お兄ちゃんとデート
俺は久々に自らの肉体を掌握した。
ダニエルさんやサイモンに顔を合わせるつもりはない。領主としては烙印を押されてしまうほどの無責任さであることは自覚しているが、どうしても……やっておかなければならないことがある。
実際のところ、俺がいなくてもこの領地はうまく回る。カルステンがまじめに領地運営を改善してくれたおかげで、さらにやりやすくなったと言ってもいいだろう。むしろ俺の承認を省く方が、より効率よく……。
――いや、情けない言い訳は止めよう。
私情を優先し、目先の領地運営を無視している。それが今の俺だ。どれだけ屁理屈をこねても、領主がいなければうまく回らない箇所がある。
ただ……もう俺には時間がなかった。
俺のやるべきことは二つ。
一つ目はオリビアを倒すこと。
二つ目はイルマを倒すこと。
この順序はおそらく不可逆だ。もし、この地上から魔王という存在が消えてしまったら、魔王の天敵であるオリビアが覚醒しなくなってしまう可能性がある。覚醒していないオリビアを殺すことはできない。だからこそ、先に彼女と戦う必要がある。
そして、オリビアの次なるターゲットはおそらくイルマだ。過去、カルステンがループ下で行った実験によると、そう結論付けることができる。
オリビアは魔王の死体が残っている場合はその死体を漁る。だが、カルステンはその〈橙糸〉を魂に持ったまま死んでしまった。糸が消失すると、魔王の襲われる順番が繰り上がるのだ。
ゆえに今、この次のターゲットは魔王イルマと断言することができる。
だからこそ、俺は話をつける必要がある。
この女――魔王イルマに。
領主の館、裏庭。
色とりどりの花と低木によって彩られたこの庭園は、見る者の心を落ち着かせる作用がある。かつてマティアスが手入れしていた場所であるため、彼が死んだ今となっては少しだけ荒れ始めている。
庭園の中央部、木製のベンチに座っている魔王イルマがいた。貴族の令嬢に相応しいドレスを身に着けた可憐な少女。
俺は彼女に問うた。
「何、オリビアについて?」
「……ああ、お前の考えが聞きたくてな。あいつをどうするつもりなんだ? やはり最後の魔王として……戦いたいと思っているのか? もしそうなら……」
「……ふっ、そう怖い顔をするな」
いけないな。
どうもこいつの前だと緊張してしまう。カルステンの記憶を覗いた後ならなおさらだ。人知を超えたその力に、無意識のまま恐怖を覚えてしまっているのかもしれない。
「私の部下は死んだ。残ったのは奴隷とは名ばかりのお前だけ。まあ弱い人間なら嬲り殺しても構わないが、お前は見どころのある奴だ。すぐにどうこうしようという気はない」
魔王イルマ。
あまねく魔族たちの象徴。
この女を倒すことは、おそらく俺の最終目標になるだろう。
だがそれは後回しにしなければならない。
「俺がオリビアを倒すと言ったらどうする?」
「……どうした? 今更私に忠誠でも示したくなったか?」
「何を馬鹿なことを。俺は……」
一瞬、何か適当なことを言ってごまかそうかと思った。
だがもう、こいつに対してそんなことを言う必要はないんだ。
正直に、俺の気持ちを話そう。
「奴はクラーラの仇なんだ。できることなら……俺自身の手で倒したい。それが……あのループ世界で何度もアイツを手にかけた……俺の役目なんだと思って――」
「あの女は私の獲物だ」
ぴしゃり、とイルマは俺の言葉を遮った。
「今代のオリビアはエグムントを殺した逸材。いずれ手合わせしたいと思っていた。邪魔をするのであれば、お前とて容赦しないぞ?」
やはり、こういう話になったか。
仕方ない。
「いや、話を聞いて悪かった。お前がそのつもりなら、何も言うつもりはない」
俺は嘘をついた。
「俺はお前を倒す。今はまだその時ではないけど、いつか必ず……絶対に……」
「ふっ、私は気長にそれを待っていることにしよう」
この女と俺との間には、埋めがたい実力の差がある。それはこの前戦ったとき、痛いほど感じた。
今はまだ、戦う時ではないんだ。
そう――
俺は自分が勇者だとか英雄だとかふんぞり返るつもりはない。だけど、この魔王イルマというラスボスにだけは、誠意ある決闘を望みたい。
相応しい時、相応しい場所、相応しい覚悟をもって魔王を倒す。それが俺の……例えるならそう、『勇者ヨウの冒険』におけるクライマックスなんだ。
魔王イルマ。
弱者を虐げながらも、強者には一定の配慮をもっていた誇り高き魔王。クレーメンスやカルステンとは違う、彼女には彼女の流儀があった。
そうそうたる悪役たちの中で、彼女はプライドが高くそれゆえに卑怯や悪とは程遠い。
それぐらいの配慮があってもいいだろう。
イルマはオリビアを狙っている。その力を試すため、自らのところにやってくるのをずっと待っている。そこに俺の介入を許すつもりはない。
だがイルマの考えには穴がある。
確かに、覚醒したオリビアは真っ先にイルマを狙うだろう。だがもし、オリビアがイルマから離れていたとしたら?
オリビアは覚醒後、全力でイルマのもとへと向かおうとするだろう。そこに邪魔する誰かがいれば、オリビアはその障害を排除しようとする。
要するにそういうことだ。
俺がオリビアを遠くまで連れて行き、イルマのもとへ向かうのを邪魔すればいい。そうすれば、二人で戦うことができる。
だから俺は今日、ここにやってきた。
雑草の生い茂った荒れた大地。いくつかの建物だったであろう煉瓦が散在する、そんな静かな場所。
そうここは、かつて魔王イルマ城と呼ばれていた廃墟。アレックス将軍に壊され、その後の混乱によって完全に打ち捨てられたしまった……そんな場所である。
思えば、ここからすべてが始まったような気がする。
俺は〈モテない〉スキルを使って、イルマを退けた。その功績が元となり、今、こうして領主に任命されたのだ。
「お兄ちゃんとデート! デート! デート!」
大喜びのオリビアは雑草の中を縦横無尽に走り回っている。どうやら、よっぽど俺とのデートが嬉しかったのだろう。俺のあげたワンピースや、自慢の水色の髪が草で汚れてしまいそうだ。
俺は煉瓦に腰かけた。オリビアが覚醒するまでは、適当に彼女の相手をしていることにしよう。
ふと、目に映りこんだのはかつてコロシアムだった廃墟。
懐かしいな、ここ。
ここでアレックス将軍と一緒に、イルマの配下と戦う予定だったんだよな? あの時、将軍が逃げ出そうとせずきっちりと戦っていたら、どうなってただろうか?
案外、その強さに免じて解放されてたかもな。今の俺には、何となくイルマの考えそうなことが分かる。
「はい!」
なんて考え事をしていたから、いつの間にかオリビアが前に来ていたことに気が付かなかった。
彼女は花冠を持っていた。どうやら、このあたりの花を適当に摘んで作ってくれたらしい。
「俺に……くれるのか?」
「えっとね、お兄ちゃんは王様になるべき存在、って話を聞いたの! だからね、王冠をプレゼント! お兄ちゃんは王様で、私は女王様なの」
自らも花冠を被ったオリビアが、そう言って笑った。
その姿を見て、俺は……。
いつかループで捨てたはずの悲しみが、再び俺の中に蘇ってきた。
あまりいい子にしないで欲しい。俺に優しくしないで欲しい。
カルステンはひどい置き土産を残してくれた。本当にあいつは、死んでも俺の心を抉ってくる……。
「…………」
突然、オリビアが黙りこんだ。
統計によると時間は今日。とうとう、この時が来てしまったようだ。
俺は少しだけ安堵していたのかもしれない。これ以上、優しいオリビアに触れていたくなかったからだ。
「始めようか、魔王の天敵、オリビア」
今はもう、守るべき魔王はここにいない。
俺は間違いを犯している。魔王の天敵は人類の敵ではない。むしろ魔族たちの勢力を削ぐためには極めて有用なツールと言えるだろう。俺の取るべき正しい道は、この子とともにイルマを倒すこと。
そう俺は、間違えている。
あの日、クラーラと一緒に戦った時から……ずっとずっと。
「あの日の続きを……ここで終わらせる!」
左手に精霊剣。
右手に〈降魔の剣〉。
魔王の天敵、オリビア。
勇者ヨウ。
これは歴史に残らぬ戦い。ただ己の力をぶつけ、強い者が勝つのみ。
風が吹き、ボロボロの柱から一個の煉瓦が滑り落ち、地面にたたきつけられ
盛大な音をたてた――
その瞬間。
二人の戦いは、幕を開けたのだった。
今日の重要ワード、勇者ヨウの冒険