
魔王イルマ軍は、最強の魔王が擁する最強の軍団なのだ。
――そして。
「へぇ」
アースバイン皇帝は世界を見下ろしていた。
彼は神になった。
もはや創世神はただの人でしかない。アースバインがほんの少し指先に力を加えるただそれだけで、かつて神であった彼の存在を抹殺することができるだろう。
だが皇帝はそうしなかった。もちろん慌てふためく創世神を見て悦に浸るためだ。
ただそれを眺めているだけ……のつもりだった。
あの男、藤堂陽が現れるまでは。
「熱いねぇ。中々頑張るじゃないか」
皇帝はずっと見ていた。ヨウが必死に頑張ってきたその姿を、そして今神のもとで〈グラファイト〉に向けて準備をしていることを。
カルステンが成し得なかった、創世神と同等の神視点。あらゆる並行世界を見下ろすことのできるこの空間は、皇帝が疑似魔法〈グラファイト〉に組み込んだものだった。
この魔法が成立した時点で、カルステンの勝機はほとんどなかった。これは三つ巴の戦ではない。自らとオルフェウスの戦いだったのだ。
「シャリーやクレアもお世話になったみたいだし、僕もお礼をしないといけないね」
そう言って、アースバインは剣を揺らした。
見た目は精霊剣と同じ大剣。しかしその刃には、まるで葉脈のような複雑で繊細な模様が光り輝いている。
精霊剣は既知のあらゆるスキルを使いこなすことができる。しかしそのスキルの威力は本人が纏う精霊の密度に制限されてしまう。
知らないスキルを、自動的に、そして最大レベルで使うにはどうすればいいか? アースバインはその答えを見つけた。
あらゆる精霊を総べる精霊神。大地深くに存在し、すべてを見守る母たる存在。そんな神の知恵を借りることができれば、自らも知らない強大なスキルを使うことができるのではないか?
アースバインは研究を重ね、精霊剣を改良した。精霊の圧縮機構を利用し、想像上の存在であった精霊神の知恵を引き出すことに成功したのだ。
アースバインはこれを『精霊神剣』と名付けた。
「じゃあ、アンコールを認めようか」
アースバインは精霊神剣を振るった。
ヨウも、創世神も、カルステンも知らぬこの場所で。
再戦の承認が成されたのであった
5000字超えてしまった。
というところで、〈グラフィイト〉編は実質的に終了となります。
次はいい機会ですので、人物紹介(本物)を作ろうかと思います。
その次は新しい世界に降り立ち、やり直しっぽい話をやっていきたいなぁと思います。
まだまだ続く予定なので、末永く見守っていてください。




