望み
このお話は別視点、敵キャラ魔王カルステンのお話です。
僕は正気を取り戻した。
でも、城に戻ることはなかった。人と話すことが、王として振る舞うことがひどくうっとおしかったからだ。
イルマに見つかるのも嫌なので、世界を放浪した。人間の姿をした僕は、人間の国家に潜むこともできるし、魔族として魔族国家に入ることもできた。
事実は歪められる。
世界では、イルデブランドが6体の魔王を倒したことになっていた。まあこいつの体を使って僕が3体倒したんだから、あながち間違いというわけでもないけど。
身勝手な人間は、自らの都合がいいように物語を作る。いまやイルデブランドは人類の英雄だ。僕もアイツの絵本を見たことがあるけど、吐き気がするほどに脚色されていた。
当時の人間はもう誰も生きていない。事実考証をすることは不可能だ。あのイルマでさえ、『オリビアが他の魔王を殺した』程度の認識しかないだろう。真相を知るのは僕のみで、すべては闇の中。
僕は、そんな世界の様子をぼんやりと眺めながら諸国を放浪した。
ふらふらしてるだけで何もしない。戯れに魔具を与えたり力を貸したりすることはあっても、本腰を入れて何かを成そうとしたことはなかった……。
あの日までは。
正直なところ、ここに来たのは軽い気持ちだった。
アースバイン帝国。
グルガンド王国の南方に興ったこの帝国は、瞬く間に周囲の土地を征服し領地を拡大した。稀代の英傑アースバイン皇帝は、僕が出会った中で一番優秀な人間だった。
皇帝、アースバインは僕と交渉した。この国の発展に力を貸してくれないかと言われたのだ。
僕は彼に協力した。魔具を駆使し、『錬金術』と呼ばれる魔法に寄らない人でも扱える技術を発達させた。
深い意味はない。協力したのは暇だったからだ。
精霊剣、精霊砲、そしてついには人造魔王。はっきり言っていい。この帝国が本気を出せば、イルマ以外の魔族を絶滅に追いやることができる。
まあ、魔族が滅ぶとか滅ばないとか……僕にとってはどうでもいい。皇帝が変な気を起こしたとしても、隣でどうなるかぼーっと眺めてるだけだけどね。
そう、最初はこの程度の認識だった。
僕は無関係。皇帝が殺されようが世界征服しようが気にも留めない。その……はずだったのに。
ここはアースバイン帝国、玉座の間。
人工的に造られたレンガ質の壁と柱。吹き抜けの先には、街路樹のように綺麗にならんだ木々が見える。
柔らかな風の流れる部屋の中に、僕と皇帝が座っていた。
玉座に座るのは、この国の皇帝であるアースバイン。全身を鎧で覆うその姿は、現代のヨウ君に似ているかもしれない。
この鎧は、魔具〈断絶の鎧〉。僕と同一の最強装備を、この皇帝は用意してしまった。
かりかり、という音が聞こえる。
アースバインは鉛筆で魔方陣を描いていた。僕がその様子を眺めていることに気が付いた皇帝は、こう語り掛けてきた。
「黒鉛は炭素の層で構成され、この層は弱く結合しているため剝がれやすい。こうして鉛筆で黒鉛を擦り付けることができるのは、そのためだよ。もっとも、聡明な魔王カルステンなら理解しているだろうけどね」
「…………」
「僕はこの疑似魔法に〈黒鉛〉という名前を付けた。世界にはそう、この鉛筆のようにいくつもの層――すなわち並行世界が存在する。疑似魔法〈グラファイト〉は、幾重にも存在する並行世界から自らの望む事象を書き写す。無限に広がる並行世界に不可能なことはない。そう、たとえ神すらも遥か遠くの並行世界においてはただの人となり下がるだろう」
気が付けば、僕の体が震えていた。
お姉さんを失い、イルマに半殺しにされてから400年以上の月日が経過した。その中で、僕が何かに感動したり笑ったりすることは何もなかった。
この皇帝は、僕に新たな感情を与えてくれた。
喜び、恐怖、興奮、感動。傑物アースバインは、幾星霜の時を超え乾ききった僕の心を……突き動かしたのだ。
究極疑似魔法〈グラファイト〉は既存のあらゆるスキルや魔法を凌駕する最強最大の技法である。
望みが叶う。その言葉は魅力的だった。
「僕は神になりたいんだ、カルステン。君が〈橙糸〉を提供してくれたことには、本当に感謝している。君の力と僕の魔法があれば、創世神とて下すことができるよ」
この言葉は妄想ではない。用意された魔方陣の巨大さ、魔力、生贄。その規模は間違いなく史上最大。
「魔王カルステン、君もこの〈グラファイト〉の参加者なんだ。それ相応の望みを用意してもらわなければ……困るよ?」
望み……か。
この魔法が正しく起動したのなら、どんな願いでも叶えることができる。そう……どんな願いでも。
なら……僕は。
「僕はねアースバイン、世界とか魔王とか領地とかどうでもいいんだ。ただ、昔、取り返しのつかない失敗をしてしまった」
「……へぇ」
アースバインは興味深げにそう言った。兜越しでその表情を推し量ることは難しいが、こちらに視線を向けているのは感じる。
「あの時……死んでしまったお姉さんを生き返らせたい。それが僕の……願いかな」
あの時の苦しみは、一度だって忘れたことなんてない。
皇帝に委細を説明する必要はない。僕の望みは魔法で世界に伝わり、100年後の戦いで必ずや成就する。
「じゃあ僕は人造魔王、君はオリビアを『パートナー』に設定しよう。創世神は……どうする? 無視して突然戦いを吹っ掛ける手もあるけど?」
「この手の魔法はリスクを背負わないと効果が出ない。創世神に然るべき『パートナー』を用意するべきだ。それについては――」
「…………」
ぴたり、と僕たちは話をするのを止めた。第三者の気配を感じたからだ。
柱の陰から、ひょっこりと現れたのは一人の少女だった。
少し癖のある金髪ショートヘア。メガネをかけたローブ姿で、手には杖を持っている。
アースバイン帝国筆頭錬金術師、シャリーだ。
「陛下、カルステンさんとどのようなお話を?」
アースバイン皇帝が立ち上がった。
「やあシャリー。僕のシャリー。いけない子だね、僕たちは極めて重要な話をしていたのさ。盗み聞きとは、許されないなぁ。罰が必要だね」
「ああ陛下、どうかお許しください。あなたのためなら、この身を捧げることすら厭いません」
「では失礼」
皇帝はシャリーの体を引き寄せ、乱暴にキスを迫った。
しかし皇帝は顔を覆うほどの兜を身に着けている。キスどころか頬ずりすらできないだろう。
シャリーはそんな皇帝の兜にそっとキスをした。撫でるように、優しく、そっと舌を這わせていく。
「……陛下」
「……ふふふ」
うわぁ、こいつら魔王の僕がいるのに何やってるんだろ。
いいや、もう僕いらないよね。今日は〈グラファイト〉の話ができただけで満足。詳細はまた後日詰めることにしよう。
一瞬、兜越しに皇帝の瞳が見えた。
薄暗く、闇を孕んだ冷たい目。ここを見ているようで、遥か遠くを見ている。
あれは人を愛する者の目じゃない。どれだけ愛を囁いても、優しく頭を撫でたとしても、そこに一切の情はない。
〈王の目〉、〈王の耳〉で幾多の生き物を監視し、観察力を身に着けた僕だからこそ理解できる……皇帝の性質。
うーん、かわいそうなシャリーちゃん。あれ絶対騙されてるよ。一応僕の教え子だから、助けてあげたいんだけど……相手が悪かったね。
まあ、どうせ〈グラファイト〉が起動すれば魔法のために生贄になるんだ。今この瞬間を楽しめばいいと思うよ。
ご愁傷様。
はい、久しぶりにアースバインのお話です。
第59部分、100年前の幻影から実に3か月ぶりとなります。
あの話の数日前という設定です。
なぜこんなに時間が空いてしまった……。
クラーラとカルステンが悪い。もっと短くするつもりだったのに……。
この次の話で過去話から現代に飛びます(※カルステン視点が終わるとは言ってない)